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昭和・平成・令和と時代が過ぎて行った中で、昭和時代では22年に安さんが産声を奈良で上げました。その年に日本国憲法が発布されて「平和」の日本が誕生したのです。ところが東京の新宿にあった帝国銀行に毒殺で銀行強盗が起こったのです。終戦まじかの時代の出来事で、赤痢など法定伝染病を利用して犯人は銀行員などに毒を飲ませたのです。10数人を殺害するぐらいの大事件でした。

イメージ 3 日の出を東の空から眺めています。今日の音楽は「スリランカ」の民謡です。朝日を見ながら東南アジアのスリランカの音楽を聴きながら眺めているのです。戦後2年しかたっていないどさくさの時代に、軍部関係者であった731部隊所属の元兵士が犯人と推測されていましたが、画家の平沢氏が犯人と決めつけられていったのです。実際は犯人は誰だったのかは確かなことは不明なんです。細菌を研究していた731部隊の事は、詳しく発表されると日本国の汚名が傷がつくと考えられたので、むやむゃになっていったのです。そこで新犯人を作り上げたのが平沢画家だったのではないかと疑ったのですね。

日本国が戦後から立ち直ったのが昭和39年の経済成長が著しく伸びた時代と東京オリンピックの40年からなんですね。東海道新幹線が開通して世の中が一変したのです。東京にビルが立ち並び、働く人の手が足らないほどビルの建設ラッシュが始まったのでした。歌では「山谷ブル−ス」が流行しましたね。この時代は、働く者の天国だったのです。

安さんも昭和40年に奈良県庁に就職して公務員になっていったのです。はじめのころの給料は安くて初任給が14,000円だったのですね。苦しい私生活でしたが職場環境は楽しかったことは記憶に残っています。

イメージ 1 その年の夏休みを利用して、福井県の小浜に海水浴に行った時の写真です。

何よりも最初の職場が「奈良県税事務所 不動産取得税係」でしたね。職場では先輩たちとの絆が素晴らしかったことが、今に至っていると言っても過言ではないぐらい、雰囲気の良い職場でしたね。

先輩たちの、真心こもった教え方により職場の雰囲気や私生活が素晴らしかったのは言うまでもありません。その後土木部河川課に異動して美人の彼女と知り合うのですね。大恋愛が始まったのです。いつも職場から帰るときは安さんの愛車で自宅を向きながらデ−トを繰り返していましたね。奈良市登大路にあった文化会館から愛車に乗って帰宅していましたね。桜井の三輪神社の参道がデ−トの落合場所でしたね。

本当に毎日の出来事でしたから、昼の弁当は作ってくれていた日も再三ありました。ベント箱にラブレタ−が入っていてので、それを見ながらおいしい食事をさせてもらっていましたね。奈良県庁の1階にあった県民ホ−ルに午前11時50分ごろに受け取りに行っていましたね。たしかに料理学校に通っていた彼女の手料理はおいしかったですね。色々なバラエティに富んだおかずでしたね。一度河川課の職員であった先輩に弁当を食べてもらったときに、手紙のことを忘れていたために、公表されたのです。愛しています、親愛なる好夫さんが一番好きですと書いていたらしいですね。

結婚するまで奈良県庁の職員様にはわかっていなかった彼女なんですね。宝物として安さんは扱っていたのです。初めてのキスや婚前旅行は、和歌山の串本で早朝のドライブで、「ガ・ファンクル」のボクサ−を聴きながら海岸を走り続けたことを思い出されます。彼女はギタ−を引いて僕に音楽を教えてくれていましたね。7年後に親の反対で伸びていた結婚が挙行できましたね。その時の司会者が「櫟本の塚本係長さん」でしたね。

彼女にプロポ−ズしたのが昭和45年の春でしたね。東向通りの喫茶店でお会いしたのです。付き合ってくれませんかと言ったときに、彼女は泣きながら「養子娘」なので、結婚前提のお付き合いしかできませんと言われました。数日たってから、お付き合いしてくださいと申し込んだのです。実に楽しいデ−トが日々続きましたね。

初めての観光デ−トは、嵐山でしたね。「紅葉定食の天ぷら」をいただきましたね。その後のデ−ト場所は、天理高校の練習グランドで観戦しながら時間を過ごしていましたね。彼女との気が合ったのは何だったのかと、訪ねられたら、彼女と一緒にいる時が落ち着きが出来ていたと思っています。喧嘩も何回もしました。原因は、安さんの暴言でしたね。お酒好きな安さんは彼女は知らなかったはずですね。

毎日会わないといけなかった二人の仲だったのです。電話で声も何回も聞きたかった心境に陥っていた二人でしたね。

彼女に縁談が持ち掛けられましたが、彼女は断り続けていましたね。とうとう決断する時期が安さんに来たので、桜井の自宅に赴き、彼女と結婚、すなわち養子縁組をしたいと申し込みましたが、両親から断られたのも事実なんですね。僕が29歳で彼女が26歳になったのと、両親の理解も得たので結婚する事になったのです。共済組合の「春日野荘」で結婚式が執り行われたのです。

しかし、わずか3年で離婚や子供を亡くす運命になるなんて、想像もできなかったですね。

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イメージ 2 たった3年の命で終わった「昌徳君」は哀れな子供でしたね。冥福を祈っています、父よりの言葉です。

イメージ 5 令和の時代になって、ゆっくり眺めた太陽ははち切れそうなまぶしさを持っていましたね。安さんも若さ一杯の力を込めて生き抜いていきます。余生を楽しみたいと思っています。

今の現実を取らまいての考えでは、心に残る彼女(バツイチ女)が桜井で一人生活している事が気がかりなんです。歳も歳だし62歳は決して若くはないですね。ついつい一人での生活では、もしもの事が起これば、だれもいないときの危険を察知しておかないといけませんね。僕が愛車に乗って、もしもの時には助けに行きますから、安心していてください。油断は大敵ですから、常に目線は桜井に向けていますよ。

よく夢の中に出てくる年増の女性なんですが、気立てがよく安さんを愛してくれているはずですね。いつまでも待っていますから安さんの体に飛び込んで抱きしめてくださいと言ってほしいですね。


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