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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
Photos & Texts (C)Narutaka Sakano 転載厳禁 *著者への連絡は上の「メッセージ」にお願いします

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世界遺産に登録されてから開発が急ピッチで進むマラッカを初めて訪ねた。
シンガポールから片道1300円くらいの直行バスで越境しながらの旅である。出発曜日を迷ったが、週末と平日ではまったく街の様子が異なるため、日曜午後に到着してその違いを見てみることにした。
このバスはシンガではオンラインでも買えるが、タイ人のたむろすブギス近く(1キロ)のバス乗り場へ直接買いに行くのがいい。10社ほどバス会社のカウンターがあるが、小さいところは週末でも席があるようだ。愛想の悪いインド人運転手のバスに揺られて3時間少し。まったく渋滞のないまま、日曜午後にはマラッカに到着した。
 
マレーシアに来たのは10年ぶりだ。
郊外のセントラルバスステーションから、市内へはローカルバスに乗り換えるのだが、このおんぼろさ、いいかげんさに驚いた。マレーシアはもっと発展してきたのかと思っていたが、いつの間にか経済も社会も停滞している雰囲気がすぐに伝わってきた。しかしどこか凛として、穏やかな人々の雰囲気は変わらない。
 
世界遺産の街はというと、小さな丘を中心に、その北を流れる川とその河口に街が広がっている、という感じで、最初に拓かれたときの絵図を博物館で見ると、まさに丘と川だけの世界。この丘にポルトガルの教会がたてられ、オランダ、イギリスと、列強の奪い合いを、今は荒廃した教会の壁が見守ってきたわけだ。
 
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そこに立つ、フランシスコ・ザビエルの新しい石像が私の注意をひきつけた。ザビエルは死後ここに遺体を安置されたが、右手は本国へ持ち帰られた。像は嵐でなんと右手のみが壊れ、死体と同じかたちになったのだという。
インスピレーションを与えられるような話である。
 
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つづく
 
 
昨日(5月29日)、日本経済新聞の書評欄に拙著「台湾 日月潭に消えた故郷」の、映画監督で「台湾人生」という同名作品の著者でもある酒井充子さんによる書評が掲載されました!
 
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「本書はこの小さな民族に光をあてた貴重な一冊である」「かつての日本の電力政策が一つの民族の運命を左右し、今も影響を与え続けていることを教えられる」等の書評、ありがとうございました。
 
原住民の話や日月潭に秘められた日本史、近代台湾史だけではなく、龍脈と風水、伝説的生物などの話も詰め込んだ「奇本」だけに、どんな批評を頂くのか不安でしたが、いまだに不安です。。。
しかし自分で気持ちよく書けた本が人に読んで頂けること以上に幸せなことはありませんね。
 
 
 
 
原発事故で注目されるエコな水力発電。水の国日本では、早くからその有用性に気づき、開発が進められたが、復興院で注目されている後藤新平こそが「日本の水力発電の父」だったことは知られていない。
 
国の力の源泉は動力源である、として、日本で初めて全国の河川水包力の調査をさせたのが後藤さんだが、その直前に彼は台湾で民政長官をしていたときに、台湾で最初の水力発電・亀山発電所をつくっていた。
 
後藤さんは10年ほど台湾にいて満州へ異動するが、帰国してからやったのが全国の水力調査だった。
 
後藤さんは東京市長になっても電力の拡充に尽力するが、もし児玉総督の跡を継いで台湾に残っていたら、東洋一の日月潭水力発電計画にかかわっていたかもしれない。
 
これは当時(1919年)世界で9位の巨大さ、東洋一のもので、日月潭を貯水池にし、二カ所の発電所で14万キロワットを発電する計画だった。
 
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(『南進台湾』という国策映画より)
 
