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走路有風〜 書斎からの景色
Photos & Texts (C)Narutaka Sakano 転載厳禁 *著者への連絡は上の「メッセージ」にお願いします
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(黒い塊に十キロくらい。これがあとさらに三つあった)

中国人が東京湾で牡蠣を大量にとり、殻を捨てることでトラブルが報告されている。先日、横浜市内で唯一の海水浴場がある某所で、ご覧のように大量の牡蠣をとっている中国人五人組を見た。公園管理者が警察を呼んでも無視して再来したといい、聞けば、この汚い水域でとった牡蠣を横浜中華街に卸すのだという

自分たちで食べるなら問題ない。しかし中華街で売るというのは初めて聞いた。
新中国人が大量にいついて大きく質の低下した横浜中華街だが、牡蠣料理を注文するのは命がけとなった。。。。


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台湾人女優・余貴美子が防衛大臣役を勇ましく演じた大ヒット日本映画「シン・ゴジラ」。ほお、有事の際には、防衛大臣が自衛隊の諸事を掌握・理解し、総理に提案の上で攻撃等の決断を迫るのか、と「初めて」知ったひとも多いだろうが、私もそんなひとりだった。

ということは、稲田とかいう、大阪の森友学園騒動ではちゃめちゃぶりがクローズアップされている本物の防衛大臣のおばちゃんには無理だろう、と思うのも、私だけじゃないだろう。

しかし台湾のひとたちは、勇ましい余さんの姿に重ねるように、この極右政権に多大な期待を今でもしているのだから、こちらは嘆息しかでてこない。

反中で親台ならそれでいいのだから、日本に共産党と民進党その他左翼の政権ができるよりははるかにマシ、という考えが台湾の本島人には多い。安倍はすばらしい、天才、頭がいいというひとがけっこう本島人にはいるのである。

無論、中国との関係上、自ら情勢変化できず、イデオロギー的になるしかない台湾人の悲しいサガだが、それって、日本も同じじゃないか?

執筆のため明治時代の勉強を続けているのだが、日本では封建的な考えやシステムが明治時代からほとんど変わっていないことに気づく。男尊女卑、酒、タバコ、性風俗の対処に甘いことから、果てはアジアでの優越感。足元にあるのに見えていない流れがずっと続いている。

戦前回帰への不安もそうだ。ゴジラが中国にでもなって、戦争が起こるような時代ではないし、見えない流れの上で、無用な心配ばかりを日本人はしているように見える。あの戦争で日本人が教わったのは、軍閥の暴走を二度とさせないことなのだろうが、今はそんなものはいないし、アヘがまさか軍閥? そうなら、日本人全部が軍閥に見える。

この十五年ほど、二大党政党のどちらかを選ぶことでバランスをとれる台湾がうらやましい、と思う日本人は、もしかすると私だけか?

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新年が安和豊富でありますように。

 先月、台湾では2015年にヒットした台湾のドキュメンタリー映画「湾生回家」の元本の女性台湾人作者に関する出生疑惑(実は2013年から噂されていた)が話題になっていた。
 台南出身の彼女は日本生まれの日系人だというのが、まったくのでたらめで、すでに前述の頃在台の日本人新聞記者に暴かれていたらしい。しかし台湾では誰もそんなことを気にする人はいなかった。しかも、一昨年から去年にかけて彼女の取材と本をもとにした映画がつくられヒットし、元本も異例の大ベストセラーに。それでも、である。
 なぜかというと、大半の台湾人は「湾生」というその本と映画のタイトルの意味を知らなかったからである。
 これは「台湾生まれの日本人(内地人)」という意味だ。
 本と映画の内容は、台湾生まれの日本人の生き残りの人々が台湾へ「里帰り」をしたり、反対に台湾の「残留湾生」が日本へ里帰り(墓参り)するというもの。ともにアイデンティティを台湾に持つ日本人が葛藤してきた生涯を浮き彫りにし、胸に迫るものがある。
 しかし「湾生」の意味がわからないながらも、本と映画はヒットし、奇妙な「日本人化け」をした作者(30代)の嘘も気にしないのは、台湾らしくて笑える。嘘を認めたのがしかも映画封切の一年以上後で、人々が忘れた頃であるのも、その台湾人の忘却性(無論日本人にもあるが)を狙っているのだろうか。
 どうであれ、「湾」をつけた様々な言葉が当時使われた。「湾妻」は台湾でつくる妾で、内台人、玄人素人未亡人だれでも対象になって官吏を中心に領台間もなく使われたから、あきれる。湾妻の実の姉妹と同居して複数関係をもっているのも珍しくなかった。数年から五六年で内地へ戻った彼らにとって、台湾は六割増しの給与を惜しげもなく魔酒と賤妓に使う安和豊富な地であった。

