大正生まれのおじいちゃんの蛍雪日記

盧溝橋事件についてはこちらをまずお読みください→http://www002.upp.so-net.ne.jp/keisetu/

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実弾か空砲か

支那駐屯軍の八中隊(清水隊)は、普段でも薬箱(やくご)というものを腰に右左一個ずつつける。
左には、実弾がその時の情勢により30発前後を入れ、
演習の場合は、右には30発の空砲を入れて、行動しておりました。
(夜間演習当日も実弾30発と空砲30発を持っていたということ。)

盧溝橋の夜間演習には全員空砲も含めて一発も撃たない。
なぜなら夜間演習には敵が見えない場合であるから、撃つことはない。

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「なぜなら夜間演習には敵が見えない場合であるから、撃つことはない」。おじいちゃんのこの証言に目からウロコが、落ちた思いです。軍事知識のない私は、なんとなく夜間演習でも小銃の射撃を訓練として行うような感じがしていましたが、たとえ、訓練でも暗闇の中で小銃を撃ちようがないのですね。勉強になりました。私を含め、戦後の人間は、徹底して軍事常識が欠けていますので、議論してもおかしな議論になってしまうのですね。屋根の上のミケより。

2005/11/22(火) 午後 6:23 yan*na*tya*yo

おじいちゃんに ぜひ うかがいたい質問があるのです。実は、手榴弾の呼び方のことです。普通、テレビのニュースなどを見ていると「しゅりゅうだん」と呼んでいます。ところが、すでに亡くなったわが家の年寄りは、内地で招集・訓練を受け、中支に六年いましたが、自分たちは「“て”りゅうだん」と呼んでいたと主張していました。この呼び名の違いについて、おじいちゃんに何か お聞かせ下さることが、ありましたら、ぜひ、お教え下さい。 屋根の上のミケより。

2005/11/22(火) 午後 6:29 yan*na*tya*yo

この記事を改めて読んで、ある記憶が蘇りました。25年前、私は交通事故にあって、入院していました。そこには、傷病兵の方が多く入院されていました。中国大陸で負傷した方が4名いらっしゃいました。その方から聞いた話です。『行軍する時、腰の両脇につける弾の箱が重くてなぁ・・・休憩の時に、上官の目を盗んで捨てたもんだよ(笑)』と。『弾なんか捨てたら、戦争できないじゃないですか?』と問う私に、『だって、そんなに弾撃たなかったしなぁ』と。その重い弾の箱も、30発しか入っていなかったのですね。

2005/11/24(木) 午前 0:07 もあい。

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1898年にドイツが山東半島の膠州湾、ロシアが遼東半島の旅順・大連、イギリスが九龍半島・威海衛、フランスが広州湾を租借地とした(瓜分の危機)

北清事変と支那駐屯軍の設置

清の敗退によって中国で「扶清滅洋」を叫ぶ宗教的秘密結社義和拳教が、排外主義の運動を展開した(義和団の乱、北清事変)]。
北京の公使館員や居留民保護のため8ヶ国連合軍が北京に進出し、日本軍が中でも最大の兵力8000人を投入した。
北京は連合軍に占領され、北京議定書によって清は賠償金と、北京周辺の護衛は外国部隊が任務にあたることになった。
日本は北京と天津に清国駐屯軍(後に支那駐屯軍)を設置した。
これはのちの日中戦争初期の主力部隊となる。
またロシアは満州を事実上占領する

2017/2/18(土) 午後 3:08 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]


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