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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
Photos & Texts (C)Narutaka Sakano 転載厳禁 *著者への連絡は上の「メッセージ」にお願いします

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2006年9月、雑誌「ナンバー」でイギリス現地取材。
ルーキーながらチャンピオン候補となった、黒人初のF1ドライバー、ルイス・ハミルトンの故郷を訪ねる取材だった。
カートコースは、ルイスが初めて走り、ロン・デニスに見出された記念すべき場所。
その名前の由来となった古跡が、すぐ隣にある。二本の門柱が残るだけだが、地元の貴族がイギリス王に反逆し、館を取り壊された跡である。
王は見せしめのために、これらの門柱だけを残したという。

体制に挑んだ姿は、まるでルイスとその父の二人のように、僕には見えた。
差別や偏見と戦い、上り詰めた親子だ。
そのイメージがあまりにも強く残ったのだが、記事には使わなかった。(柱も褐色だし!)
だって、滅ぼされた貴族だからね。。。
ルイスはタイトルこそ逃したが、昇り龍のようにその後も活躍している。
ハミルトン親子がよく見たであろう、この二本の柱を、本邦初公開。。。

台湾が死んだ日?

昨日、1月12日、台湾が死んだ?

日本の国会議員にあたる立法議員選挙で、独立派の与党民進党が大敗を喫し、中国との接近を模索する国民党が大勝したのだ。

3月の総統選挙で、民進党の謝氏が国民党の馬英九に及ぶかどうかはさておき、台湾の国民が、今回の選挙で「お金と平和」を選んだのは確かだ。
台湾人の有識者で、民進党支持者である本省人の僕の友人は、その状況をこう嘆く。
「馬の父の夢は、中国との統一だった。馬が総統になれば、その方向へ突き進むにちがいない。いまはいい顔をしていても、きっとそうなる。もう台湾は中国に飲み込まれてしまう。終わりだ。台湾は死んだ」

しかし、両岸問題は時間の経過とともに、誰も予期しない方向へ向かっている気がする。すべては中国の発展、政治状況によるのか、それについても誰もはっきりとはわからないのではないか。

少なくとも、経済を優先させて次の政治リーダーを選ぶのは、台湾人だけではない。リーダーを直接選べず、さらに中国とアメリカの顔色を見てしか行動できない日本よりは、民意が直接反映されて、ダイナミックな台湾は、依然僕にとってある意味羨ましいし、注目していきたいところだ。

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Walter Spies(ヴァルター・シュピース)は、二〇世紀終わりのモスクワに、裕福なドイツ商人の家に生まれた。
華麗な貴顕社会に育ち、幼少時から絵画や音楽に才能を示しながらも、第一次世界大戦勃発後は、成人年齢に達した適性外国人(つまり交戦国ロシアに住むドイツ人)としてウラル山脈の収容所へ送られてしまう。
しかしそこで出会った遊牧民の素朴な生活や、宗教観、プリミティブアートに触発され、後に彼はインドネシアのバリ島へと旅立つ。
そして、バリ島に西洋絵画の技法を紹介し、バリルネッサンスと呼ばれる、1930年代の文化興隆現象を引導していくのである。

僕がシュピースと出合ったきっかけは、また今度紹介しよう。

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バリ島のケチャダンスをご存知だろうか?
1930年代、バリ島に住んだドイツ人芸術家、ヴァルター・シュピースが、自宅のあった島の中央部、ウブドゥから近い、ブドゥルというところで、地元のダンサーたちと共同でつくりあげたのが、いまバリ島で見られる観光用のケチャダンスだ。
(詳しくは、僕の本「バリ、夢の景色 ヴァルター・シュピース伝」を見てね)

ということで、ブドゥルはケチャの発祥地でもある。
シュピースが村人たちとコラボしてつくったのは、このサムアンティガという寺院の庭だった。
サムアンティガ寺院は、まさにケチャダンスの発祥現場である。
2005年2月、雨季のバリ島。セブンシーズという雑誌を連れて僕はこの現場に行き、交渉の末、とんでもない企画を動かしてしまった。

奇妙なことだが、そもそも、ケチャ発祥の地であるはずのブドゥルでは、ケチャのグループもなければ、その歴史的な寺院でケチャがおこなわれることもなかった。
しかし、ちょうどこの取材の一年前、村で、七〇年ぶりにケチャグループを復活させた、という驚くような知らせを聞いたのである。
ウブドゥで僕がよく泊まるバンガロー(テガルサリ)で、以前そこで働いていた男の子との再会が、きっかけだった。
彼の兄が、そのグループの世話役をしているという。その兄さんは、以前、自著のためにブドゥルを取材していたとき、一度お世話になったことのある人でもあった。

ということで訪ねてみると、長老たちの参加により、かつてのオリジナルのケチャが再生されていた。
シュピースとケチャをつくったリンバックという老人はすでに他界してしまったが(僕も何度も彼に取材)、そのリンバックさんの「おらが村にも、ケチャを」という遺言も働いていたらしい。

ブドゥルの「オリジナルケチャ」は、衣装も合唱も当時のものに近く、シンプルだという。しかしなかなか公演には至っていないということった。ならば、日本のこの雑誌で宣伝して、定期公演に結びつけたら、という僕の提案に、リーダーが頷いた。

こうして、100人を越える村人が、雑誌の撮影のためだけに集まってくれた。
一度アルマで公演しただけの、オリジナルケチャを、カメラマンと僕、そして雑誌編集長の3人の前で、やってくれることになったのだ!

その夜のことは、一生忘れない。歴史的かつ神秘的な雰囲気のなか、数名の観衆のために、大人数のケチャが演じられた情景。空気は沸騰し、寺院の庭のあちこちから、霊的な存在の視線さえ感じた。

撮影のためなので、導入部以降は、こちらの指図でポーズをとめたり、再開したり、と、カメラマン氏と僕がオーケストラの指揮者のようになり、ディレクションを送る。そのたびに、半裸のメンバーたちが全員僕やカメラマンを見て、いまやったパフォーマンスの出来がどうか、とこちらの顔色をうかがい、指示を求める。まるで、シュピースがケチャをつくったときの時代とシチュエーションを追体験しているかのような、感動的な状況だった。
それはもう撮影とか取材とかではなく、ひとつの神秘的な体験となったのである。

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いきなり古いところから紹介して失礼。
企画からアポとり、取材、ホテル予約、記事構成、執筆まで担当した、「セブンシーズ」2005年5月号の50ページ大特集、バリ島とシュピース。ウィラナタという若手画家のお宅で、彼と彼の作品を撮影したときのヒトコマ。
このときは、住んでいた香港から直接バリへ飛んでの仕事だった。
右で反射板を持つ白シャツの男性は、助手とドライバーをつとめた通称「すけべアグン」。以後、優秀な助手へ育っていく。これがそのスタートラインだったんだな。(以後、GQ、駱駝などでも活躍していくことに)(このアグン、顔を見たら、ウブドゥ通の人なら、誰かすぐにわかるはず)
調整をする、カメラマン菅氏の颯爽とした短パン姿が、やけに若々しく、メングゥイ近くのこの庭の緑に煌き溶けているのも、印象ぶかい。
バリの写真集を日本で初めてだされたという菅氏。プロ技の数々、その爽やかなお人柄とともに、このときの旅で非常に印象に残っています。

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坂野 徳隆
坂野 徳隆
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