日月潭発電所は台湾の心臓となり、初めて台湾全土に一カ所から電気をおくることになる。
 
日本人はこの大プロジェクトを完成させるも、わずか10年しか使えず、敗戦、台湾は蒋介石の基地と化した。
 
拙著「台湾 日月潭に消えた故郷」でも書いたが、現地でその施設全体を実見してみると、水力発電とはいかにエコなものかと驚かされる。しかし、東洋一で14万キロでは、現在の技術からすれば冗談のように小さい。福島原発一機で100万キロである。
 
それでも、日月潭発電所は今でも、日本統治時代のそのままの設備で、稼働し、依然エコな動力源として働いているのである。日月潭直下に近い921大震災でも、まったく無傷だったことは、驚くべき日本人の技術の高さの証明ではないか。
 
ジェロニモという19世紀後半にアメリカ先住民のアイコンだった人物の名前をつけたオペレーションに、やはり先住民から「人種差別だ!」と反発が起こった。
 
アパッチ族のリーダー、ジェフ・ハウザー氏が米国防総省に「大勢のイノセントなアメリカ人を殺したテロリストと一緒にするな」と噛みついたもので、私もオペレーション名を聞いた途端、「やはり人種差別の好きなアメリカ人らしいネーミング」と思ったほどだ。ビンラディン殺害作戦の後味の悪さは、こんな部分にもあったのだ。
 
国防総省ではなぜ符牒をジェロニモにしたのか「特に理由はない」としているらしいが、詭弁だろう。
アメリカ先住民=アメリカに抵抗した民族=アルカイダという図式に人種差別が含まれないのなら、顔をジャイケル・マクソンのように白くして、オバマはテレビの前に出てこい。「白も黒も関係ない」と歌いながら。。。
 
あるいは、現場のステルスヘリを盗んでいったという中国に、「オペレーション・パンダ」と名付けたヘリ奪回作戦を実行し、そのときはオバマ自身が白く塗った顔 (目の周りは黒いだろうから、パンダ) で行ってくれ。
 
どうであれ、ビンラディンを「闇から闇へ」葬ったオバマ・アメリカは、自ら作ったデビルマンを片づけたサタンといわれても仕方ない。
 
暑くなったせいか、突然オムライスが食べたくなって、トゥガナンのバリアガの村で昔遭った、地元青年のことを思い出した。
 
パンダナス(刺だらけのアロエのような葉っぱ)で殴り、叩きあう、彼らの有名な奇祭のときのことだ。
 
普段村から出ている青年たちが、このときばかりは帰省する。そんななかで、流暢な日本語で話しかけてくるバリアガの青年がいた。
 
バリ人はよく知り合いの日本人経営者に面倒をみてもらいながら、東京など日本国内でレストランの仕事などをして、出稼ぎをする。彼もそんなバリ人だった。聞けば、私の故郷、世田谷の三軒茶屋にいたとのこと。地元の話をしているときに、246沿いにあるオムライスのおいしい定食屋が、共通の話題にあがった。
 
「あそこのオムライスがうまくて、よく行きました」と青年。
 
今はあるかどうか知らないが、三茶の駅東口から三宿方向へ行き、右の角。
 
確かに私もあの定食屋のオムライスは15年もお世話になった。700円くらいで、豚肉の入った簡素ながらボリュームのあるトマト味ライスを適度に半熟タマゴがかぶっていて、サラダがついて、さらに味噌汁がある。美味くておなかがいっぱいになる。貧乏人の味方の店だった。バリ人にはきっと豚肉という点が気に入ったのかもしれない。確かにあれはバリ人好きな味だ。
 
しかしバリアガの青年とそんなバリのどえらい田舎で、大都会三茶の定食屋のメニュー談話に花が咲くとは思わなかった。ふたりで、「そうだよ、くいてぇな」と頷き合うのは思えば奇妙な情景だった。
 
いつかバリにカフェをオープンしたら、豚肉入りオムライスをつくって、トゥガナンに支店を出そう。
 
 
坂野 徳隆
坂野 徳隆
男性 / 非公開
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