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幸四郎の日記
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旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「大内裏及聚楽第東濠跡 」を紹介したい。
 
場所は中立売り大宮の交差点北西角の民家の横に建っている。
 
中立売り通りに面する南側は「聚楽第址」と篆刻されている。
イメージ 1
 
大宮通りに面する東側には「此付近 大内裏及聚楽第東濠跡」と彫られている。
 
イメージ 2
 
説明文などを記載した銘板等は見当たらなかった。
まぁ、石碑に彫られている通りのものだろう。
まぁ、この辺りはだいたいが大内裏の跡であり、聚楽第のあとでもある。
 
市バス「堀川中立売」下車
 
近くに「一条戻り橋」があります。よかったらついでにどうぞ
 
「跡」と「址」の違いは何かと調べてみました
「跡」・・・・・以前に何かが存在したしるし
「址」・・・・・建物の土台・あと
 
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「平安宮大蔵省跡」を紹介したい。
 
場所は前回の「唐津小笠原藩邸跡」の石碑から少し東に行ったところで、この石碑も正親小学校の敷地にあります。
 
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大蔵省は令制八省の一つで、多くの倉庫があった大蔵を合わせて平安宮の北八町を占めていた。出納・収納・度量衡などを職務とし、諸国から貢進される調庸・銭ないし金銀以下の貢献ものを正倉などの倉庫に収め、官人給与の禄やさまざまな財源に充てられた。
大宿直は平安宮内に置かれた内裏警護人の詰め所で1町の規模があった。長和三年に焼失し、内蔵寮・掃部寮なども類焼している。
なお、正親小学校の校内は大蔵省跡、東は大宿直跡に当たり、さらにこの付近は安土桃山時代に築かれた聚楽第の本丸西濠跡にあたる場所である。
市バス「千本中立売」もしくは「智恵光院中立売」下車
 
わざわざ見に来てもしょうがないと思う
 
 

 
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「唐津小笠原藩邸跡」を紹介したい。
 
場所は、中立売通千本の交差点を少し東に行くと南側に正親小学校がある。
そこに建っている。
 
イメージ 1
イメージ 2
 
まぁ、ここに唐津小笠原藩邸があったということなんだろう。
唐津藩というと現在の佐賀県唐津市あたりになるようです。
 
 
市バス「千本中立売」下車
 
 
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「禁裏道場蹟」を紹介したい。
 
まず、この石碑が立っている場所だが、先日の「西陣碑」を西に5分ほどありたところ、北側にあります。
嘉楽中学校の正門の横に堂々とそびえています。ここも市バス「千本今出川」の西行きのバス停の前にあります。
 
この石碑も子供のころから知っていたのですが、「禁裏道場」というので、武道の道場があったのだと思っていたのですが、仏教の道場だったのですね。
 
後土御門天皇(1442〜1500)が幼少期に住んでいた伏見殿に仏閣を建立して勅願寺としたことに始まる。天台・真言・律・禅の四宗兼学の道場に擬されたため禁裏道場と呼ばれた。文禄4(1595)年,豊臣秀吉(1536〜98)の伏見城造営に伴い現在地に移された。この石標は禁裏道場跡般舟院を示すものである
(京都市HPより)
 
関東大震災の時に大破した鎌倉の建長寺の要請で禁裏道場般舟院である講堂と正門を寄付したそうです。
そこで、ゆうしょある土地に嘉楽小学校(現中学校)が建っている記念するものがなくなったのでそれに替る碑を昭和15年に嘉楽校同窓会が建立した物らしいです。
 
イメージ 1
 
まぁ、わざわざ見に来るものでもないと思いますが西陣散策の折にでもご覧ください。
 
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「西陣碑」を紹介したい。
 
この石碑は、結構存在感のあるものなのでご存知の方も多いと思う。
場所は、市バス「今出川大宮」の西行きバス停の前にあります。京都市考古資料館の入口横に建てられています。この建物は前は西陣織会館でした。
 
さて、西陣というと何を思い浮かべられるでしょうか。
やっぱり西陣織のイメージですかね。
京都に住んでいるときに他の地方に遊びに行ったとき京都のどかから来たと尋ねられると最初のうちは細かく言っていたのですが、相手もよくイメージできないらしいので「西陣あたりです。」と言うとすごく納得していただけました。
 
この西陣っていうのは、応仁の乱で西軍方の陣が敷かれたことに由来しているそうです。でも、東陣って言わないよなぁ。
西陣というのは東は堀川通り、西は七本松通り、北は今宮神社御旅所、南は一条もしくは中立売通で囲む一帯らしいです。オイラが住んでいたのは西南端よりもちょっと南になります。だから「西陣あたり」なんです。
 
子供のころは、路地を歩いているといろんなところからカシャカシャと織り機の音がしていたんですが、小学校の頃、織り機が一斉に処分されて以来どんどん町から機織る音が消えていきました。
 
イメージ 1
イメージ 2
 
東に少し行けば行けば京菓子の「鶴屋吉信」西に15分程歩けば「北野天満宮」があります。
西陣あたりの散策のついでで見るもいいかもしれません
 

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