 後藤新平なら聞いただけで気持ち悪くなった「湾弁」は、台湾の弁護士である。統治初期の明治時代なら内地人しかいなかったが、彼らは督府を新聞などで筆撃し、内地で反六三法運動を繰り広げた。
 この他にも「湾」なんたらという言葉は多いが、一様に見下すために使われた言葉である。当時の植民地だから仕方ない。「湾生」も二流の内地人として差別的に呼ばれた。
 これを読んだ方も、それを知ってから映画を見ると、きっと違う視点で見られるかもしれない。

 これを読まれた方が、今年も再度、安和豊富でありますように。

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この7年ほどで、急速に、ようやく世界水準に近付いてきた台湾の様々なコーヒー店。そんななか、台北でサービスも中身も最低最悪のコーヒー店に行き当たった。
大稲埕のかつてのエロ街にある「森高砂珈琲館」という台湾コーヒー専門の高い店である。ガイドブックでも見ていこうと思ったら、やめておいたほうがいい。がっかりすること間違いない。サービスも中身も最悪である。

>この最悪店の場所:
號, No. 1延平北路二段, Datong District, Taipei City, 台湾 103

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戦争で負けて正式に領土割譲、賠償を含む終戦条約を国家元首の名のもと結ぶ。その敗戦国はしかし、条約締結直後から割譲地に大量の兵、武器を堂々と送り、領有にきた勝戦国に対し現地に傀儡政権をつくって抵抗。現地の元自国民には、勝戦国は「お前らの財産を全て奪い、女性はレイプして子供も皆殺しにする」と喧伝、義勇兵として参加を要請。しかし到着した勝戦国の軍は噂とは違い規律正しい。反対に自国の兵は掠奪強盗強姦が日常茶飯事。地元民が勝戦国を新しい統治者として受け入れ、義勇兵になることも辞退しようとすると、敗戦国側は辞退者を公開処刑にする。それでいて、自軍の将は苦戦とみるや、苦力や女性に化けて外国船で次々とドロン、自国へ夜逃げ。逃げ帰った自国で今度は連敗の戦をまったく逆の歴史に書き換え宣伝。。。これはイスラム国(IS)の話ではない。今から113年前、1895年に実際に台湾で敗戦国清と勝戦国日本のあいだで起きた冗談のような話である。

日清戦争に負けた清が、日本に割譲した台湾と澎湖諸島をめぐって、現地に兵器と兵を送って現地人による抵抗運動のように見せかけて騒乱を勃発、日本の征台を遅らせ、そのあいだにうまくゆけばロシア、フランス、ドイツによる三国干渉の再来のような干渉を引き出し台湾を取り戻そうとした。この「清国傀儡台湾共和国」による国際法違反行為に、日本は半年近い時間をまったく無用な戦いに費やし、多くの将兵を失った(台湾での病死4,600余名、戦闘死164名……対する傀儡側は戦死者約8,000名、病死者つまり大陸からの派遣清兵士で台湾の熱帯病に仆れた者はそれ以上の数=デビッドソンによる)。しかし我慢強く謙虚でプロパガンダのまだ下手な当時の日本人は、世界にその実情をうまく発信することができなかった。今でも、まるで「台湾共和国」が台湾人民衆により自主的に興り、台湾人が戦った(清兵ではなく)今の台湾独立運動の嚆矢のように台湾で言われるのは、プロパガンダ戦が現在でも続いていることを意味する。そこで、今日は当時アメリカで出版されたある本を紹介したい。

