涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

歴史学習妄想メモ

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今日は地元の黒田藩の異常すぎる
最期を書いてみます。

江戸時代から明治に遷り変り「廃藩置県」
という言葉がございますが全国一斉にヨーイドン
で藩主がそのまま初代の県知事となったんですが。。

実は黒田の殿様で有名な福岡藩は今の会社で言えば
不正な事を行い破産させられていたんですね。

実は福岡藩は維新のころ、官軍としての出征や凶作続きで
藩の財政が困窮してましたが、派手(大規模)に明治政府と
クリソツな偽札紙幣を福岡城内で印刷し、自藩内でなく他の藩で
米や作物を買いつけたりします。
前代未聞なたぶん日本最大規模の偽札偽造事件なんですね。

借金の多い福岡藩が、急に羽振りがいいので怪しまれ、偽札を
偽造してしてるのではないか?と疑われ、他の藩や役人から
明治政府に告発されてしまい、明治3年福岡城に乗り込んだ政府役人は
組織ぐるみで上層部が深く関与していた事まで調べ上げられ、
御家取り潰しとなりますが普通、明治維新〜廃藩置県の間に
偽札造りがバレて御家取り潰しになった大藩って聞きませんよね。
つまり福岡藩だけが廃藩置県による全国的な藩から県への
流れの4ヶ月前に、藩主であった黒田長知は閉門処分となり
福岡知事の座から引き摺り降ろされてしまい、ここに黒田氏の
筑前支配は情けない異常な終わりを迎えたのでした。

どうもこの異常な藩の滅亡が熊本市の熊本城と違い、福岡市の福岡城に
全く金をかけず城を観光資源としない風潮の源流があるようにも
思えてきますね。
どうも福岡の市民(町人)は武士が嫌いな人が多いですしね。
博多の祭り山笠も武士は参加させない町人だけの祭りでしたしね。

処で江戸時代に大名の領地であった「藩」という言葉ですが
どうも廃藩置県のあとから使われる事が多くなったようで
当の江戸時代は「黒田藩」とか「肥後熊本藩」とかは呼び名
はなかったんですね。
 では 藩の事をどう表現していたのか?
「黒田家家中」と言う風に「〇〇家家中」殿さま家臣足軽とその
家族をひっくるめて家中と呼ばれてました。

まあそんな、倒産した福岡藩は明治時代も東京視点での評判が
悪く明治の初期は九州内だけでも鹿児島や佐賀や北九州に比べ、
政治家でも経済人でも偉人があまり出てないのですね。

明治大正は九州の中心は福岡市でなく熊本市でしたし
でも福岡市とその近辺の出身者は目立ちたがりが多く
部落解放同盟の設立、革命(実はテロ)に燃える軍人や
玄洋社等の結社や大アジア主義者が雨後の筍のように次々
に顔をだし、戦後も平和となると全国一の芸能人やミュージシャン
(アーチスト?)の発生地域になるわけですが。。(苦笑

気が赴けが、このシリーズで
「黒田藩対細川藩仁義なき100年戦争」も書いてみます。



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1870年当時世界最強の陸軍国フランス軍をプロイセン軍は破り、
ドイツ帝国の統一を成し遂げた。
当時フランスの方が人口、国力ともにプロイセンより数倍も勝っていたが
プロイセンには世界最高の戦略頭脳集団「参謀本部」が存在した。
プロイセンの参謀総長モルトケは、
「戦略とは状況を救済する術なり」と説いた。
明治維新を遂げた日本は一時フランス式軍制だったがプロイセン
(ドイツ帝国)に注目しドイツ軍人の日本への招聘を依頼した。

ドイツから日本に派遣されたメッケル少佐は日本陸軍の近代化に貢献した。
メッケルは日本の参謀達に
「前線部隊が、できるだけ無理せず、有利に戦える条件づくりをする。」

