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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
Photos & Texts (C)Narutaka Sakano 転載厳禁 *著者への連絡は上の「メッセージ」にお願いします
大相撲をこの七、八年真剣に見ている。

何がきっかけだったか覚えていないが、日本統治下の台湾を含め、明治から昭和初期の出来事、人々を調べていると、市民、男子の行う街角スポーツとして相撲がやたらと行われていたからかもしれない。

大阪相撲が台湾にやってきたときの騒ぎやら、バリ島の平良さんらがバリ人らに教えて興じた相撲やら、西洋化の中でも相撲は確かに日本人の精神文化に根を下ろしていた。

朝青龍が引退した後、八百長問題で客離れがする中で、白鵬が頑張っていたときに興味を覚えて見始めると、その面白さにどっぷりとはまってしまった。桜の咲く春、靖国神社で奉納相撲が行われ無料で見られるのを知り、初めて力士を間近に見たときに強い、上位の力士ほどオーラがあることに驚いた。そこでは単なるジェスチャー相撲を見せるのだが、桜の花びら散り舞う中、日本の国技が行われるのが印象的でもあった。力士との距離も近く、花道を歩く大関時代の鶴竜がハイファイブをしてくれたり、楽しい雰囲気であのように相撲、力士を近くで感じる機会があったことから、さらに興味を抱いた。

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       2012年の靖国神社奉納相撲でのひとこま。まだ綱は二人。



オーラが強かったのが白鵬である。それゆえモンゴル力士の強さの秘密に興味を持ったし、白鵬は特にどんなときでも応援してきた。しかしそこに起きたのが今回の日馬富士暴行騒動である。モンゴル力士の母国モンゴル政財界とのつながりや、ブラックボックスと石原慎太郎が呼ぶ日本相撲協会の内紛など、パワーゲームが展開されていることが白日のもとに晒されつつあるなか、気分が悪くなるのはそうした現実問題だけでなく、マスコミの報道であった。

誰もが相撲協会が怖くて、日刊現代などが報じている貴乃花親方と協会の対立を言わない、書かない。テレビに出る白髭眼鏡のスポーツジャーナリストのおっさんなど、何をいわんが、である。ジャーナリズム皆無の世界である。中国共産党を批判すると中国に入国できなくなるのが怖くて書けない研究者と似ている。しかしいったん「対立」が報じられはじめると、一気にみんなが同じことを書き、話しはじめる。なんだこの国は? しかも貴乃花親方がバッシングを受けはじめると、そこに集中砲火が行く。安倍一強下のマスコミも巻き込む忖度行動と似ているではないか。

タニマチを持つ日本相撲の伝統は伝統なのだからいいとしても、モンゴル政財界やそのヤクザとかの暗躍、優勝会見で白鵬でさえ日本の心を「忖度」できない、「KY」人物であることがまたもや?露呈してしまったのは、ちょっと困ったことだ。脱モンゴルに向かうのは難しくないだろうが、脱伝統は不可能だし、逆に今こそ伝統に戻って、日本で小学校から相撲を強制的に体操授業の必修科目にしたらどうか。力士の層も厚くなるし、Oh, Japanese kids do love their tradition and they look so cool! などと外国人も拍手するだろう。。




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40歳でテレビドラマ役者から脚本家に転身し、二作の映画脚本で脚光を浴びて、今年公開された初監督(脚本も)作品で早くも2017年アカデミー脚本賞候補になったテキサス男がいる。

テイラー・シェリダンである。

日本では無名に近い。それは以前のわずか一作の日本公開作(『ボーダーライン』)では、彼は脚本家であったからだ。

しかしこの人の活躍を見ていると、人間何が功を奏するのかわからぬ、という感動をもらい、作品ともども不思議な興奮さえ覚える。テキサスで質素な牧場経営者の家庭に生まれ、大学中退ながら、役者にスカウトされてテレビ界入りした彼の経歴は、そこまではよくある話である。ところが初めて書いた映画脚本「Sicario(邦題:ボーダーライン)」が映画化され、2015年に公開されるや高評価を受けると、翌年「Hell or High Water(邦題:最後の追跡)」では作品賞を含むアカデミー賞四部門ノミネートされる。すばらしい快進撃である。