James W. Davidson(ジェームズ・ダビッドソン)という探検家、作家、貿易商、外交官の著した「 The Island of Formosa, Past and Present」である。

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ミネソタ州出身のダビッドソンは、21歳でグリーンランドや北極の探検隊に参加したあと、今度はにわか記者となって1895年に台湾に流れ着いた。まだ22歳という、今ならまだ大学出ほやほやの若さと無鉄砲さで、歴史的な日清戦争による台湾島の日本への割譲とそれに伴う清の傀儡でっちあげ政権「台湾共和国」(以下、「傀儡国」)による国際犯罪的な抵抗や清国内外向けのプロパガンダを現場において最初は傀儡国側、後に日本側に就いて従軍、目撃、記録した、興味深い人物である。

台湾では中研でこの原文の中国語翻訳作業が行われているらしいが、簡単にインターネットで探して全文を読むことができる。さっそく原文を読んでみると、興味深い部分がいくつかでてきた。

まず、「Formosa Campaign」と著者が呼ぶこの日本征台派遣軍による軍事行動は、英領香港や上海の外国新聞を巻き込んだ情報戦の走りとなっていたことがわかる。日本はかなり一方的に支那側にやられていたようで、傀儡国側の流す偽情報があまりに大量なため、その突飛さ、奇妙さもやがて外人記者を惑わし、傀儡国優勢との誤解記事まで書かせてしまったようだ。ダビッドソンなど外人記者は、傀儡国、日本軍どちらにも優遇され、そのときのホスト側に有利な記事を書く下地があったとも思われる。しかしダビッドソンが現地で目撃したことはそうした噂・偽記事等とは正反対の現実であり、やがて完全に支那側の嘘を見抜き、日本側の優秀さに感服していく。

傀儡国が日本軍を迎え撃つために集めた広東などからの清兵士およそ1万2000が基隆を守るため、台北から当時のはなはだ「立派」な汽車で基隆へ兵員移送をする群れにデビッドソンは同車するのだが、そのときの清兵の群れの様子が目に浮かぶような、面白い描写である。太平洋戦争で日本が敗け台湾に国民党軍がやってきたとき、ぼろぼろの格好をして家財道具一式を天秤に抱えた国軍兵士たちの姿が有名だが、まさに彼らも家財道具一式を抱え、ものすごい体臭をまきちらしていたという。将校専用車両などおかまいなく座ってくる兵、満員の汽車が上り坂をのぼれず降りるよういわれても誰も従わず、事故寸前の無謀な移動に、この米人記者も生きた心地がしなかったという。

基隆に着いた1万余の中国人兵士たちは、すでに設置されている丘の上の砲台などの基地に陣取る。兵器の質、物量、人員ともに膨大である。対する上陸の日本軍はわずかな手勢と陸戦兵器を持つにすぎない。しかし清兵たちは呆気なく敗走。堅持すれば日本軍に致命的な損害を与えられたはずの丘の上の大砲などもまったく使用することもなかった。まだ傀儡国軍の指揮系統が遁走する前であり、現場兵の士気の低さが最初から明白だったことを意味するが、傀儡国側のこのときの報告は、我が軍よく戦い、敵を多数倒した、というものだったらしい。しかしダビッドソンが調べれば、日本兵の犠牲はわずか3名。対して傀儡国側は250名。基隆から敗走する傀儡国側兵士たちが戦い殺したのはなんと味方であり、味方の野営地で50名を殺していた。日本軍にとってみれば、この清兵の質の低さが幸いしたのだろうが、日清戦争と同様、なんとも奇妙な日本の基隆占領の裏が少し見えてきて、興味ぶかい。