「前線部隊に能力の限界を超す努力を要求せず、目標を達成できる戦略」を説いた。
(メッケルには自軍に都合の良い、先制奇襲攻撃にを比重を置き過ぎたとの批判もある)

メッケルが去った日本陸軍参謀本部は10年ほどはメッケルの遺産で日清・日露戦争を戦い抜き何とか食いつないでいたが、昭和期に入り日露戦争の経験のない若手参謀が丸暗記受験秀才化し太平洋戦争では、緒戦の南方占領
までは相手が植民地駐留軍でもあった事から周到な研究と準備で攻略
はできたまでは参謀の問題は度外視された。
しかし、ガダルカナル島へ米軍が反攻してきた1942年後半からは
太平洋の西でも南のソロモン、ニューギニアでも西はビルマでも
日本軍は米英豪印軍に全く勝てなくなる。

こういう不利な時こそ「参謀本部」の不可能を可能に変える
知恵と智謀が要求されるのであるが、参謀が出した戦略戦術は
「前線部隊に能力の限界を超した努力を要求し、
 それでも目標を達成できない戦略」 
を多く用い前線部隊に「無限の努力」を押し付けた。
(目標達成=勝利できないと現場が悪い、ダラシない、
 根性無しとされてしまいます)

1944年のビルマ・インド国境でのインパール作戦等がその悪い例である。
西も東も敗勢にさしかかる時期に、制空権も無く、補給の続かない中で大河を渡河し2千メートルの山脈を超えて期間限定で敵中に数百キロも突進し要地インパールの占領を企画しあわよくばインドまでの占領も企てた。
前線部隊は無理な作戦を期間内に終えようと食料、重火器、弾薬まで減らして徒歩で50キロ以上の個人装備を携行させた。
私は以前(30歳当時)山登りをしていたが練習用のザックに20キロの荷物で平地を 
 先輩(荷物重量25キロ)と歩いただけで2キロ歩いただけで失神しそうになったり
 足が何度も 攣った事があります)

しかしその要求値は前線部隊の「人間としての常時出力的な能力」
遥かに超え過ぎていた。

今でも「X理論」や「ブレークスルー」と言っては、とかく派手な
数値目標を掲げる経営者が目に付く。
(特にIT関連企業に多いような、、、)
彼等は社員に限界を超す高い目標をおしつければ、皆、やる気を出し、
すごい成果があがれば会社経営は楽になると考えるのだが、、、、現実には、実現不可能な数字は社員がやる気をなくすのに抜群の効果を発揮し、
メンタルヘルスの悪化や組織全体の風通しの悪さに貢献しているだけでなないだろうか?。

人間の能力は、今現在の限界を多少は超すことができても、決して
「無限 ∞」ではない。
目的達成の障害となる「不利な要素」と目的達成に貢献する「有利な要素」があるが、目的達成のため、いかにして、有利な要素を活用し、
不利な要素を克服するかを考えるのが、企業戦略であり現代の経営者や
企業参謀の責務ではないだろうか?

すべてを数値化してしまい各現場の部署に押し付けた指示と言い換えた
必達目標という数字通りには事が運ばないかを俯瞰目線で現場よりも
早く阻害点を「察知」し、その原因を探り出し、対策を講じるのが本来の、
経営陣や企業参謀の役目であったはずである。

私が歴史や戦争の本を読んできたのは実はこういう過去の教訓
(戦訓)や事例を参考にして現代企業の戦略に活かす「法則」を
見つける事ができないか?という手前勝手な観点(趣味と仕事の両立?)
からだ。
又機会があれば私なりに現代企業に応用できる「法則?」も
書いてみたいと思うが安易に戦史戦術を企業活動に当て嵌めても
良い結果に繋がらないようにも思えてきたのである。