後者はしかし、日本では地味さからか、劇場公開されなかった。『スタートレック』のクリス・パインや、老けた名優ジェフ・ブリッジスが出ているのに、である。映画は、シェリダンが「本職」のカーボーイでカメオ出演するような、テキサスを舞台にした銀行強盗兄弟とブリッジス演じる吹っ飛びテキサスレンジャー(公安刑事)らとのやり取りを中心としたシニカルなアクションドラマ。このブリッジスが人種ネタでからかう相棒刑事がインディアンとメキシコ人の混血という設定の男(ギル・バーミンガム)で、彼は次のシェリダン監督作品で重要な役柄で、もろインディアンとして出演することになる。この映画『最後の追跡』は、銀行に借金を返さないと代々続く農園をとられてしまう、だから銀行強盗とギャンブルで金をつくるぞ、そんなことをしている犯人は誰だ、こいつらか、ズドーン、ズドーンという単純な話。タイトルになった「Hell or High Water」は、土地(テキサスの貧乏農場だが、石油が見つかった)の相続問題担当弁護士が兄弟に「どんなことがあっても(Hell or High Water)この時刻までに銀行に金を返せよ」というときのセリフの一部だが、兄弟のひとりを犠牲に最後は土地が守られることから、皮肉のこもったタイトルである。優しいパイン(兄)がムショ帰りの荒くれ弟(ベン・フォスター)と繰り広げる狂気と紙一重の「小銭稼ぎのための銀行強盗」と「インディアンがたくさんいるカジノでの賭け」は、最後は二人とも殺されるだろう、というテンション張り詰めの、よくあるあらすじで展開する。一方、引退間際の刑事ブリッジスとバーミンガムのやり取りは、憎まれ役ブリッジスがきっと殺されるだろう、という見立てで進んでいく。しかし最後はそうはならず、バーミンガム(混血)があっさり殉職し、パインが生き残り、何もなかったかのように暮らしていき、そこに引退したブリッジスが来て意味深な会話をするというもの。観衆の期待や見立てを上手に裏切る展開である。

同じく『ボーダーライン』でも、ベニチオ・デル・トロ演じるコロンビア人復讐者が、いきなりエミリー・ブラント演じるFBI捜査官とぶつかり、デル・トロが最後は復讐を遂げていく展開が意外で、驚かされた。

実際、シェリダンは誰も試したことのない展開を目指しているらしい。それが人物描写、ドラマをしっかりつくりながら行われるのだから、高評価を受けるのだろう。

さて、そんなシェリダンが脚本を書くだけでなく、初めて監督した映画が、『Wind River /ウインド・リバー』である。

今年8月に本国アメリカで公開後、台湾などアジアではすでに公開されているが、日本ではまだである。ワイオミングの雪深いインディアン居住区で発見されたインディアンの少女の変死体をめぐり、その父親(これが先のバーミンガムで、渋く格好いい)の友人でハンターのジェレミー・レナーが、あまりぱっとしないエリザベス・オルセン演じる女性FBI捜査官とともに、事件を追っていくというストーリー。シェリダンのインディアン差別問題、自然賛歌、人間ドラマに対する鋭い感覚が盛り込まれ、お得意の「なんだこれは」展開も中盤以降冴えている。今年見た映画の中ではトップの出来栄えで、あらゆる面で無駄のない、雪と死体、自然と人間のドラマをストレートに投げつけられる展開に、見終わって眩暈がした。

レナー自身、インディアンの妻と混血の娘がいたが、娘が数年前に奇妙な状況で死に、その遺体はコヨーテに食われて、死因もわからず闇に葬られた上、ショックで離婚した身である。今回、最初に狼(映画ではライオンと呼ぶ)狩りに来ていたレナーが発見した死体の少女は、娘のいい友人で、その両親のインディアンとも付き合いが深いめ、レナーはダブル喪失感に悶え、友人(バーミンガム)も癒しつつ、復讐に向かうわけで、そこにからむ、派遣されてきたFBI捜査官のオルセンがまた中途半端に若くかわいいことから、何やらレナーとの間にテンションが感じられ、観衆は犯罪とダブルテンションでどうなるのか、と見入ることになる。