さらに、敗走する傀儡国兵士による台北府周辺における台湾住民に対する狼藉はすさまじかったという。これに対し台湾人は抵抗もしている。台北からほど近いある村では、金を払って食事の提供を求めた広東からの援軍兵士に対し、食事を与えた後、台湾人の村人たちは「都市部のほとんどは日本軍が制圧したから、武器をここに置いて行きなさい。そのほうが安全だ」と説得。兵士らも納得して、次々と武器を置いた。彼らは台南府に首都を移した傀儡国に合流するべく南下していた途中だったが、確かに武器を携えて入れば、途中日本軍に出会ったときに命の保証はなかった。すでに傀儡国の上層部はほとんどが部下を見捨て、苦力などに化けて大陸へ逃走していただけに、下っ端の兵士も台湾人農民に化けて移動、潜伏するのも方策だった。しかし最後のひとりが武器を放棄した瞬間、村人がいっせいに彼らを射殺したのである。

傀儡国「台湾共和国」は台湾民衆を扇動し、それがダメなら襲い奪う「支那人」の本性を映す鏡だったわけであり、これは台湾人の自己防衛の一エピソードといえるだろう。

だいたい、「台湾共和国」設立が台湾民衆とまったく無縁で、清の官吏の独断によるものだったことは、ダビッドソンが詳記しているところでもある。(以下、当方の概訳)
「共和国への指示が大陸の役人によるものであることは確実に証明されている。それは民衆の運動ではない。民衆は何も知らされず、共和国の組織化は最初から最後まで役人によるものだった。台湾の役人から大陸へ発せられた電報にある「民衆の意思」という言葉は、単に同情と支援を得るための虚言である。実際に、台湾民衆は政府告知を見ることによって何が起きているかを初めて知り、当局側が民衆に意見を求めることはもちろんなく、日本への反抗を奨励されるのみで、民衆から役人の行為に対する支持も求められることなどなかった」

傀儡国の発信したプロパダンガ情報にしても滑稽すぎた。例えば日本の軍艦に対し、爆薬をつめた竹筒をたくさん海に流すと、日本兵は「魚雷だ!」と驚き、それらをひろいあげ構造と調べようと分解し(著者は通常絶対ありえない対応、と書いている)爆発。その混乱のあいだに支那軍が襲って日本軍は降参した……あるいは無数の樽を海に流すと、日本兵はそれらが勇敢な支那兵が泳いで向かって来た(海面から浮かぶのは支那兵の頭)、とパニックに陥って逃出した、とアホすぎるプロパガンダが流され、うぶな台湾人は信じていたらしい。日本はお蔭で劣勢。さらに当然ながら日本人は残酷無慈悲で、我々から全てを奪う、だから清側につこう……。そうやって村がまるごと羊の仮面をかぶって日本軍を日の丸ふって招き入れ、その後狼に豹変し日本軍を襲った例もあげられている。各地で犠牲になった日本兵の首は(賞金のため)次の台湾人集落へ運ばれ、軍服や軍馬とともにさらされ、民衆洗脳の材料にも使われたという。

ダビッドソンのこの本は征台の8年後に出版されたが、当時の台湾日日新報には内容を称賛する記事が掲載されている。
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(本書は初めて「学者の座右に備うるに足る」ほど内容がすばらしい、と絶賛)

