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管理人の息子は小学校に入学した途端、様子に変化が現れた。集団行動や人が大勢いる状態が難しいようだ。当時、私は「発達障害」というものを知らなかった。
誰にも何処にも相談できず、相談と言っても何をどう相談すればいいのかがわからない。 とにかくインタネットで息子が示す行動や症状を検索しまくった。 そこでいくつかヒットしたものを読みあさったが、「あっ!これだ!!」と思ったのがADHDだった。 今度は、何処の病院にかかればいいのかがわからない。とにかく住んでいる地区の相談できる場所に電話をしまくった。児童相談所は相手にしてもらえず、教育相談所の電話番号を教えられた。 そしてそこへ電話をし、だいたいの説明をしたところ、一度来てみてという事になり行き、申込みをする事になり、毎週土曜日に子供と2人で通い始めた。 今度は病院探しの続き・・・これまたインタネットでしらべまくり、とりあえず大きな病院で、通うのに遠くならない場所へ次から次へと電話連絡して状態を話したが(発達障害らしい)、診れる先生がいないとか、予約制ではないので来た順番だから相当時間がかかるとの事(-_-;) それってムリだし… それでも1ヶ所大学病院で(当時は小児科)そういったことを診てる先生がいると言うので予約をして通い始めた。教育相談所も病院への通院も、子供が小学校1年生の4月〜5月には通い始めていた。 その後、夏か秋ごろだったろうか、その病院の小児科では処方できる薬に限りがあるという事で、同病院の精神科で同じく専門に診ている先生がいるというので、紹介をしてもらい、そちらへ通い始め、処方される薬もだいぶ変わってきた。「広汎性発達障害」と診断された。ADHD要素を多く含むじょうたいだが、その場合ご存知だろうが、診断としてはPDDの方が優先されるようになっている。 現在(当時小2)毎日学校や教室へ行けなくなりましたが、小学校の卒業式は最初から最後まで参加する事ができて本当にうれしかった。涙がとまらなかった。 それもこれも、義務教育で一番長い小学校6年間。途中で入院をしたこともあったが、子供も私も、学校からは厄介者扱い。学校以外の別の機関へ勝手に話を進めて(教育委員会も)追い出そうとするし、子供は、同級生から怖がられたりイジメられたり、(担任に伝えたが把握してないとの事。実際にはあったんです) 親としては自分の子供が一番だから気持ちはわかるけれども、学校や教育委員会に苦情として(確かに迷惑はかけていた)「ああいう子は、(当時の身障級)に行かせた方がいい等…」仲の良かったお母さんから話を聞いたりしたこともあった。 保護者が学校や教委に電話や直接出向くのはまだしも、子供は子供から言葉を浴びせられていた。 担任に確認したところ、「把握してる」と答えた。(それでどう対処したんだよ!) しまいには、小学校2年生になってから教室に行く事ができなくなり、秋からは介助員がつくようになった。それは卒業まで続いた。 とにかく、教室にいけなかったものの、みんなの迷惑・邪魔者扱いなので、介助員が子供の後ろをついてまわったり、子供は毎日することもなく学校を徘徊することしか・・・しだいに学校へ行かなくなってきた。 とにかく、私(親)に相談もなく勝手に学校で話を進めたり、学校と教育委員会で話を進めたり。 担任になる先生は、新任の先生か、初めてこの小学校へ来た先生が担任にさせられていた。 子の学校は、私が卒業した母校。とてもよい学校だったが、時代が変わり、制度が変わり、先生が代わり・・・固定級(現在でいう特別支援学級)があるにも関わらず、当時の校長は、病院での診断が変わり、ADHDではなく広汎性発達障害と診断されたことをつたえると、「何それ?」って(-_-;) 簡単に説明しようと「自閉症…」といいかけたところ、「(笑)ながら、Y君は自閉症じゃないよ〜(笑)」だって…(@_@;) 中学生になってからの1ヶ月位は、急に教室に入れるようになったりもしましたが、またまた不登校&教室に入れない日々に突入。 うちの小学校はほぼ2つの中学校に行く子が殆どだったので、そうではない中学校を選びました。 最初のうち頑張って教室に行ったり登校していたのは、『自分が発達障害者』だと皆にしられたくなかったからだったそうです。 Y君が小学校の頃、うちは母子家庭だった為、私が働いていましたが、次第に(小3頃からだったかな)、学校でY君の手がつけられなくなったりすると、職場に電話をかけてきての繰り返し。終いには「帰していいですか?」と。仕事は遅刻早退欠勤が増えました。もちろん収入も減りました。 学校もY君もですが、暴れる→手に負えない→帰りたがる→親の職場に連絡をする→子供を家に帰す。 学校からは、介助員がいるにもかかわらず、「お母さん、たまには学校にきてY君の様子みてみたら?」って校長が。 副校長からも2回ほど、同じような事を言われ「うちは、私がはたらかないと生活していけないので」と伝えると、「生活保護だってあるでしょ」だって。 ビックリ(@_@) そのような発言が、まわり回って、マスコミ新聞社記者さんの耳に入り、4時間前後にわたって取材を受けた事がありましたが、その時のテーマとのズレがあったのと、まぁ、内容的にマズイかんじだったのかな?新聞には載りませんでした。 そのうち、全く眠れない日が続くようになり、気力もなくなり、しょくよくもなくなり、それでも仕事がすきだったの通っていましたが、ある日突然、昨日まで通えていた職場にいけなくなり、外にも出れなくなり、好きだった曲も聴けない、涙ばかりが流れてくる・・・そんな状態になってしまいました。 そして今だに、鬱病と闘ってる?付き合ってる?状態です。 ちなみに、Y君は現在特別支援学校の高等部へ入学して、義務教育時代殆ど不登校でしたが、「自立をしたい」「働きたい」「お母さんを助けたい」という思いが強く、少しずつですが、自分から学校に行く日が出てきています(^_^)v |
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今日で また ひとつ
歳をとりました 40歳です はやく うつ病治したいな 一時期よりは 少し落ち着いてます |
コメント(1)
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皆さんにご心配おかけしました。
少しだけですが、落ち着きました。 なかなか、話し相手がいないのは辛いもので… |





