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本の「歴史再検証 日韓併合」(崔基鍋 チェケイホ)を読むと、日韓併合時代に、朝鮮の人口は、倍増したとある。韓国の教師用国定歴史教科書によると、日韓併合時の1910年は、1313万人。それが32年後の1942年の人口は2553万人で、併合時の倍近くになった。とある。
その訳として、階級性の払拭、法制度の整備と裁判制度、私有財産制度の確立、インフラ整備で経済の活性化、教育、医療の近代化などとしている。
そう言えば確かに、北朝鮮などは、小泉訪朝時は2400万人と言われた人口が、餓死や脱北で現在は、どうも1800万人位しか居ないらしい。経済がダメだとこうなるのだろう。一方併合後は、経済が豊かになったことは、確からしい。なのに、韓国は、一方的に悪者日本と罵倒するが、この辺が理解できない。
著書「歴史再検証 日韓併合」(崔基鍋 チェケイホ):
この本は、AMAZONで550円で200頁ほどの本、送料は掛からなかった。著者は、「現在の韓国の教科書が教えていることと、日本統治の実態とは、あまりにもかけ離れている」とし、「韓国側の歴史観は、歪曲がはなはだしい」としている。 |
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チッソの高い技術開発
創始者に東京帝大電気工学科出身の技術者を持つチッソは、昭和30年代において、日本の化学工業の最先端を行く企業として、また技術者を大切にする企業として応用化学を専攻する学生の間では評価が高く、トップクラスの学生しか入れないという状況であった。
確かに、その歴史は、常に新しい技術を自社で開発してきたことを示している。昭和7(1932)年、橋本彦七氏らは、アセトアルデヒド製造技術(母液循環法)を独自に開発し、ここからブタノール、酢酸、酢酸エチル、無水酢酸、酢酸繊維素、酢酸ビニールなどの製品化に成功した。
昭和16(1941)年には、日本で初めてアセチレンから塩化ビニールの合成に成功している。
水俣工場は、アセチレン有機合成化学の開発工場であり、戦前の日本化学工業界の技術をリードする存在であった。
チッソは、水俣工場で開発されたこれらの技術を使って、朝鮮咸鏡南道に建設した興南工場を中心にして、東洋一の電気化学コンビナートを造り上げた。
2012/6/16(土) 午後 7:50 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]