ハンターのレナーがいい。漫画映画でそんなイメージがあったせいか、一直線である。自然の怖さを知らぬラスベガスから来たというオルセンを導くところがいい。犯人たちと撃ち合いになってオルセンが怪我を負い、ひとり雪の中に逃げ出した犯人の中心人物をこれから追っていくときに、オルセンにレナーが「あんたはよくやった、しかし犯人は生きて連れてこないよ」という感じで言い、オルセンが震えながら当然だと頷くところもいい。バーミンガムはその前に「犯人は絶対仕留めろ。わかったなら、すぐ行け」と親しいレナーに激しく「頼んでいた」だけに、全体に貫かれた自然の掟、保護区の掟に生きる人々、白人とインディアンの関係などがベースにあって、独特のアウトロー的感性が通底しているのだ。

そして何より、脚本展開という点では、犯人を追って石油掘削所のトレーラーハウスのような宿舎のドアを叩くオルセンらのシーンで、すでに死亡している少女の恋人が中でそのノックに反応し、少女との逢瀬に至り、犯人らによる殺害に至るまでの過去の流れにつながっていくところがいい。

最後はレナーが犯人たちを倒してめでたし、のよくある展開だが、レナーをはじめ傷の癒されることのない人々がそこにいて、動かざる厳しい自然とインディアンの悲しい生活と歴史があることが、画面からしみ出してくる。オルセンとどうなるのか、という予想のオチは出てこないが、それがなんとなく明るい希望の光として、見る者に想像させる。オルセンは自分が生きているのは幸運だったから、というが、レナーは「幸運は都会にしかない。ここにあるのは自然と戦うか降参するかのどちらかしかない。君は戦った、勇敢だから生きている」というセリフは、映画の真骨頂である。

しかしこの映画で一番印象に残るのは、レナーとバーミンガムが一緒に後者の家の庭先に座り、会話する場面だろう。娘が悲惨な死を遂げ、妻は茫然自失、息子は薬中ゆえ、バーミンガムは自殺を決意する。最後は民族の誇りと伝統にのっとりたい、と思って顔にペイントをするが、それが自分でも正しいものかわからない。「伝統を教えてくれるものはもうここにいないから」としみじみ言うバーミンガムのセリフが際立っている。

自分もアイヌや台湾原住民に興味を持ってきたが、これからもシェリダンの独特な視線や型破りのドラマ作りに注目し、また参考にしていきたい、と思わせられた作品である。








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関東大震災から94年。朝鮮人虐殺に関するニュースが色々と出ているので、以前書いた「松木幹一郎」(未出版)から、当時あった後藤新平とこの件の関係を抜き出してみた。
 