この傀儡国と清によりもたられた台湾領有における日本の災難を、ダビッドソンは以下のように客観的にまとめているのが印象的だった。以下、原文より逐一翻訳。

「台湾における抵抗、日本と中国の12,000人を超える人命、および多くの金額の損失が、中国政府の二枚舌外交に直接起因することを証明するために、これ以上の証拠は不要だろう(著者注……前文にて、傀儡国の指導者たち……台湾民主国総統・唐景鵑函台北の陥落後台南「遷都」にて実質総統となった劉永福……が密かに清へ帰国し、清朝政府高官らに大歓迎されたことに触れていることを意味する)。中国は、近代史において前例のないこのペテン行為により、日本による自分たちへの追加的処罰を招いただけでなく、日本による「共和国」排除の全費用を補償することになってしまったのである。いったい、敵対行為と直結するような裏切りを行う国が、他のどこにあるだろうか。しかし、日本は中国のやり方を完全に理解していたため、事態の展開に動ぜず、その結果中国の正規軍を排除し、劉永福とその公的支援者を無視する用意があったのである。これにおいて、日本のなんと上手なこと! 中国に仕返しをすることでアドバンテージが得られることなどなく、日本にとっては目の前の台湾における大事業こそ、全てを集中させるべきことだったのである」

そう、日本はいつだって中国人のやり方を知っていて、対応している。そして見ているひとは見ているのである。

台湾ではこれまで国民党政権下で「台湾共和国」という傀儡が中国人である外省人によりまったく違うかたちで語られ、抗日の美談とされてきたことは有名だが、これからは様々な資料で、日本でも知られていかなければならない歴史の事実であろう。さらに、台湾人により抗争中のNHKの悪名高き番組「JAPANデビュー」でも、まったく関係がなく後日のことである雲林の抗日事件から「1895年の「台日戦争」が勃発した」などと、大嘘が描かれていたことも問題である。中国、国民党、NHK左翼などの創作、反日的活動家、あるいは「台湾民主国は台湾人の総意」などという驚くべき結論が先にありきの黄昭堂などの著作(例えば『台湾民主国の研究』)等を取り上げ、検証する必要があるのではないか。

ダビッドソンはこの後、台北近くの淡水に残って貿易業者、米国領事代行として活動した。そのため、最近、中国ではダビッドソンが占領日本軍側を利するような書き方をわざわざしたようにいわれているようだが、中国人は当時とまったく変わっていないのである。




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日月潭へ行くため、台北駅から高鐵(台湾新幹線)に乘った。

連休前日だけに、自由席は混んでいる。出発するときには通路も立客で一杯になった。

このときの列車、自由席は後ろの2輌のみ。指定席車輌はがらがらだった。ちなみに、指定席料金は、日本円で100円くらいである。

ああ、これじゃ乗車後に飲みたかったコーヒーも、通路がふさがれていて、売り子も来ないな、とがっかりしていると、通路を幼児連れの若い母親がうろうろしているのが目にとまる。すぐに周囲に座る台湾人男性たちが立ち上がり、席を譲るっている。するとまた別の幼児連れの台湾人女性(しかもふたりも連れている)が離れたところで席を探していて、同じ行為が繰り返された。台湾人はバスや電車でも優先席を空け、弱者へ席を譲る習慣が徹底していて、いつも感心するのだが、このときばかりは奇妙に感じた。

桃園空港や新竹へ行く短距離客やビジネスマンは、よく自由席に乘る。日本のスイカのようなICカードでも乗れるからだ。しかし指定席への変更も簡単であり、もともと安い。彼らは理由があって自由席にいる。しかし子連れで席を確保する必要があるのに、わざわざ混んだ自由席をうろうろするのは席を譲ってもらえるのを期待してのことだろう。最初から指定席料金を払って乘るのが常識ではないか。。。

ちなみに件の女性客らは遠距離客のようだった。

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我がバリ島のネガティブな変化が著しい。

この5、6年で物価が倍になり、かつてのように一泊500円、一週間1万円で過ごせた時代は「夢の景色」。すっかり高い観光地へ変貌し、中国人の横暴な観光客による占領と急増するクルマやバイクの大渋滞、排気ガス、汚染に加え、目先の利益ばかり考えるバリ人自身による無謀な開発によるウブド田園風景の消失など、「夢の景色」も失せてしまった。

