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「ある日日本人の警官たちがやってきて、湖畔の別の場所へ移住するよう言われたんだ」
88歳の原住民の翁は、当時を思い出して唇を震わせた。
「今でも思い出すたびに頭にくる」
1934年6月30日、キラシこと石阿松(当時の日本名:石松)は、当時13歳だった。生まれ育った日月潭の湖畔の村、石印を家族や一族全員ともに追い出された。
そのあと、日潭と月潭の双湖は、水位が7メートルから27メートルへ上げられ、東洋一の日月潭発電所のための貯水池となる。
キラシ少年は、別の湖畔の移住先で、まったく新しい生活をはじめることになる。それは日本人の優しさに触れ、感化され、自分が今度は日本人として成長していく、新しい人生だった。
88歳のキラシ。抱くのは、55歳のときの自分の肖像
キラシが見た日本統治時代とは……
『台湾 日月潭に消えた故郷 〜流浪の民サオと日本』
(ウェッジ刊) 坂野徳隆著 1400円
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早朝のため湖上に舟も少なく、瑠璃色の湖面は絹の表面のようになだらかだった。
この埠頭は新しく作られ、足元(写真の下)に原住民のモチーフが描かれていた(本の帯をとるとこのモチーフが出てくる)。左から伸びるプジ半島(サオ族が神獣の白鹿に導かれてたどりついた、サオ発祥の地)がシルエットとなっている。このプジの先、対岸に朝日を浴びて頂を赤く輝かせるのは水社のホテル。一見凡庸な風景であり、日本の湖観光地のようだ。しかし標高750メートルの湖面を囲む2000〜3000メートルの高山が朝日をさえぎり、空は明るいのに、特に手前の水社側が暗く、空の反映が余計湖を青く、不思議な朝の印象風景を形作っていた。
実際はもう少し赤っぽく、水は瑠璃と藍の中間で、印刷のために色が変わってしまった。日月村へ行けば、いつでも見えるので、ぜひ訪れて実際に見て欲しい。
サオの村は、プジのすぐ向こう側に消えた。日本時代のミステリーは目前に沈んでいる。日月潭の神秘性とサオの悲しくい歴史が、この青の深みを増し、こちらに何かを囁きかけるかのように、水面を細かく震わせている。
ちょうど今日か明日?発売予定
『台湾 日月潭に消えた故郷 〜流浪の民サオと日本』 坂野徳隆 ウェッジ刊(1470円税込)
清代から日本統治時代、戦後現代までの台湾史、そして隠れた近代日本史を縦走し、日本では未紹介の台湾原住民文化を現地取材と台湾経験から見たノンフィクション! キラシという邵族長老の話は、世界初公開! その他、日本では知られていない台湾・日本史も紹介しています。
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台湾の中心、青い目印のように輝く日月潭。一年前のロープウェイや台中からの高速道路の開通で、飛躍的に観光客が増えている。
なかでも目立つのが、大陸からの団体客である。
中国人にとって、台湾で一番観光したい場所は日月潭。09年に北京で行われたアンケートでは、二位が台北、三位が阿里山だった。台湾への外国人観光客は去年日本人を抜いて中国人がトップとなり、そのうちの9割が日月潭へやってくるというから、混雑は容易に想像できるだろう。
これは日月村(日月潭の先住民族・邵(サオ)族の中心集落)にやってきた中国人観光客たち。彼ら専用につくられた大型土産店内で、土産物を物色しつつ、民族衣装のサオ(ではない原住民も大勢いる)と記念撮影を楽しんでいる。こうした風景が日月潭では数年前から当り前のものとなってきた。
彼らはおそろいの帽子をかぶり、ある土産屋を物色している。この店の上には、サオの巫女たちの絵が飾られている。店主はアピンという、五人いるサオの巫女のうちのひとりである。彼女たちは絵のように青い衣装を着ることが多いが、青い帽子と何やら合致しておもしろい情景だ。
で、サオの巫女たちは、こんなふうに儀式を行う。(新年祭ルサンでのひとこま)
彼女たちの前に置かれている籠は、ウララルアンと呼ばれる、祖霊の宿る位牌のようなシンボルである。
彼らサオ族と日月潭のミステリー、そして日本人・隠れた日本史を結ぶ物語
「台湾 日月潭に消えた故郷」(1470円税込)
を、本日出版しました。出版元はJR東海系のウェッジ。台湾新幹線を技術輸出した会社です。
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先日、台中で「馬岡正宗豆花」という名物トウファ(豆花)店に連れて行ってもらい、初めてその名物豆花を食べることになった。 |
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台湾の『全民最大党』という番組が天皇皇后両陛下と震災被害者をかけあわせたパロディを放送し、日本人ネットユーザーから批判を受けている。 |