関東大震災の九日前、八月二四日に加藤友三郎首相が現職のまま死亡し、日本は首相不在の非常事態にあった。外相・内田康哉の内閣総理大臣兼任中に震災が発生し、山本権兵衛に急遽大命が下る。震災発生の翌日九月二日午後七時、まだ帝都の空が赤く燃えている頃、赤坂東宮御所内の緑ノ御茶屋において摂政宮のもと、第二次山本内閣の親任式が行われ、内閣発足とともに戒厳令が公布された。
後藤新平は寺内内閣に続いて再び内相に就任し、いわゆる「地震内閣」の重要な復興の仕事を担うことになった。
 この九月二日の午後以降、帝都には横浜方面から朝鮮人の暴徒が襲ってくるという噂が流れていた。台湾で日月潭発電所を作った松木幹一郎も様々な噂を聞いていたが、治安を預かる最高責任者の後藤新平から「朝鮮人がくるぞ、お前のところはもっとも危険だ、うちへ避難してこい」と言われ、驚く。それはもう噂どころではなかった。松木の住む渋谷区豊分町は、今の恵比寿や渋谷に近くおしゃれなエリアだが、当時恵比寿辺りは治安の悪さで有名だった。山手線の内側は「市域」と呼ばれる市街地であり、松木邸はその境界線に近かった。
松木は妻とその七一歳の母親、まだ生後一〇カ月の邦子、彼女の三歳、五歳、七歳の兄たち、書生や女中を連れて、麻布桜田町(現・元麻布三‐四)にある後藤邸へと向かった。
後藤の家は帝国ホテルを共同設計したチェコ出身の建築家レーモンドによる頑丈な洋館で、被災を免れていた。後藤は邸宅を避難者に解放し、やがて一〇〇〇人以上の市民が助けを求めて集まってくるのである。同じとき、市内では大勢の華族や富豪たちが邸宅を罹災者のために解放し、家財を売って援助や寄付に当てていた。
ところで、この朝鮮人暴動の噂とは何だったのか。日韓併合から一三年。日本にとって朝鮮半島は中国、ロシア、西欧列強の南下を食い止める重要な緩衝地帯であり、火薬庫のごとく不安定な状態が続いていた。四年前の大正八(一九一九)年には、京城で「三・一独立運動」が起こり、そのときの朝鮮人独立運動家が日本に潜伏し、騒乱の機会を伺っていたといわれる。そこに起きた震災で早くも九月二日から「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という噂が横浜から流れ、朝鮮人グループによる白昼の婦女暴行や殺人、放火が報道されていった。当時日本には一〇万人ともいわれる在日朝鮮人が暮らし、被差別者として苦しい生活を強いられ、朝鮮支配への不満を持つ者も多かったという。
工藤美代子著『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』によれば、内相となった後藤は、朝鮮人暴動を戒厳令下の武力で事態収拾すべく、それまで暴徒と戦っていた自警団を解散させ、マスコミによる「朝鮮人悪し」の情報を規制、「朝鮮人の美談」を取り上げさせ、風評の打ち消しに努めたといわれる。後藤は朝鮮人と自警団の争いが内戦に発展すれば、摂政宮に危険が及び、国体に影響が出ることを懸念した。つまり朝鮮人の暴動は真実だが、後藤は天皇を守るために、朝鮮人暴徒による放火や殺人、強盗を隠蔽したというのである。
 二週間ほど後の九月一六日、後藤本人も、罹災者救援のために民間の実業家によって設立された「大震災善後会」委員総会の席上で、「東京附近は一時朝鮮人の騒ぎで不安であったが、今は戒厳令の力で全く不安は一掃されている」と語っている(『大阪朝日新聞』大正一二年九月一七日付)。このときも同会長の徳川、粕谷貴衆両院議長や渋沢栄一ら委員は治安維持のため後藤や首相に戒厳令の継続を嘆願している。帝都復興院が設立される一〇日ほど前のことである。
 
松木幹一郎は当時東京市政調査会専務理事だった。急増する人口と無計画に広がった帝都の都市計画の弱点に対応していたまさにそのとき、目の前で弱点が血を吐きながら訴えていた。この後、後藤と松木は帝都復興のために手を組んでいくことになる。

しかし後藤新平は台湾以来マスコミ操作に長けているわけで、朝鮮人虐殺の事実隠しなどお手の物だったのだろう。

  

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msnニュースより:
【感動】台湾でサッカー日本代表が自主的に公園掃除していたと激写! 理由も素晴らしいと感動を呼ぶ「なんという民度の高さ」「台湾人も見習いたい」

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本文は割愛するが、タイトルでご察しあれ。

日本ではこの10年ほど青少年があらゆる公の場所で地べた座りで飲食し、そのままゴミを放置する「文化」が定着しているのは、周知の事実。

民度が高いと思われている、とわざわざ書くこうした記事は、その逆の真相が日本にあるからだろう。

経済停滞、世代等の格差拡大で日本の青少年をはじめ全体の「民度」は大変なことになっている。その「大先輩」である台湾ではかなり耐えてきた感がある。彼らは徴兵制度があるからだろうか。しかしこれも来年で終わり、その後はどうなるやら。


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産経新聞より:
18歳香港人被告、台湾への亡命要求 「香港の法治は信用できない」
8/31(木) 0:03配信
 【上海=河崎真澄】香港で昨年2月に起きた学生らのデモ隊と警官隊の衝突事件をめぐり「暴動罪」で起訴されている李倩怡被告(18)が、「香港の法治は信用できない」とする声明をネット上で公表し、台湾への“政治亡命”を求めていることが分かった。
 香港紙、蘋果日報が30日までに伝えたところによると、李被告は開廷前の今年1月に台湾に渡り、滞在期限の30日を過ぎても留まり続けている。政治問題を理由に香港出身者が海外で亡命を求めるのは異例だ。
 李被告は「裁判を逃れて台湾に来たのは自由の可能性を探るため」「政治犯として起訴された」と声明で訴えた。台湾の人権団体が保護しているもようだ。

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This honkee can not seek asylum bcs taiwan is part of China and not a country! haha but actually 蔡総統 can use this matter to show the world that Taiwan is such an entity and not part of china, haha!