しかし最前線の日本軍がかくも強かったのは参謀本部や高級軍人の
作戦立案力や後方支援体制が優れていたわけでもないのだが、前線に
於いて将兵各自が発揮した「現場力」本物の「責任感」であることは
まちがいはない。
今も昔も悪く言えば日本の現場の者はその責任感を利用されて来たと
観る事もできる。 
日本軍の将兵だけが世界戦史にも類を見ない食料も弾も無く降伏も許されない四面楚歌の中でも「人間の限界を遥かに超えた戦い」強いられつつも、
それに最期まで応えようとした事実だけは後世の日本人は忘れてはならないと強く思うのです。

また現在でも無茶過ぎる本社や上司からの無理筋な命令を受けてても其れを受けとめ献身により責任を果そうとする現場の者たちには強い感動を覚える
隣人的な私が存在する。

ただ経営者は特攻戦術を日常化してはならぬよう常に肝に命じる事をお忘れなく。
昭和20年8月の終戦において海軍特攻隊を指揮した大西中将は
「特攻とは統率(経営?)の外道である」と語り終戦翌日に自刀し果てたが
死ぬ気のない経営者が従業員に「死ぬまで働け」と命ずるのは自ら
経営者能力を下げていることに他ならないようも思うのだ。

最近燃費等で不正詐欺事件を犯した某自動車会社の経営陣はやってはならない「統率(経営)の外道」を常態化させ更に社会からの信用を失うに
至った責任は大き過ぎるものがあるが、残念ながらこんな会社や
経営者はまだ多く存在する気がしてしかたがないし、裏で不正の種を
撒き散らしながら表の顔は改革者ぶる経営者を私達は何人も観てきたし
残念ながら今後も直ぐに怒りを通り越し傍観する事になるのだろうか?

そのような経営者が日本戦史から安易に滅私奉公的な下部の者の
上位者への無限努力を求めたり、根性論・精神論に行きつくような
企業経営へのヒントを学ぶのは、「世間の異常が組織内では普通」
という常態化を招き危険であると私は思うのであります。


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私が連休中に読ませて貰って感服した
無料で閲覧できますWeb版の漫画古事記の紹介です。


有名漫画家の掲載され無料で読める電脳MAVOという
サイトがございまして武士道物の平田弘史センセーの傑作集
特に「優しさ」等を読んで男泣きしてたのですが、知泉之刻
のコーナーに読んでみて感服するくらいの
知泉的「古事記」(ふることふみ)という現在も進行中
古事記の長編がございますので是非読まれてください。


私も子供判や大人になってからも古事記は読みましたが
こちらの漫画版の方が考証からストーリーから横糸の余談
当時の語り部である太安万侶の考え方や
会話も巧妙に描かれており無料で読ませて貰って
申し訳ない程に優れた内容の読み物と思います。

諸星大二郎のような猟奇的な暗い雰囲気も感じも
味わえるしみなもと太郎の「風雲児」っぽくもあり楽しく
面白く読めて歴史の知識を増やすことができますね。

昔、ギリシア神話と日本古事記(神話)を立て続けに
読んだら雰囲気やプロットが似ている箇所が何ケ所も
出てくるんですが繋がりとか伝承とかパクリとか
あったんでしょうかね。

それは置いといてこちらの古事記(ふることふみ)
本当にお勧めしますよ。


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中世の西洋の全金属製の甲冑騎士姿は
日本人からみても物凄く優雅で芸術品にも思え
かつ高価なものに映ります。

ここでは甲冑騎士の不死性について考えましょう。
実は西洋の騎士同氏はインチキ臭いお約束がありました。
それはお互いが勝負はするが殺し合わないという
不死性を認め合っていた事です。
軽い装甲の雑兵や弓兵は戦いに負けても直ぐに殺されます。

でもプレートメールを装着した騎士同士は
マント等に家紋も描かれており戦争や戦いでは敗けても
捕虜となる時に殴られたり髭を毟られたりしますが
王家や実家から身代金を支払う事で命は迄は奪われません。

