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幸四郎の日記
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旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「平安宮内裏弘徽殿(こきでん)跡」を紹介したい。
 
前回紹介した「平安宮内裏内郭回廊跡」を少し東に行き、八百屋さんを左に折れ次の道を右に折れた北側にある京町屋の前にあるのがこの碑です。
イメージ 1
 
後ろの看板には、

内裏の後宮七殿五舎の一つ・当初は北の登華殿とともに女御・更衣の共同居住区の西町にすぎないかったが、後宮の中心であった常寧殿の機能を引き継ぎ、清和、陽成天皇時代には一時的に天皇の居所にもなった。南北七間、東西二間の母屋の中央東西に馬道が通り、その北に塗籠があった。
後宮の中でも重要な殿舎であり、「源氏物語」では朱雀院の母の弘徽殿女御が住み、女御は、光源氏の母の桐壷更衣が帝の寵愛を受けているのを恨んで執拗な嫌がらせをして死に至らしめた。のちに女御の妹の朧月夜がここに住み、光源氏と塗籠で結ばれたことが源氏の須磨隠棲の原因となった。
 とあります。
 
イメージ 2
 
この石碑の向かいには「平安宮清涼殿跡」の看板があります。でも石碑はないです。
 
イメージ 3
 
京都市バス停「千本出水」降車南に歩き電気屋さんを東に入ってすぐ
(千本通新出水東入ル)
 
この「源氏物語ゆかりの地」という看板は2008年に源氏物語千年ということで作られたそうです。
石碑は平成18年に建てられた比較的新しいもののようです。
 
こんなとこみてもしょうがないだろうな。
 
 
 
 
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「平安宮内裏内郭回廊跡」を紹介したい。
 
場所は、前に紹介した大極殿跡の千本丸太町から北へ歩いて5分ほど行くと下立売通りにでるそこを左折して少し歩くと右側にある。向かいは銭湯である。
 
イメージ 1
イメージ 2
 
これは今朝撮影したんだが、フェンスが新しくきれいになっていた。あの錆だらけのフェンスから変えたのだろうか?いつも通っていても気にしてなかったので気が付かなかった。
 
後ろの看板によると大極殿の東北に内裏があり築地回廊で囲われていた。その回廊のがあった場所だという。(おいっ、簡略しすぎだろ)
どうやら内裏の確実な遺構としては唯一のものらしい。
 
イメージ 3
イメージ 4
 
フェンスの中は前に紹介した豊楽殿跡と同じようにこんな具合になっています
 
イメージ 5
 
こんなとこ見に行くやつほとんどいないだろうな。
 
4月10日まで京都御所の一般公開をやっているそうです。
この期間は予約をしなくても御所の中を拝観できますよ。お暇な方は是非足をお運びください
 
 
 
 
 
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「平安宮西限 藻壁門跡」を紹介したい。
 
イメージ 1

 
前回紹介した「平安宮跡豊楽院跡」を少し西に行った所、丸太町通御前通の交差点にある。
京都市立朱雀第二小学校のフェンスの中にある。
 
イメージ 2
 
どうやら看板によると平安宮には、14の門があり、ここは最も西で南から2つ目の門があったらしい。
藻壁門(そうへきもん)という名の門でこの門を入ってすぐ東南に左馬寮があったそうだ。
 
 
ちなみにここの町名も左馬寮町という。
場所は、市バス「丸太町御前」おりてすぐ。
 
イメージ 3
こんなところに観光に来るやつはおらんだろう。
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「平安宮跡豊楽院跡」を紹介したい。
 
七本松丸太町の交差点から1本南の通りを東に入っていくと道の両側にフェンスで囲まれた空地みたいなところがある。そこがそうである。
イメージ 2
 
 
 
イメージ 1
北側の石碑
 
前に紹介した朝堂院が国家的な儀式を執り行う場所でこの豊楽殿が天皇の饗応を行うために造営されたものらしいです。
オイラは朝堂院に高御座(たかみくら)が置かれていたと思っていたのですがどうやらこの豊楽殿に置かれていたそうです。そこからでもこの建物の重要性が見えてきますね。
イメージ 3
北側の説明看板
 
イメージ 4
北側の中はこんな感じ
 
イメージ 5
南側の石碑
 
イメージ 6
南側、真ん中に井戸のようなものが見えます
 
子供のころは、ここはただの民家だったんですけど発掘調査でこんなものが出てきてしまったようです。
そのころ夏になると○日がつく日には夜店が出てよく行ったものでした。
 
一応、国の史跡に指定されているそうですが、すっごく地味なんでよっぽど好きな方でないと訪れないと思います。
 
JR二条駅より歩いて10分ぐらい・市バス「七本松丸太町」降りてすぐ
 
旅行に行くと観光名所に立ち寄る。
で、ガイドブック片手に行くとそこには「○○跡」という石碑が立っているだけということがよくある。
おいらが育った京都でも「○○跡」という石碑はあまり目につかないのだが、結構町中にある。
で、今日は「旧二条城」を紹介したい。
 
二条城というと先日まで放映していた「龍馬伝」でも、大政奉還がらみで出てきたし、当然、日本史の教科書にも出ている江戸時代の幕を引く舞台となった城である。

現在の二条城は、徳川の時代に建てられたものらしい。
 
オイラは二条城の裏の学校で中学と高校の6年間を過ごしたのだが、中に入ったことは1回しかない。
 
で今回の石碑はここではなく「旧二条城跡」である。
イメージ 1
 
場所は、御所の西、下立売通と室町通の交差点の角にある。
 
イメージ 2

碑の後ろにある説明書きによると織田信長が第15代将軍足利義昭のために建てた約390メートル四方の城だったようだ。
現在の二条城は確かお堀の周りが1.8キロメートルだったと思うので現在の城より少し小さいぐらいなのかな。
ちなみにオイラの中学・高校時代、体育の事業でよく二条城の周りを走らせられた。
まぁ、ここも見に来るやつはいないだろうな。
 

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