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昨日は終戦記念日。台湾では国土の半分が停電で真っ暗。当初、台湾電力が新しく導入したタービン式火力発電が猛暑でダウンしたといわれたが、まったく違う別の人為的原因。いい加減な台湾らしい、といえばそれまでだが、原発再導入の論議がされるベースになるのでは、という日本メディアの横やりにしても、嫉妬の入り混じった二律背反の遠吠えにしか聞こえない。

そういいながら、「原発メーカー」東芝製のパソコンでこれを書いている。

しかも靖国神社には何十回も足を運んでいるが、一度も参拝などしたことがない。したいとも思わない。これは二律背反ではない。無責任な戦争指導者が祀られた靖国神社をなぜ国家的戦没者祈祷所として扱い参拝しなければならないのか、理解不可能である。

台湾にも日本統治時代に「靖国神社」的神社、「建功神社」があった。確か日清戦役から台湾領有戦争、蕃界開拓時の犠牲者と、領台時からの戦死者を祀っていたはずである。戦後、その本堂ドーム部分をすっぽりと四角い支那的建造物で覆い、まったく違う学術施設にしてしまったが、中へ入ると当時の大理石のホールなどそのまま残っている。蒋介石が台湾版靖国神社を破壊しなかった理由も、その美しいホールを見たら納得できるかもしれない。


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現存する建功神社内部

ドームは天井などが国民党に改造されているが、そこにいると、往時をしのぶことができる、お勧めの観光ポイントである。(検索すればすぐにわかる)
 
 
思えば、帝国主義日本が方向を間違えたごく最初の時期というのは、官僚主導、反政党政治による国家主義確立の実現を目指した後藤新平が台湾の成功をバネに満州へ行き、そこを開発していったときではないか。愚策シベリア出兵を主張したのも後藤である。中国で日本陸軍が資とした「阿片」も後藤が日本で初めて栽培を主導し、台湾で「漸禁策」という愚と悪(癮者の治療もせず、50年という統治時代と同じ時間で自然減による癮者全滅を計画し、ヤクザのように泡銭を統治費用にまわし汚職犯罪を招いた)による方法で統治資源の先例として印象づけたものである。それらを考えながらこの建功神社跡を見ると、また違った思いを抱くだろう。 

人為的原因で真っ暗になるのは、一晩の暑都のみとしてもらいたい。

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初めて映画のノベライズなるものをやった。
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小学館文庫とその後ろが小学館ジュニア文庫


トム・クルーズが主演のこの映画、ヴァルター・シュピースのドイツ無声映画時代にムルナウ監督がカメラマンとして重用し、一緒に映画史を塗り替える革新的な働きをしたカメラマン、カール・フロイントが、ムルナウとともにハリウッドで監督に転身して1932年に作った「The Mummy」(同じユニバーサルスタジオ制作)のリブート作品。フロイントの作品とはまったく違うストーリー、テイストだが、ノベライズの話があったときは、なんとなく「縁」のようなものを感じたが……。

映像作品としてはノンストップアクションとその特殊効果のすばらしさでグングン見させるため、決して悪くはない出来かもしれない。しかしストーリー、キャラ設定が甘く、どうしてこうなるのか、意味不明な展開が多く、執筆に及び困ってしまった。基本的情報(キャラの名前やバックグラウンド、ストーリー、背景、意味など)資料などなく、すべて映画(DVD)を見て「考え」なければならない。ノベライズなどそんなものなのかもしれないし、ノベライズ作品自体興味もなくこれまで読んだこともなかった。そんな状況をもとに、ナレーション原稿とDVDのみからノベル(小説)として起こすというのだから。。。

