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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
Photos & Texts (C)Narutaka Sakano 転載厳禁 *著者への連絡は上の「メッセージ」にお願いします

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「ここでは日常必需品がジャワよりも高く、
手持ちのお金はもう50ギルダーしかありません。
僕を助けてくれるのは、なんとウブドゥの村人たちです。
彼らは果物や米、鶏などを持ってきてくれるのです!」

1927年10月、母へ宛てた手紙より。

楽園バリに移住したとき、シュピースはほとんど無一文に近かった。
ウブドゥの王宮に招かれて、王宮前の土地に家を建てて住み始めた彼は、
その後かなり長いあいだ、絵を描くアルバイトをしながら、
生活費、新居の建築費に苦労するのである。

シュピースがヨーロッパから来たボンボンだと思っていた読者には、
意外な発見だったようだ。。。

1926年6月。
当時ジャワ島ジョグジャカルタのクラトンで宮廷楽長だったヴァルター・シュピースは、
休日を利用した二度目のバリ島訪問で、ついにバリ島移住を決める。
知人へ宛てた手紙で、彼はこう心のうちを綴る。

「私はヨーロッパへ戻るつもりはありません。
すでに二度滞在しましたが、まったく足りないのです。
私は完全に移住したいのです。
(バリでは)地に足のついた生活をおくる人々が、
信仰のためにどんなことでもするのです!
あらゆる美しい外観のものが捧げられ、すべては内面的に超越され、
無力感に満たされます!」

こうして、シュピースは1927年のなかばに、バリ島へ移住することになる。
彼は言葉どおり、ヨーロッパへは二度と戻ることはなかった。
バリ島で彼を待つのは、この世の楽園と、その後の壮絶な運命であった。

「もし(絵画の独自の手法が)うまくいかなければ、僕は
芸術のことを忘れ、田舎で労働者にでもなります!
きっとそれもすばらしいことでしょう。
結局、どこへ行っても、この世はすばらしいことばかりなのですから!
僕は、魂を持った人々の住む国へ行き、住んでみたいです!
このひどい国(ドイツ)よりもマシでしょう」

1919年5月

一次大戦の捕囚から解放され、ドイツへと帰国したシュピースは、世紀末的なドイツの世情に
幻滅し、捕囚の地ウラル山脈で経験した素朴な遊牧民の世界へ憧れを募らせる。
父親に充てて、若き画家シュピースは、魂からの叫びを綴る。

実際に、彼はスペインでもどこでもいい、ドイツを出て素朴な人々の住むところへと
旅立ちたかった。。。
もしスペインへ行っていたら、カタルーニャあたりで有名な画家になっていたのだろうか。。。

「それはまるで啓示のような意外な新発見であり、
真実の確認のような経験だった。
僕はついに、正直でストレートなものに出会えたのだ!」

1926年9月。
28歳のシュピースは、モスクワ、シュチューキン画廊で一枚の衝撃的な絵と出会う。
アンリ・ルソーの原生林絵画である。
シュピースはその素朴さと筆致にすっかり魅了されてしまう。
シュピースという画家にとって、大きな転機となる体験だった。

2007年9月。
僕は、イギリスの大英博物館で、ルソーの虎が出てくる、あの有名な原生林絵画と対面した。
絵はガラスケースもなく、そのまま壁に掛けられていて、鼻先を近づけて鑑賞できる。
絵と自分のあいだには、なんら障害はない。
いつの間にか、その絵のなかに埋没している自分がいた。ルソーのこの絵を、それほど間近で
鑑賞するのは初めてだった。画面がマットになり、草のそよぎが、雷光が、虎の眼差しが、
音と空気を伴って押し寄せてくる。
ひと気のほとんどない観覧室で、僕は近づき、離れしながら、10分以上見入った。
シュピースの感じたセンセーションの追体験だった。

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坂野 徳隆
坂野 徳隆
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