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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
Photos & Texts (C)Narutaka Sakano 転載厳禁 *著者への連絡は上の「メッセージ」にお願いします

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ルサン(祖霊祭)の紹介。最初からはじめることにする。
 
旧暦の7月最後の日の夜、邵族の頭目・袁家の軒先では、家の老女による祖先への宣誓の儀式が行われる。
彼女は私が長年取材しているキラシ翁の奥さん、イスツさん。粟酒をふりまき、祖先への報告がされた。
 
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右に座っているのは袁福田さん。れっきとした邵族の頭目である。最近は体の調子が悪く、このときも座ったまま儀式を見守る。
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて家のなかで長さの異なる5〜7本の杵が用意される。
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イメージ 3   そして何がはじまるかというと……
 
  徐に床をつき始めるわけである。
  以前は義勇街(日月村のメインストリート)にある袁の店で行い、そこでは床にラルーから持ってきた伝統の杵つき石があった。しかし場所が変わり、ここでは床をつく。。。。ちょっと家が壊れそうではないか、と傍観者は不安げに見る趣き。
 
  これは杵音(ツーイン)と呼ばれる、もとは狩りに出たサ オの男たちに帰宅を促す女たちの儀礼である。日本統治時代にその複雑な音色に魅了された日本人により、観光用の杵歌としてアレンジされた。まるでバリ島のケチャをシュピースがアレンジしたようだ。
 
  この杵音、音階の異なる杵をそれぞれのリズムで交互につくことにより複雑なメロディが生み出されるところも、ケチャのコーラスに似ている。同様に、延々と繰り返されることにより、つき手の顔はときにトランス状態に入っているようにも見える。
 
  短い竹筒を叩くおばちゃんもいるが、このパートは二人ほどいる。
 
 杵音はサオの新年前夜、つまり大みそかの恒例イベント。除夜の鐘のようにも聞こえる。
 
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「除夜の鐘」を訊きつけて、村から次第に人が集まってくる。
はじめは袁家の身内だけでつき始めるが、やがて老若男女、サオの人々が交代に演奏に興じていく。
(こちらに背を向けてつくのは、福田さんの息子で次期頭目のスーフット)
 
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饗宴は家の前へ移り、にぎやかさを増していく。
 
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踊りだす人々、酒を飲み交わし、倒れる人々。。。新年を迎える杵音の儀礼は、こうして朝まで続いていく。
 
 
 
 
 

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今年の邵(サオ)族の祖霊祭「ルサン」がちょうど昨日、9月26日に終わった。

祖霊祭は、サオの新年行事であり、旧暦8月1日から18日〜一ヵ月間行われる。

写真は、祭りの序盤に建てられる、祖霊屋「ハナン」。祖霊たちはこの、かつてサオが暮らした家を復元したものに降臨し、子孫の行う祭を見、一緒に楽しむ。

祖霊屋(それいや)という日本語を、私が取材しているキラシ老人に言うと、「ソーレーイャー」と歌い出すから驚く。ソレイヤとは、サオの戦争の歌である。サオ語でハナンの発音は難しいが、私の発音は悪くてキラシには通じない。それいや、と話題を振ると、いつも戦争の歌の話になってしまう。

ハナン内は男性しか入れない。特別に神器、日月盾「ラリフィット」安置時に撮影させてもらった。(撮影yoyoさん)これを見た友人はオーブが飛んでいると騒いでいた。最高祖霊が降臨するともいわれる盾は、この直後に祭のクライマックス行事に運ばれ、その役目をまた来年のルサンまでいったん終息させる。

ルサンの詳しい紹介を、これからゆっくりしたい。

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日月潭西側丘陵の向こう、翠の斜面に五本の巨大な鋼管が並んでいる。

大観発電所は、日本時代に作られた門碑潭発電所(その後、日月潭第一発電所に改名)を戦後接収した蒋介石が名づけた、日本時代当時のままの、現役の水力発電所である。

かつて台湾の心臓として貴重な電力源となり、今は台湾の発電量の1%ほどしか貢献していないこの発電所は、日月潭観光とはまったく無縁の場所にあり、訪れる外国人観光客はほぼまったく見かけない。しかし、取材で訪れると、アイスキャンディーが名物になっていることに気づいた。台湾は暑いため、台湾人は観光地点でこうしたアイスを頬張るのが大好きだ。
私もさっそく試食してみた。