まず世界の最初の公開日、都内の配給会社内試写会で戸田奈津子氏らと見て、それからなんと一週間後を締め切りに、資料としてもらったDVDをもとに作業がはじまった。

前の「風刺漫画」も1週間で書いたが、あれは急に湧いたアイデアで新書持ち込み用に考えたので、400字で200枚もなかった(持ち込みから出版までは1カ月ほどの超最速だったが)。しかしこれは300枚超の長編小説である。しかもストーリー自体自分の考えたものではないので、それを理解するためナレーション原稿と映りの悪いDVDを何度も見て比べ、ユーチューブを含むあらゆるネット資料を調べての執筆となった。(ロンドンのロケがどの場所であったのか、今は便利でファンの撮影動画などがアップされていたりする)

終わってみれば、なんだこれは、という虚脱感。。。。どこがどう変わったか、どう工夫されているか、それは読んでみてのお楽しみ、というところか。

ちなみに子供用のルビふり・性的シーン割愛のバージョン(ジュニア文庫)が一緒に出版されている(もっとも今でもどこが性的シーンなのか自分でもわからないが)。 






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先月台湾のテレビで放映されて話題になっていることがある。
グーグルマップの航空写真で、チベット自治区のエベレスト西方、高度5千メートルを超える人跡未踏の山中に、雪に描かれた仏画のようなものが見えるからだ。

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実際自分でも見てみたら、こんなものが見えてきた。「頭」から下まで数百メートルはある。
場所は、おおざっぱに見たらこんなところだ。



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クローズアップすると、

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周辺にはさらに二つ以上の奇妙な「物体」が「描かれている」らしく、ひとつは鬼の面とも仏具にも見え、もうひとつは女の姿のようにも見えた。

3Dで先の「仏画」を見てみると、こうなるので、
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その左右対称の様子といい、航空(衛星)写真の画像処理上の偶然が重なったものかと推測される。しかし場所が場所だけに、興味をひかれる「現象」である。


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(黒い塊に十キロくらい。これがあとさらに三つあった)

中国人が東京湾で牡蠣を大量にとり、殻を捨てることでトラブルが報告されている。先日、横浜市内で唯一の海水浴場がある某所で、ご覧のように大量の牡蠣をとっている中国人五人組を見た。公園管理者が警察を呼んでも無視して再来したといい、聞けば、この汚い水域でとった牡蠣を横浜中華街に卸すのだという

自分たちで食べるなら問題ない。しかし中華街で売るというのは初めて聞いた。
新中国人が大量にいついて大きく質の低下した横浜中華街だが、牡蠣料理を注文するのは命がけとなった。。。。


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台湾人女優・余貴美子が防衛大臣役を勇ましく演じた大ヒット日本映画「シン・ゴジラ」。ほお、有事の際には、防衛大臣が自衛隊の諸事を掌握・理解し、総理に提案の上で攻撃等の決断を迫るのか、と「初めて」知ったひとも多いだろうが、私もそんなひとりだった。

ということは、稲田とかいう、大阪の森友学園騒動ではちゃめちゃぶりがクローズアップされている本物の防衛大臣のおばちゃんには無理だろう、と思うのも、私だけじゃないだろう。

しかし台湾のひとたちは、勇ましい余さんの姿に重ねるように、この極右政権に多大な期待を今でもしているのだから、こちらは嘆息しかでてこない。

反中で親台ならそれでいいのだから、日本に共産党と民進党その他左翼の政権ができるよりははるかにマシ、という考えが台湾の本島人には多い。安倍はすばらしい、天才、頭がいいというひとがけっこう本島人にはいるのである。

無論、中国との関係上、自ら情勢変化できず、イデオロギー的になるしかない台湾人の悲しいサガだが、それって、日本も同じじゃないか?

執筆のため明治時代の勉強を続けているのだが、日本では封建的な考えやシステムが明治時代からほとんど変わっていないことに気づく。男尊女卑、酒、タバコ、性風俗の対処に甘いことから、果てはアジアでの優越感。足元にあるのに見えていない流れがずっと続いている。

戦前回帰への不安もそうだ。ゴジラが中国にでもなって、戦争が起こるような時代ではないし、見えない流れの上で、無用な心配ばかりを日本人はしているように見える。あの戦争で日本人が教わったのは、軍閥の暴走を二度とさせないことなのだろうが、今はそんなものはいないし、アヘがまさか軍閥? そうなら、日本人全部が軍閥に見える。

この十五年ほど、二大党政党のどちらかを選ぶことでバランスをとれる台湾がうらやましい、と思う日本人は、もしかすると私だけか?

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