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午前中奥さんと買い物にに行き、買い物の時間に
私は近くの本屋で雑誌歴史群像の6月号の特集が
ガダルカナル撤退作戦(ケ号作戦)なので集中力を
発揮して立ち読みしました。
私はこのシリーズはある理由で立ち読みしても購入は致しません。(キッパリ
読みたい理由はガダルカナル撤収作戦の主役、矢野桂二少佐と矢野大隊の
奮戦ぶりを期待してたのですが、本をとり著者は田村尚也氏と知りガッカリしつつ
それでも最後まで特集を読み進めば、陸海軍の面子第一主義というか腹の探り合い
から撤収作戦の発動が遅れに遅れる軍政的な背景の説明は長いもの、矢野大隊の
ガ島上陸作戦後の奮戦ぶりや大本営から現地ガ島の司令部に派遣され、撤収を伝えた
井本参謀の努力を伝える部分は一切なし。
何が特集なんだ?
たしかに日本陸軍には昭和期になると世界史レベルでは牟田口、
富永等の愚将軍は世界一の規模で輩出してますが名将と呼べる
戦上手な将軍は硫黄島の栗林中将、ラバウルの今村均中将等
ほんの一部の人物しかいません。
でも将軍クラスに比べると佐官、尉官クラスは層が厚いこともあり
優れた人材の宝庫でもありました。
そのような中間管理職的な軍人の中でもガ島撤退作戦で殿軍として上陸し
最後には、ガ島からの1万人の撤収の見返り犠牲として最前線陣地に投じられた
矢野桂二少佐と矢野大隊750名の大奮戦は日本軍を包囲しつつあった
米軍をも驚かせ、日本軍最強部隊の投入か?とも狼狽させその米軍の
逡巡をもうまく利用しやせ細ったガ島の日本軍将兵1万人の撤収を成功に
導いたのでした。
こう書くと矢野大隊が超精鋭部隊と誤解されそうですが矢野少佐も大隊750名も
38師団の補充部隊で多くの兵士は30歳過ぎで未教育の補充兵(二等兵が主力)
でろくな射撃訓練や白兵訓練も受けてはおらず、ガダルカナル島に真っ先に上陸し
精鋭の名が高かった一木支隊とは比べ物にもならない弱兵部隊と見積もられ、
敵陣への攻撃や最前線での戦線維持など思いもよらない、後方占領地の
治安維持が精一杯と思われた部隊でした。
その証拠に矢野少佐も矢野大隊にも本当のガダルカナルからの撤退目的は
全く明かされず、飢えで苦しむ1万程の先に上陸した兵士達の替りに
最前線に配備され最後まで持ち場を死守させガ島守備隊としてそのまま
捨石となるべき全滅予定部隊とされ、他部隊1万人の生還と引き換えに
死地に投じられた悲しき750名なのでした。
指揮官の矢野少佐にも撤収の目的は全く告げられず
「お前たちはガ島の再攻勢部隊だ!」と騙されていたのでした。
「矢野大隊は速やかにガ島へ至り第一線を確保せよ」
という怪しげな命令を信じて僅かに2週間分の食料と
各自200発の小銃弾を抱えガ島に上陸、奥地の前線に
到着し飢えで弱りきった先に上陸した部隊と交代したのでした。
しかし矢野少佐と二等兵ばかりで弱兵ばかりの矢野大体は米軍海兵隊の
最強部隊と互角以上に戦い、迫撃砲の攻撃には穴を掘らせ、敵戦車の
攻撃には肉攻で対抗し、生身の海兵隊には狙撃で対抗し、限られた時間と
制約の中で十分な空間と時間を稼ぎ抜き100%全滅覚悟で投入されつつも
日本軍将兵1万名の後方撤収を成功させ自隊も全滅や壊滅することなく
最後の駆逐艦に便乗して、がダルカナル島から最後尾の日本軍として
脱出しなんとか戻っているのです。
ちなみに750名ほぼ全滅予定で投入された大隊は3週間の激闘で
300名に減少しましたが全滅予想とされた地獄の島から300名を
連れ帰った矢野少佐の力量は評価すべきと思うのです。
実は先に上陸していた痩せ細った1万人の撤収が成功と思えた
矢先、ラバウルの司令部から初めて矢野少佐に作戦目的は
「ガ島全軍の撤収が目的であると告げ」、敵軍に本計画を暴露されないよう
「矢野大隊の生き残りの半数はそのままガ島の前線に残置(見捨てる)する」
と無情いや非情な命令を受けますが矢野少佐はここでひと踏ん張りし
「一人の部下も見捨てられないので自分も部隊もこの島に残り運命を
共にし餓死する・・・」と大勝負に出て紆余曲折の後に司令部も
折れ矢野部隊の生き残りは全員が生還できたのですよ。
つまり射撃訓練もろくにできてない大隊を指揮した見事に米軍と戦い
、一万人以上の味方の将兵を退却させ作戦成功に導き、使命を果たした
後も最後まで部下を見捨てず連れ帰った矢野桂二少佐なる
人物を日本人はもっと沢山多くを知るべきなのですが、矢野少佐や矢野大隊
について詳細に書かれた書物は今現在一冊も刊行されておりません。
古今、世界史的にもこのよような撤退戦を指揮し成功に導いた軍人は
出世街道を登りつめるくらいに名将として評価されるのですが。。。
実は矢野桂二はガダルカナルに来る前は中国戦線でも武漢や南寧適中に
孤立した部隊を奇跡的に殿軍として撤収させ、ガダルカナル撤退後も
ソロモン中部のブーゲンビル島等で戦い抜きここでも死地に陥りつつあった
部隊を見事に敵陣から撤退させて日本軍の中では稀な3度も撤退戦を成功に
導いた運が良いだけでは済ませない「何かを持ってる指揮官」であったのです。
日本陸軍の中枢は矢野桂二を何度も使い捨てにしただけで
人事的に出生させることなくソロモン諸島の片隅で終戦を迎えました。
もしこれがドイツやロシアであったならば、遥か南の孤島に取り残されていた
矢野桂二を潜水艦や水上機で救い出し、より重要な戦の場で起用した事でしょう。
もし矢野桂二が硫黄島で栗林中将の部下だったら、もしインンパールで
宮崎繁三郎少将と撤退戦を戦ったら、もし矢野桂二がレイテ戦に登場したら
もし矢野桂二が悲惨な戦いである事は解っていても沖縄戦で賀谷支隊の
賀谷中佐や棚原の勇者伊東孝一大隊長と共に戦ったらどうであったのか?
興味を掻きたてます。
最後に多くの歴史・戦記作家がいますが矢野桂二少佐のネタで
書物書けば注目度は抜群と思いますよ。
書くなら早い者勝ちです。。。
まあとにかく矢野桂二少佐と矢野大隊の奮戦はもっと
後世に語り継がれるというより、これからスポットを
照らしてみて欲しいものです。
参考リンク
ガ島撤退秘話 (矢野大隊の奮戦)
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