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日本は2月の寒さで桜の開花も遅れたが、台湾ではその2月に陽明山で見事な染井吉野や大島桜が咲いていた。
台湾の山桜は独特の赤がきれいだ。日本人的感覚では一見梅のようだが、立派な桜である。
日本人が植えた桜は今でも台湾のあちこちで短い春に咲き乱れる。
霧社で見た桜は特に印象的だった。
これは、台北101を汐止から見た絵。夕日を突き刺すところがきれいだった。ろうそくのようである。
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10年前、2002年の10月12日夜、クタで三菱ミニバンが運転手とともに火の玉となってレギャン通りにクレーターを掘り、周囲の通行人からクラブの客ら200人以上を犠牲にしたバリ島テロ事件。あの直前と直後にクタにいたことを思い出し、もう10年か、という思いがしていた今日、インドネシアからJIらしき組織がテロ準備をしている、というニュースが飛び込んできた。
サヌールの売春宿で3人、デンパサールの西部住宅街で2人の組織構成員が、地元警察の襲撃で死亡したという。おそらくテロ特殊部隊の突入だったのだろう。観光で生きる島の政府はテロの二文字に敏感で、精細も発表していない。インドネシアの新聞ではジャワ島で発生した銀行強盗の犯人を捕まえるための捜査で、相手が武器を所持していたことから銃撃戦になったという。一部では、テロ資金確保のために、彼らがバリ内で銀行などの強盗を計画していたとも報道されている。
来週JIの幹部の裁判が控えているが、10周年のテロが計画されていたとしても不思議ではない。バリ島は依然狙いやすいインドネシアの異教徒の島であり、セキュリティアップはいつ行っても表面的としか感じられない。10月までに何か起こらなければいいが、ビンラディンを殺害させたオバマの再選が11月にあるとすれば、10月が過ぎても安堵できないだろう。中東情勢にしてもバリへ影響を及ぼす可能性がある。
テロは旅を、バリ島を、あらゆるものを180度変えた。この10年で、バリ島はあらゆる面で不便になり、制度は逆行した。有料ビザなどもっともたるものだ。液体持ち込み厳禁やらセキュリティチェックやら、保険料の上乗せやら、旅はまったく不便になった。3年間ほどバリはもぬけの殻になったが、国内経済好転のジャワ人やロシア人らが潤してもくれた。
災害や嫌なことを忘れたいのは世界中一緒で、バリ人もそこに来る観光客も例外ではない。福島原発事故を忘れて野菜高騰のなかホウレンソウを食べている日本人と一緒である。一年で日本人も感覚がマヒしている。10年(実際は8年だが)もたてば、すっかり忘れているだろう。
もしバリに行くなら、空港から静かなところへ直行、直帰がいいかもしれない。羽田からガルーダが深夜直行便を飛ばす連休から、危険モード急上昇というところではないか。
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長門市の図書館がどうの、という気楽なメモを書いたが、直後何気なくその長門市出身の人物を調べていたところ、磯部浅一という226事件の首謀者で銃殺刑になった陸軍将校の名前を見つけ、驚いた。
ちょうどその人物のことを考えていたところだった。
明日が226事件のその日だが、そのために考えていたわけではない。
一ヶ月ほど前、関東大震災朝鮮人虐殺や笹川良一伝で知られるノンフィクション作家、工藤美代子の「もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら」というエッセイを読んだ。そこでは、霊感のある女史が、鎌倉の川端康成邸に未亡人を訪ねたとき、未亡人から「三島由紀夫の霊が非常に哀れな姿で訪問してきた」という逸話が所蔵されていた。その三島の霊のあまりに不憫な姿(詳しくは書かれていない。首でもなかったのか?)に憐れんだ未亡人は、知り合いの僧侶に三島の供養を頼んだ。だが、僧侶は三島の霊に恐ろしいものが憑いているため、成仏させることはできなかったという。