特に今年の夏バリを訪れて感じたのは、今に始まったわけではない、この後者の、バリ人による自滅的な開発である。モンキーフォレスト横の駐車場の開発が来年以降パダンテガルの首を自ら絞めるのが明白なように、自分でわかっていながら壊し、つぶし、開発してしまう流れは、チャンディダサのビーチが失われた今から30年前の記憶さえ引きだしから出さずとも、目先の利益しか考えない短絡的なバリ人根性の悲しいサガなのだが、今は流入する国内外からの資本に加えバリ人自身の持つ資産の大きさが桁違いなため、加速度が過去の比ではない。

この流れがもたらしているさらに悲しい結果は、バリの自然風景にかつてあった日本の良さを重ね合わせていた邦人観光客、長期滞在者の急激な減少である。日本とバリの深い、すばらしい関係がかつて存在した。それが急速に薄れていくのは見ていて寂しいし、悲しい。

ウブド邦人最古参の「I」さんがバリからいなくなってしまうのも、何やら象徴的である。私の友人の日本語ガイドのウブドの青年も、今はフランス語や中国語に転向していくし、典型的で驚いたのは、ングラライ空港のワイファイの公式HPの言語に日本語がなかったことである。こうなると、あとはスパイラル的に日本人がさらに減り、アジアのいちビーチリゾートになってしまうのは疑いない。

もっとも、かつて多かったビーチボーイやバリの田舎青年とのロマンスを求めて群がる日本人女性が急速にいなくなったのは、同胞旅行者にとっては健全で、いいことだろう。しかしそれと引き換えに、日本人の愛した自然豊かなバリの景色が薄れていくのは大変だ。

今のウブドは、シュピースがウブド王宮とともに芸術村として発展させた頃から見れば、野原がネオンきらめく大都会に変貌したに等しい。芸術文化はまったく別の次元にあるとはいえ、シュピースがまいた混成芸術の種も、どこかで育っていたとしても、それを見つけるのが困難なくらいである。バリ人は今でも非常にウブな田舎者だし、プリミティブなイメージは変わらない。しかし彼らを取り巻く経済が彼らを変えずとも環境を変え、かつてあった島の夜の闇の深さ、プリミティブだからこそあった神秘さがなくなっていくように感じずには、いられない、それも事実である。

もう20年前くらい前の、あの1990年代に多くの日本人が魅了されたウブドは無造作な開発と喧騒の中に沈もうとしている。こんなバリの状況を見て、つい先日、バリに詳しい知り合いのある外国人から、バリに比べて、日本という国が伝統文化を守り、文明の発展のもとでも変わらずにいる、と言われて、驚いた。日本は伝統文化をうまく守り、外国からの観光客にうまく見せ、魅了している、というのである。

そうならば、日本人は今後ネガティブに変貌するバリに対して、なにかポジティブな貢献ができる存在として、この島にカムバックできないものだろか。。。


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パダンテガルの「テガルサリ」フロント附近から通りの方を見ると、こんな感じだからびっくりする。この辺りは数年でクタのようになるだろう。宿の田園風景の取り合いは、笑い話のように田園をつぶしていく。「パノラマ」という宿など、前に建物が林立して田園風景がなくなり、パノラマ風景もないのに、そのまま営業している。それについてスタッフに聞けば、「景色が見えないから少し値段を引く」と笑う。呑気な人々だ。

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数年前、横浜駅前で沖縄人らしき老人から、「沖縄から米軍基地を撤退させる」署名を求められ、断ったことがある。

相手に理由は言わなかったが、神奈川県でさえ米軍基地を横須賀や厚木などに抱えているうえ、沖縄の地理、地政学的な軍事有用性から、沖縄に米軍基地があっても仕方がないと思っていたからだ。

以来、あの老人に対してとった行為に、後悔の念が募っている。それを最近強く思わせたのは、辺野古問題だ。安倍さんらは沖縄島民を「日本国民ではない」とでもいうように「敵」に回している。その安倍さんらの態度と行為に、あのときの自分が重なるような気がしてならない。

