唐突ですが軍人の残した名言を載せたいと思います。
戦争を生き抜いた方々の言葉には重みがあり語弊が
あるかもしれませんが多くの方は感動させられます。
ここではあまり知られていない軍人の名言を載せますね。
最初から変化球で失礼致しますが先ず、巷で有名な間違った
伝承の名言からです。
臼淵磐大尉(戦艦大和 哨戒長 坊ノ岬沖海戦で戦死)
「進歩のない者は決して勝たない
負けて目覚める事が最上の道だ
日本は進歩という事を軽んじ過ぎた
私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずしていつ救われるか 俺達はその先導になるのだ。
日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」
「敗れて目覚めよ!」上の臼淵大尉の言葉は映画「男たちの大和」で
有名になりましたが原作は吉田満の名著「戦艦大和」の中で吉田氏の
戦後の創作で先輩の 臼淵大尉の名を借りて代弁させた
戦後の「作者の思い」です。
当事、沖縄への水上特攻に向かう21歳の海兵学校出の正規士官が
大和艦上で仲間や部下にまかり間違ってもあんな発言はできません。
「絶対に戦争に負ける!」なんて人前で言う士官はいませんでしたから。。
ええでは気を入れなおしてリアルと思われる軍人の名言を以下に。。。
坪井平次海軍兵曹 軍艦「大和」乗組員
「戦後になるとアメリカ兵に対するわたしの怒りは消えた。
しかし、あの「作戦」を決行した軍部への怒りは今も消えない。」
無謀な戦艦大和の沖縄出撃を命じた海軍上層部を戦後も批判してますが
上の小説や映画で創作された臼淵大尉の名言とは違い奇跡の生還を
遂げた方の体験はリアル過ぎます。
太田実海軍中将 沖縄戦での現地海軍守備隊 司令官
「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ・・・」
大田中将の沖縄戦での決別電ですが、同じく沖縄戦で亡くなられた
島田叡 沖縄県知事のの思いを代弁した電報ですが、戦後の今も
沖縄県民にも日本国民にも重くのしかかります。
今も沖縄では、陸軍の事は悪く言い伝えられてますが、海軍の
太田実中将と島田県知事の事を悪く言う方はいませんね。
柳本柳作海軍大佐 当時海軍軍令部第2部第3課長
「レーダー兵器なしで対米戦に突入するのは無謀な行為そのものである。」
日米開戦に対し物量兵力はおろか科学技術力でも勝てないと反対しますが
ミッドウェー海戦でレーダーがなく敵機の奇襲を受け空母蒼龍と共に自沈。
組織の中で危険や注意を逸早く指摘していたにも関わらず、その指摘者に
責任と言うか組織の怠慢の結果のツケが日本ではよく廻ってきます。(唖然
原功 第721海軍航空隊 桜花搭乗員
「この身体は敵艦にぶつかって四散するはずのものでした。
でもきれいな身体で生かしてもらった。
だから献体で、かつて私も目指した医師を
目指す若者たちのお役に立ちたいのです。」
素晴らし過ぎてここでワタシの余計なコメントで汚す
わけには行きません。
秋山 好古 陸軍大将 (海軍 秋山参謀の実兄)
「男にとって必要なのは、若いころに何をしようかということであり、
老いては何をしたかということである。 」
「いかにすれば勝つかということを考えてゆく。
その一点だけを考えるのがおれの人生だ。
それ以外のことは余事であり、
余事というものを考えたりやったりすれば
、思慮がそのぶんだけ曇り、乱れる。
男子は生涯、一事をなせば足る。 」
いわずとも知れた日露戦争の陸軍の英雄の格言。
・・・老いては何をしたかということである。
ワタシはいつもこの言葉にハッとします。
はい、ワタシは未だ何もしてないようなもんです。(汗
寺内正道 海軍中佐 幸運艦 雪風の艦長として有名
「オレが艦橋で指揮していたのであるから責任はもちろんオレにある。
貴様が責任を感ずる必要はない。少しもクヨクヨする必要はない。」
不沈艦である駆逐艦「雪風」操艦中に艦底を浅瀬にこすらせて
スクリューを破損させた若い航海士官に応えた温かい言葉。
昔も今もこういう上司は絶対数は少ないのですが、最近は特に
部下の手柄は自分に、部下の責任は被らない、上司が増えてると
思うのははワタシだけ? でしょうか。。
小灘利春 海軍大尉 「回天」搭乗員
「・・・たとえば警察官にしても消防士にしても
人のために尽くす仕事が軽蔑される世の中になってしまいました。
極端な例は自衛隊員です。税金泥棒なんて言われて。
