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最高裁判所への上告から間も無くして決定文書が届いた。
弁護士の話では、決定までに数ヶ月、もしくは半年あまりの時間を要するかも知れないとの事だった。
時間は幾らかかっても良い、時が掛かっている間は、竜介の冤罪を覆す事ができる可能性がある。
そう思っていた。
その余韻に支払った印紙代、弁護士費用と理解していたのかも知れない。
しかし、それら全てを否定する時間の短さだった。
「棄却」
司法的処置として、出来ることの全てが終わった。
弁護士からの連絡が入る。
「やはり駄目でした。残念ですが……」
弁護士の声には、すでに次の案件が頭にあるのか今までの口調と違った冷たさがあった。
私は、父親としての無力さを思い知らされた。
その時、思った。
私に事故に対する知識が一切無かったら……
その日の生活にさえ困窮するような状態だったら……。
この事故は、何の疑惑も感じる事なく一つの交通事故として処理され、二度と顧みる事の無い記録として埋もれてしまっていた。
表面に出る事無く、真実が埋もれたままに責任を負わされ、涙している同じような交通事故遺族が数多く居る筈だ。
警察組織のあり方を国民の声で変えていかねばならない。
現在の警察行政のあり方、捜査方法は、正義とは言えない。
警察職員が畏怖を抱くのは、警察内部の立場的上下意識、階級だけなのだ。
組織にさえ在籍すれば、たとえ過ちや誤認があったとしても、一員としての自分を守ってくれる。
そうした間違った自負心が、組織外の人間に対しては傲慢、横柄な態度となり、一旦、決定した物事を修正したり、謝る事は無い。
この組織に正義感や緊張感を根付かせるには国民の声が必要だ。
警察職員の大変な仕事内容は理解しているが、人の過失責任を問うための真実の確認には、慎重に慎重を重ねなければならないのだ。
現場検証を一警察官の感性に任せていては、重大な錯誤や、利権によっての思惑が生まれ、さじ加減が加わる危険性がある。
重大交通事故には、目撃者証言は勿論の事、第三者機関による理工学的鑑定が絶対必要不可欠だ。
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