台湾で最近思うのは、基地などなくても、人が普通に幸福に暮らしている島に、誰も攻撃などできない、極端に言えばそこに基地は要らない、ということだ。いまや台湾でさえ、中国も攻撃することなどしない、という安堵と自信が広がっているのに、対中国という地政学的理由で、いまや沖縄に大きな基地は自衛隊といえども必要ないのではないか。

だいたい台湾のすぐ横、先島諸島にも自衛隊はない。もし宮古島などにどこか(中国しか考えられないが)がせめて来たら、後で賠償でも交渉でもすればいいだけのことで、実際にそんなことは起こるはずもない。核どころか衛星攻撃で宇宙戦まで可能な現在(by中国)、防衛はそこに住む人の人垣……市民の権利が守られ、幸せに生活している事実……であるように思えて仕方ない。なぜなら台湾がまさに今、そんな様相を呈しているからだ。

5,6年前まで台湾では中国が攻めてきたときのためや、台湾が中国に吸収、合併(会社か)したときのため、海外のパスポートをとることが流行っていたが、中国共産党自滅の動きも見えてきた(?)ためか、それもスローダウンの感じになってきた。そこに幸せに人々が暮らしている。そこにあらゆる権利が生じる。それを奪うことはできないという自信につながると、島には人の根がはって、簡単に攻略できなくなる感じがする。

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あなたが日本人で、原作について何も知らずにこの映画を観たら、実写を使った長野オリンピック聖火リレーのラストシーンに感動するに違いない。

あのシーンと事後の解説の文章が、それまでだらだらと続いた感じのある、二ヵ所の収容所の虐待シーンに対する誰が見ても感じる不快感(と日本軍、実在の日本人鬼軍曹で収容所所長「バード」への怒り)を飽和させ、爽やかな印象に換えてしまう、不思議な魅力のある映画だった。

日本の右翼から批判されたらしいが、意味がわからず。逆に、どうしてこれほど反日色を抑えることができたのか、と感じさせられるほど、ジョリーさんは穏やかに仕上げている。おそらく映画で略した原作部分の比率が多く、アスリートとしての尊厳を強調したかったのだろうが、そのバランスはうまくいったのか、それも微妙である。

さらに、導入部のB24リバレーターとゼロ戦の戦闘シーンと不時着シーン、漂流の海鳥を食べてゲロを吐くシーンを除いて、リアリティがあまり感じられなかったのは、全編オーストラリアで撮影されたせいか。なによりも、大森と新潟?の収容所にいる英米人らの捕虜たちが、主人公を含め、皆昨日散髪してきたかのように、頭髪だけはクリーンカットされていているのも、もしや「リアリティ」なのか?(捕虜は水浴もせず汚れっぱなしなのに)

また、「バード」役の日本人ミュージシャン氏は、『戦場のメリークリスマス』の坂本龍一を彷彿とさせる中性的かつ不思議な雰囲気を醸し、主人公よりも存在感があって好演してもいたが、それゆえかまったくリアリティがなかった。もっとも、リアリティを求めること自体、意味があるのかもわからないが。。。

とはいえ、まだ監督として評価されていないジョリーさんとしては、今後も応援したくなるような、Buonoな(イタリアがらみであるからして)映画である。
 

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それはドーンと座していた。
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その下の道から見ると、

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ジャングルの中の小高い丘にある、という感じ

しかし数キロ離れた丘から見ると、

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と、こんなかんじだが、さらにズームアウトしてみると、

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こんなに遠くに見える感じだが、もう一度先の写真を見てほしい。仏像を抱く後ろの山の形は、まさにピラミッド。
日月潭に近い埔里は風水の吉地。寺院も台湾でもっとも多く集まっている。
あるお坊さんが、大地震の前にブッダの夢をみて、この大仏をつくった。そして本当に起きた大地震。それでも仏像は壊れず。まさにピラミッドパワーか。。。。

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