自身のためでなく多くの人に尽くす職業がなぜ評価されないのか。
戦後は教育が誤っている気がします。多くの人に尽くすのが尊いと考えず、
自分さえ良ければと思っている、そういう国は滅ぶと私は思っています。」
元特攻隊員からみた戦後の風潮への憂いを帯びたご意見ですが
ワタシは社員を使い捨てにする会社や組織も危ういとも思います。
上の小灘氏の名言を補完してくれるのが下の岡田真理氏(女性)の
軍人ではありませんが、自衛隊の訓練時に教官が本音で喋ってくれた名言。
いざ志願!おひとりさま自衛隊(岡田真理)に
出てくる自衛隊某教官様の言葉
「武力放棄を謳っている政党本部にも警備員はいる」
まさに教官の的を得た言葉であります。
尚、上の著作は自衛隊に入隊を考えてる人には最適な
入門書であろうと思います。
小野田寛郎 元陸軍少尉 ルバング島で29年間戦争を行う
「戦いは相手次第。生き様は自分次第」
「日本に帰還した時、やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。
私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。
権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。」
「計画どおりにいかないことは沢山あるが、
思い通りにはいくものだ。 不満などどうってことはない。
自分の満足度を少し変えればよいのだから。」
さすがに日本の軍人として最大不倒年数の30年近くも戦争を
戦い抜いたその精神力には脱帽いたします。
「自分の満足度を少し変えればよいのだから」
この言葉はワタシはこれから何度もパクらせていただく事でしょう。(笑
若林東一中尉 香港攻略戦での英雄 後、ガダルカナル島で戦死
「後に続くものあるを信ず・・・」
開戦時の香港略戦では武器欠乏気味の日本軍としては
珍しく重火器を揃えて、正攻法での砲兵火力中心でじっくり
1〜2ヶ月かけて攻めようとしてたんですが、偵察に出た
若林中隊長が英軍の防備の弱点と警戒の隙を見抜いて敵陣に
突撃攻略しそれが引き金となり、砲兵の活躍の場もなく歩兵の
突撃だけで大要塞群をわずか6日間で攻略してしまい、一躍、
若林中尉は英雄になりますが、砲兵部隊や軍上層部からはその
「独断専行」と攻めたてられ軍法会議にまでかけようと思う人達まで
おり栄達する事もなくガダルカナル島に投入されまさに飢えて
弾もなくなり部隊ごと全滅しますが、最後の戦場で若林中尉の
天幕には不平不満ではなく「後に続くものあるを信ず」とメモが
書かれていたそうです。
この言葉戦時中の陸軍内でも有名になり、多くの特攻歌員らが
遺書に使ったので、特攻隊の遺書と思われてますが、オリジナルは
若林中尉のようです。
ちなみに、若林中尉は最初から陸軍幼年学校や士官学校を出ておらず
兵隊・下士官から士官学校に入り首席で卒業して将校に登りつめた
苦労人でもありました。
・・・ではここらで日本の軍人でも偉い方を捜してみましょうか?
東條英機 首相 陸軍大臣 陸軍参謀総長 日本的?独裁者
「飛行機は機関銃や高射砲で落とすのではなく,気迫で落とす!」
英機さんは、どちらか謂いますと悪名で名高い軍人さんですが、不思議と
名言・格言が出てこない軍人さんです。
上の言葉も名言よりは迷言の類になりましょうか?
う〜〜ん、この英機さんは戦後かなり誤解されてる部分もありまして
ヒトラーやスターリンのような独裁者を目指したわけではありませんが
当時の日本は軍部独裁といっても、天皇陛下の言うことを陸軍も海軍も
聞かずに戦線を拡げるし、英機さんの立場での首相と言っても首相に
海軍処か、陸軍大臣も陸軍参謀総長も従わないので、これじゃ戦争に
勝てないと、戦争が始まってから、陸軍大臣も参謀総長の職も英機さん
一人で独占したわけですが、だからと言って戦車や大砲や飛行機も
増産する事は適いませんでした。
その増産できない理由が権力を独占した英機さん自身にも
解っていたんで昭和19年にもなり「敵機を・・・・気迫で落とす!」
との精神論に舞い戻るわけですね〜。
でも今の会社でも笑えない日本人エリートの精神構造なんでしょうか?
でも日本の偉くなった方々は自分でもできない事を部下には
やらせようと考える人達が多いようですね。
次回、気が向けば外国の軍人さんの名言・格言も
書いてみたいと思います。
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