川端は三島を発掘した恩人であり、死してもその家を慕って訪れる三島のことを想像するだけで、何やら眠れなくなるような、気味の悪い逸話だった。
死して三島にまとわりつくものとは何か……脳裏に浮かぶのは、美和明宏が自決前に三島とりついていたという226事件の磯部である。磯部は7月に処刑されるまで、獄中で手記をつづり、それが三島に大きく影響を与えた。三島は「英霊の声」を実際にとりつかれた状態で書いていたという。この獄中記で、磯部は自分が死んだら悪霊になってやる、と凄まじい決意を綴っている(これはネットで検索すれば全文が読める)。だから彼が悪霊になり、三島にとりつき、三島を死後も成仏させていないのだ、と単純に考えたら、人間は恨みを持って死ねば悪霊になれるのか、と考えてしまう。いや、そもそも悪霊とはなにか、なぜ三島は突然自殺したのかという、答えの見つからない迷宮にはまってしまうだろう。
三島が自決した1970年は、70年安保、日本の核不拡散国際条約締結などがあり、日本が戦勝国にしめつけられ、高度経済成長で国民が目先の豊かさに骨抜きにされていくことに三島は憤ったともいわれる。それを自衛隊を強くし(軍事的強化)昭和維新で打開したいと訴えた三島には、天皇を中心とした国の理想像があったとされるが、私もよくわからない。しかし皇道派の軍上部に騙されるようにクーデターをめざし、いいように使われて処刑されてしまった226の磯部らの理想に共感した三島は、日本をよくしようという考えにおいては、その理想の根底が磯部らと同じだったのかもしれない。
もしや、この三島や磯部の考えは、現在大阪あたりから盛んに聞こえてくる、平成の維新の声に似ているのではないだろうか。
悪霊とは、個人を呪うのではなく、大きな社会的変革、天変地異を起こすものらしい。その呪いは、地の底から轟音のように伝わり、社会を動かすのか。
「サムライ、バリ」を取材していたとき、終戦間際蘭印などを統括した南方軍総司令の寺内寿一は無謀なやつだな、と思ったことがある。彼は、磯部が獄中でのろっていた軍上部のひとりである。226事件で皇道派将兵を処罰する先頭に立った張本人だった。226事件の際、後に「マレーの虎」となる山下奉文は情報局トップだったが、クーデター加担を疑われて寺内らに左遷させられ、終戦間際にはフィリピンにいた。戦局はそろそろフィリピンがアメリカにやられそうな、日本敗戦が決定的だった頃である。そんなとき、海軍は台湾沖海戦勝利という虚偽の報告で、国民ばかりか同じ軍部(陸軍)をも騙していた。ルソン島にいてその虚偽の報告を疑った山下大将だが、芸者遊びに呆け海軍の虚偽報告を鵜呑みにしていた寺内元帥は、山下にレイテ移動決戦を強いるという、226事件からのダメ押しおまけつきの因縁で、最後は山下を死の崖へ突き落とした。寺内は磯部の怨念がなくても、A級戦犯で処刑されただろうが、マレーで獄中死(病死)している。226の磯部の怨念は、軍閥の自滅、天皇制の温存という結果で、達成されたことになるのだろうか。
ひとびとが三島の死のミステリーを思い出した頃、日本は未曾有の天変地異に襲われた。怨霊はまさか、この秋に慎太郎総理を産み、なにか我々にまったく予想のできないショウを用意しているのだろうか……。
ちなみに、盾の会と三島を扱った映画が今年夏に封切られる予定だという。
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ヴェネチアの酷評に耳を塞ぎ急遽帰国した監督さんらご一行が、総統府前で馬総統らに「セデック」の前編だけを見せた。
馬は感動して涙したそうだ。
前編だけ見て、そんなに自分の中国から来た軍人家族の過去、日本への恨みを思い出したのでしょうか?