そういう意味でお互いが高級な甲冑と家紋を身につけ
武者と認め合い「不死性」を担保しあっていたのです。
そんな訳ですから欧州国どうしの戦争ではクロスボウを操る
弓兵(アーチャ−)は戦闘参加は制限された事もありました。
弓矢ですから遠距離は卑怯という事と間違って甲冑武者
貴族に間違って鎧の隙間から矢が命中すると中の人が
死ぬことも多いですからね。
とにかく甲冑騎士には敵軍の弓兵は物凄く嫌われました。
西洋甲冑の発展は弓の威力の向上に比例しました。

古代や中世の当初は日本鎌倉武士と変わらないラメラーアーマーや
チェイン・メイル(鎖帷子)が主でしたがトルコ弓やクロスボウと
威力がます15世紀には一枚ものの金属板を主とするプレートメール
(板金鎧)に発達します。
でもその後火縄銃などの威力が増すと重く緩慢な鎧は銃の標的となるので
戦場から姿を消していき芸術品として生き残ります。



仁義なき異教徒同士の戦いとなった十字軍とサラセン軍との戦いでも、
甲冑を着た高級騎士は捕虜と身代金の交換等で釈放となる
ケースも多かったようです。
下級の従者や雑兵にはこのような不死性は関係なく
戦場の露と消えました。
つまり中世の戦場ではカネで案外と命も買い戻せたのです。

つまり西洋騎士は甲冑で身を覆う事と家紋で身代金を
払う用意がある事で一種の不死性を手に入れてたんですね。

甲冑の重さですが色々とあるのですが14世紀頃は40-50kg
まで達して筋トレをしてないと着用しても武器を振り回したりは
できなかったようですね。

それとプレートメイルの時代になりますとフルオーダーで体に
ピッタリと造る者ですから脱ぐのが特に困難で時間もかかるので
基本は尿も大便も垂れ流しで甲冑の下部は糞だらけでした。

余談ですが徳川家康も三方ヶ原での武田信玄との戦いでは
戦場脱出時に馬上で脱糞したとの伝承もございますが、
日本では鎧武者の脱糞は非日常でありましたでしょう。

余談の余談でもうせばジャンヌダルクのような女性騎士は
戦場での大小便問題はどう対処していたのでしようねぇ。
淑女いえ魔女との噂もあり魔法で我慢できたのでしょうか?

それと地中海地方より南部では気温により金属質の鎧が高温で
暑くなり着用するだけで火傷したり呼吸も難しくなる場合も
ありました。
それでサーコートと呼ばれる布製の上着を羽織ったりして
加熱対策としていますね。

布は金属より熱伝導率が低いのです。

そう大便や小便の事を鎧の内側に垂れ流した西洋では
貴人の為に香水も生まれ発達した事が理解できますよね。(笑

ちなみに騎士ついでに聖地奪回をめざした十字軍に触れますと
異教徒征伐と称して大虐殺や盗みを行ったり、少年少女を騙したり
ベネッアに金を払えず東ローマ帝国を占領したりと日本では何を
やってたのか意味不明な西洋十字軍ですが欧州諸国でも米国でも未だに
クルセーダーと呼ばれ人気がございます。
ですからイスラム勢力に嫌われるのでしょうが日本人のワタシには
なんで反面教師としか説明のしようがない十字軍の人気が高いのかは
理解できないのですが、察するに、変人と紙一重の織田信長や天草四朗
テロリスト集団である新撰組の土方歳三や沖田総司を一言で
「カッコいい〜」と大半の日本人や歴女が呼ぶのと
似たレベルなのかもしれません。



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ワタシは30年位前から文禄慶長の役(1592-1598年)で
敵ながら天晴れな提督である李 舜臣(り しゅんしん)に
強く興味を持ったのでした。


http://www.bell.jp/pancho/travel/korea-3/images/919%20isunsin-10.jpg

 でも
李 舜臣らが日本水軍に対抗するために建造させたという
亀甲船(亀船ともいう)はミリオタの私は全く信じませんでした。
当事から韓国特有の空想捏造兵器と思ってました。