小豆味。強力な電力で固めたらしく、歯が折れそうになった。
ミルク味。ひと舐めで舌が痺れるほど冷たく、通電後の快感か、けだるくなるほど甘かった。

真相は実際に行ってお確かめを。

ちなみに、発電所内の発電施設建物内を訪ねると、発電機モーターの回転、磁力、熱で、頭がクラクラしてくる。脳へ先に糖分を補充しておくのはもしかすると昏倒予防策かもしれない。

(pylin さん ご指摘ありがとうございます)

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(写真 上:日本時代に建設中の水社堰堤。日月潭にはこうした大堰堤がふたつ作られた。日本は当時もてる世界の土木建築技術のすべてを注ぎこんだ。奥の丘の右奥には、涵碧半島がある。下:現在の同じ水社堰堤。今ではウエディング写真の撮影現場として大人気。一日に何カップルも撮影にくる。丘にひときわ高くそびえる建物が今年オープンのホテル日月行館)

日月潭発電施設工事について台湾電力の資料を調べていたら、興味深い記述を見つけた。当時の台湾総督、明石氏が、日月潭発電の余剰電力を、海峡にケーブルを敷設し、福建省に送ろうという計画をたてていた、というのだ。

台湾総督府は、内地から独立した台湾の自主性、独自性を念頭に、中国への積極的な経済進出を目論んでいたともいわれる。

ちなみに日月潭発電施設は、当時の発電施設としては東洋一というか世界でも最大規模の10万キロワットを想定していた。実際の稼動力は6万くらいだが、当時まだ農業中心だった台湾で必要とされる電力の数倍の値である。

東洋一といわれた日月潭発電工事。さらに壮大な台湾海峡ケーブル敷設。もしそれが実現していたら、共産党は日月潭発電所とケーブルの奪取を目当てに、戦後より激しく蒋介石政府の台湾を攻撃していたかもしれない。

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涵碧半島とは日月潭の水社脇にそびえる小高い丘、岬である。

日本時代、ここには地元政府の日本人が建てた別荘、涵碧楼があった。涵碧楼はその後政府経営の招待所となり、日本の皇族も泊まった。日月潭が観光地としてスタートする最初の宿であり、日本時代は唯一の宿でもあった。

戦後、涵碧楼は蒋介石の別荘、国民党の宿となり、近年はアマンリゾーツ系企業がコンセプトデザインを担当する台湾初の高級リゾートホテル「涵碧楼 ザ・ラルー」に生まれ変わった。

もとの涵碧楼は、そのすぐ水社側の隣の敷地にあった。そこに今年夏オープンしたのが日月行館という最新の豪華ホテルである。

ラルーホテルでは以前から500元という激安のイギリス式アフタヌーンティーが有名で、私も何度も使わせてもらった。週末には食べ放題の、さらに超格安バージョンとなり、その混み具合もすさまじいものがある。

日月行館は今回初めて訪ねた。外のヨットの帆をモチーフにした金箔(本物らしい)の飾りといい、急増する中国人旅行客を意識したのかと思いきや、なかを見れば、その田舎くさいデザインと雰囲気はただの失敗作といった感じの趣きである。おそらくラルーホテルがあまりにも雰囲気が台湾らしくないからだろう。比べるのも悪いほどである。

日月行館の午後茶はまだ知られていないため、客もまばらだった。価格は650元と少し高い。内容は中華風な方向に味付けしているため、日本人には好まれるかもしれないが、やはりラルーと比べると落ちてしまう。それでも三段ディッシュタワーに別に付くフルーツヨーグルトサラダとフレンチトーストはすばらしく、日月潭紅茶赤玉などの高級紅茶のセレクションがあるところなどは、ラルーよりも日月潭らしい雰囲気を醸しているといえる。

お勧めは外の水に囲まれた席で、竹林の向こうにラルーよりも高い位置から臨む日月潭の景色である。

涵碧半島シャーウーチャ決戦、その行方は涵碧楼(ラルー)のストレート勝ち。

(写真: 上 涵碧楼  下 日月行館)

坂野 徳隆
坂野 徳隆
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