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最高裁判所への上告から間も無くして決定文書が届いた。
弁護士の話では、決定までに数ヶ月、もしくは半年あまりの時間を要するかも知れないとの事だった。
時間は幾らかかっても良い、時が掛かっている間は、竜介の冤罪を覆す事ができる可能性がある。
そう思っていた。
その余韻に支払った印紙代、弁護士費用と理解していたのかも知れない。
しかし、それら全てを否定する時間の短さだった。
「棄却」
司法的処置として、出来ることの全てが終わった。
弁護士からの連絡が入る。
「やはり駄目でした。残念ですが……」
弁護士の声には、すでに次の案件が頭にあるのか今までの口調と違った冷たさがあった。
私は、父親としての無力さを思い知らされた。
その時、思った。
私に事故に対する知識が一切無かったら……
その日の生活にさえ困窮するような状態だったら……。
この事故は、何の疑惑も感じる事なく一つの交通事故として処理され、二度と顧みる事の無い記録として埋もれてしまっていた。
表面に出る事無く、真実が埋もれたままに責任を負わされ、涙している同じような交通事故遺族が数多く居る筈だ。
警察組織のあり方を国民の声で変えていかねばならない。
現在の警察行政のあり方、捜査方法は、正義とは言えない。
警察職員が畏怖を抱くのは、警察内部の立場的上下意識、階級だけなのだ。
組織にさえ在籍すれば、たとえ過ちや誤認があったとしても、一員としての自分を守ってくれる。
そうした間違った自負心が、組織外の人間に対しては傲慢、横柄な態度となり、一旦、決定した物事を修正したり、謝る事は無い。
この組織に正義感や緊張感を根付かせるには国民の声が必要だ。
警察職員の大変な仕事内容は理解しているが、人の過失責任を問うための真実の確認には、慎重に慎重を重ねなければならないのだ。
現場検証を一警察官の感性に任せていては、重大な錯誤や、利権によっての思惑が生まれ、さじ加減が加わる危険性がある。
重大交通事故には、目撃者証言は勿論の事、第三者機関による理工学的鑑定が絶対必要不可欠だ。
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無題
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本日、広島県呉市に商用で出張。
往復700km、家内同行。
天候が少し心配だが、早朝に京都を出て、夜、帰着予定。
一月程前に、大崎上島、下島に旅行して御手洗の町並みを観光してきた。
上島の温泉旅館は瀬戸内に浮かぶ橋の無い島として宣伝されている。
少年の頃、尾道駅前から出る「御手洗行き」と書かれた定期船を見る度、「おてあらい」って……?と、思っていたが「みたらい」と読むそうだ。
青春期を過ごした因島と同じく、江戸時代から瀬戸内を行き交う船の風待ち港として栄え、今でも往年の面影が寂れた家並みに残る。
今回の予定を考えると観光には無理があるが、帰路の時間を見ながらの小旅行。
出発!
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弁護士も、すでに勝敗の見えた案件にけりを付けたかったのだろう。
私の心の整理を付けた返事を催促している。
最高裁上告期限まで、あと数日……。
家内に相談すると目に涙を溜めて「もう止めましょう……」と言った。
俯いたままで言葉を続ける。
「お墓にお金もいるし……、これ以上の出費は……」
困窮する我が家で一千万程の裁判費用は大きすぎる。
しかし、行政も誰も助けてくれない。
ありありと冤罪と分かると言うのに……だ!
情けない……
これだけ確かな事故鑑定書があると言うのに……
Nシステムの情報さえ確認できれば、簡単に真実が分かると言うのに……
京都府警九条署、二名の警察官が作成した実況見分調書は、決して覆す事ができない。
私は口惜しさに涙が溢れた。
「社会正義、礼節、道徳を重んじる」
子供達を前にして、人としての道を笑顔で説いていた竜介の言葉を思い出す。
事故の真実を確認するために、これで終わらせる訳にはいかない。
たとえ、金を溝に捨てるような結果になっても良い。
私は最高裁判所への上告を弁護士に告げた。
最高裁判所への上告手続きはセレモニーのようなものだったかもしれない。
竜介の理不尽な事故内容に対しての納得しきれない最後の抵抗だった。
弁護士から上告手続きが終了したとの連絡があり、最高裁判所の書類受理の報告書が提示される。
全ては静かに静かに行われた。
話題になる事も無く、竜介の死は過去へと消えて行った。
口惜しさに胸を押し潰されそうになりながら、何処に向けて怒ればいいのか分からないままの憤怒が燻った。
日本の冷たさが……
日本の怠惰な行政組織が……
日本のおざなりな警察機構が……
竜介の命を闇に葬った。
闇の向こうに、西濃運輸、高橋英則や京都府警九条署、林田警察官のほくそ笑む顔が見えた。
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旅番組で、大阪御堂筋が放映されていた。
伏見中書島から京阪電車に乗って四十分程、淀屋橋で電車を降り、地上階に上がると、御堂筋通り、土佐堀川を渡って堂島の弁護士事務所に向う。
何度、この御堂筋を歩いただろう。
行き交う人群れを肩で分けながら、暑い夏も、木枯らしの冬も、幾つもの季節を歩き続けた。
「どうされます、大阪高裁での結審がこの結果では、たとえ最高裁へ持ち込んでも、99%棄却されてしまいます。費用から考えても無駄だと思います……、残念ですが……」
大阪高裁での京都地裁追認を受けての弁護士事務所内、沈黙が続く。
このまま上告期限までに、大阪高裁の結審に異議申し立てをしなければ、全てが確定する。
西濃運輸、高橋英則の大型貨物車に追突されたにも関わらず、「対向飛び出し正面衝突事故」として加害者の立場で処理された息子の無念を思うと、このまま結審させる訳にはいかない。
私は俯いたままで何も言えなかった。
司法、行政の曖昧な取り扱いに、ただ虚しさと怒りだけが心に溢れた。
最高裁上告には印紙代だけで80万ほど……
弁護士手数料も数十万必要だ。
京都地裁、大阪高裁での裁判で、すでに多額の資金を費やした。
息子はあらゆる税負担をしてきた……
これが真面目に納税してきた者に対する行政対応なのか!
そこには、無機質な司法の冷酷さだけがあった。
正義と司法は=では無かった。
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青空を見上げると、竜介の笑顔を思い出す。
朝を告げる家内の大きな声と、あくびをしながらの間の抜けた子供達の返事。
朝食が済み、子供たちの登校準備が始まる。
大きいカバンを背にして、二才上の長女が竜介の手を引き小走りに走る。
つまずきそうになりながら、手を引かれた小学一年生の竜介が後を追う。
「待って!お姉ちゃん!」
竜介の小柄な体が、か細い声で叫びながら後を追う。
姉が振り返り「早く!早く!」と急かす。
大きなランドセルで姿の見えない二人が、黄色いボウシを左右に振って朝もやの中を駆けて行く。
まるでランドセルに手足が生えたようだ。
走る二人の姿が小さくなって行く。
見守るように二人を見送ると、家内が、さてと言う顔で次男を抱きかかえた。
おしめの入ったバックを持ち、次男の手を私に向けてひらひらと振る。
「行ってきまーす」
保育園へ出発。
そんな穏やかで優しい時代があった……
今……
長女も次男も、それぞれ家庭を持ち、竜介は年を重ねること無く、写真の中で笑みを浮かべている。
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