でも日本の学界でも1980年頃から韓国の
「亀甲船は存在する」に同調する馬鹿な学者が増えました。
韓国の捏造主張に同調した当事の日本側の歴史学者に佐藤和夫
という方がおりますがいただけません。

佐藤氏が1985年に著した「日本水軍史」がその代表です。
日本側の文禄慶長の役で海戦絵画には全く
亀甲船のような軍船は
描かれてないのですが、佐藤氏はお亡くなりになる2012年にも
復刻版の「水軍の日本史 上下巻」を出されておりますがここでも
しつこいくらいに「まちがいなく
亀甲船は存在した」と自分の馬鹿さ
加減に駄目だしをされております。

名前だけはご存知の方もいらっしゃると思いますが
韓国側が在る!在る!と声高に叫び、日本の御用学者も
それに同調する
亀甲船の捏造イメージを眺めてみましょうか。(笑

多彩な妄想捏造バリエーションがありますがこんな感じです。
船底が深く、重心が高く、敵の水軍兵が乗り移らないよう天井に
槍や刀ような突起がたくさん突き出ています。

http://pds.joins.com/news/component/htmlphoto_mmdata/201408/16/htm_20140816103255z910z913.jpg

重心が高く転覆しそうで水面に没してる部分が多く帆走も遅く
想像の世界では櫓もついてますが、実在したとしても
日本の安宅船をベースにした軍船よりも船足は遅かったでしょう。

でも彼らの妄想捏造歴史によればこれらの
亀甲船たった
13隻で200艘以上の日本水軍を何度も撃退した
という事になってます。

しかも、これらの亀甲船の沈没船も引揚船も
設計図も何も残っておらず復元のしようもないはずですが
韓国では各自治体等でたくさん復元されております。


http://ncc.phinf.naver.net/ncc02/2011/4/22/255/2-2.jpg

しかも現代に復元した亀甲船までが重心やバランスが
悪く海上運行できないどころか浮く事もままならず
多くが陸上展示されております。


http://cfile227.uf.daum.net/image/276E0839545B5B7B0EA2B4

 
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そもそも若い頃のワタシが少し惚れた李 舜臣提督の
活躍自体が超怪しいのです。

何度も日本軍の補給基地を攻撃したとか彼らは
言い張りますが日本軍の策源地である釜山港の
襲撃にも失敗し、慶長の役では最後まで勝てません。

豊臣秀吉の老死で朝鮮から撤退する日本軍を後追いし
小西行長軍を待ち伏せしますが救援に来た島津義弘、立花宗茂の
救援隊に返り討ちにあい
李 舜臣は戦死しますが、日本軍の大名や
水軍大将の戦死者はおりませんし、島津家の文書でも敵の名将?
李 舜臣提督を討ち取ったとの自慢話にも出てこないのでした。

実は彼らの住む韓国でも亀甲船は存在しないと
思う学者も国民も数多くいるはずです。
でもあの国で「亀甲船は存在しない説」
唱えると親日派のレッテルを貼られ差別や虐待を受けます。

ワタシが思うに決定的に亀甲船が存在しない説を
補強してくれてるのは、当事日本軍と本当の意味で
ライバル対決した大明帝国の水軍側が同盟軍というか
属国軍の朝鮮水軍に亀甲船と思わす独特なデザインや
大活躍した事を全く記録に残してはいない事ではないのでしょうか。

しかも
李 舜臣提督と共に壊滅した朝鮮水軍は日本の
徳川時代に再建されるのですが、あれだけ活躍したはずの
亀甲船は一隻も再建造されず20世紀末に想像の
産物として復元されるまで長い五百年もの長い冬眠を迎えるのでした。

メルヘン ポエム ファンタジーですね。(笑


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