ちなみにこのプレミアは、前編しかやらない。映画が長すぎるから、らしいが、いかにもそれらしいイベントである。
舞台挨拶に立ったスタッフの中央には、ジョン・ウーがいかにもこれは私の作った映画です、といわんばかりに立っていた。彼はヴェネチアで99.5点だと、自分で「作った」映画に高得点をつけて自画自賛したようだが、それもまたこのセデック・アカ……いや、バカ、いや、バレという映画の特徴を物語っている。0・5点マイナスだったのは、モーナが二丁ライフルを連射しなかったからだろうか。
まだ見ていないが、見る前からこんなに中身が気になり、なおかつ絶対見たくないと思うのは、カタクリコ坂から……いや、なんだったか忘れたタイトルのバカ息子の作ったアニメとこれくらいだろうか。ジョン・ウーは初期の香港時代作品とその人柄、アクションシーンのセンスが好きだが、やはり香港人の心の闇は深く、覗くことがかなわない。中共のスポークスマンのようになったジャッキー・チェンの例もある。ウーは次にフライングタイガーの映画をつくるようだが、これはまさに馬が感涙する作品にちがいない。そのときは元総督府ではなく、蒋介石座像の見下ろすいわくつきの公園(コロコロ名前が変わるので)の敷地内(80年前は日本の歩兵連隊基地)で再びプレミアをやるのだろうか。
もうどうでもよくなったので、セデックについてはまたいつか、そのDVDでも見たときにでも。
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この3年ほど特攻隊の本を読み漁ってきた。去年はいくつか特攻隊関連本が人気をはくした。そして今年はじめに出たのが、根本博中将を書いた『この命、義に捧ぐ』で一躍有名になった門田隆将氏による『蒼海に消ゆ 祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治の生涯』である。
この本のネタを初めて聞いたときは、興奮した。日系アメリカ人がアメリカを敵国とし、日本人として特攻して死んだ。兄弟で日米に分かれて戦った有名な「ネタ」同様、国、アイデンティティー、肉親らとの葛藤が相当あり、それは面白いドラマが提示されるのだろう、と思った。
しかし、である……。
『この命……』が手放しで面白かったので期待して読んだせいか、がっかりする本だった。主人公の手記もなく、同僚の生き残りや関連資料など周辺情報から埋めていくしかなかったからだろうが、主人公の日系アメリカ人青年の顔や姿が何度もおぼろげになり、魅力が伝わってこない。特に中盤の学生時代など眠たくなるほどどうでもいい周辺情報のオンパレードで、私は本の主人公の名前も忘れてしまい、ときどき表紙を見ては、青年の名前を確かめながら読むほどだった。これは何の本だったのか、と、趣旨を忘れてしまうのである。期待したような国籍などの葛藤は語られず、文字を埋めるように集められた情報が無機質に、美的修飾もなく、だらだらと続いていく。節の終わりに、感動を無理やり呼ばせてください、とばかりの数句がかならずつくのも、疲れてしまった。
これだけ面白そうなネタが、なぜこうも不完全燃焼で終わってしまったのか。ネタだけで絶対に感動を呼べるレベルのはずである。たとえば、『ホタル帰る』はアマチュアの主人公の娘と音楽評論家の共著だが、涙なしには読めず、感動は最初から最後まで続き、主題も貫きとおしていた。すばらしいの一言だった。
ならば、『蒼海……』のネタ自体が思ったほどではなかったのか? そうは思えないだけに、不思議である。対象への精神的接近度、温度が作者には合っていなかったのか。どうであれ、私はひとの作品をどうの言える立場ではまったくないが、一読者として、またノンフィクションを書く者として、疑問はあえていいたい。先日、この作者は盗作で訴えられた際、こんなことで訴えられては日本のノンフィクションは絶滅する、というようなことを発言したらしいが、別にそんなことで日本のノンフィクションは死なないし、贅沢な取材費を出してくれる出版社のバックがなくてもノンフィクションは書けるのである。
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