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祖霊に感謝するサオ族の秋祭り「ルサン」の夜、その出会いはあった。
普段なかなか会えない彼女に、会えただけでも幸運だった。きっとサオの祖霊の導きである。
すでに老衰で言葉もしゃべれない彼女の前で、親族の話に頷く私に、車いすに座る彼女はときどき足先をひきつったように伸ばし、私のふくらはぎのあたりを押したり、蹴ったりする。
「日本語がとても上手だったんですよ、毛阿金は。だから、あなたの言う日本語は、ぜんぶ、今でも理解しているんですよ。そして、懐かしいんでしょうね。とても喜んでいるのがわかるんですよ」
親族の女性が流暢な日本語で私に言った。
日月潭の日月村は、水社の対岸にある、台湾の最少民族「サオ族」の村である。
そこで行われた数年前のルサンは、高速道路が開通し、観光客が増えるなか、独特な盛り上がりを見せていた。
この村自体、日本人が水力発電所建設のために日月潭の水位を上げて今のかたちにする際に、日本人が移住地として選んだ場所だった。それまでサオ族はラルーという近くの小島とその周辺に暮らしていたが、わずか数百人の彼らは様々な理由からこの地へ移住を求められた。
移住からおそらく数年後の日月村(出典:キラシ)
右は、現在の同じ場所を同じ角度から見たところ。
水位がまったく違うことに注目。
毛阿金は、日本時代に警察官などをつとめたサオ族の人間で、戦後サオの舞踏団を率いて蒋介石に気に入られたことから、サオ族の「酋長」と呼ばれて有名になった毛信孝の一人娘である。彼女は「毛公主(毛のプリンセス)」と呼ばれるほど美しい踊りの名手だた。
これが家族のポートレート。妹は養女で「小公主」と呼ばれた。ウサイン・ボルト指しをしているのは「毛王爺」とも呼ばれた毛信孝である。(出典:国立中央図書館台湾分館)
舞踏団は蒋介石を楽しませるだけでなく、共産党との戦闘中の国民軍兵士の慰問に軍艦に乗せられたりした。
戦後は日月潭の顔として、蒋介石が連れてくる各国政治家著名人らを楽しませる役もさせられている。
岸信介を迎えるときもあった。
(出典:毛王爺之家)
その彼女も、数年前に訪ねたときには、すでに86歳だった。往時(20代)とそのときの彼女の写真を見てもらえればわかるが(左写真の左。右は養女)、面影が濃い。年をとっても凛として、威厳がある。
(出典:右 国立中央図書館台湾分館)
ひとは種として現世に落ち、花を咲かせて誰もやがて萎んでいくが、台湾の天池の湖畔に咲いた姫花の美しさは今でも台湾人に語り継がれている。彼女は1989年に死去した父親が残した土産屋「毛王爺之家」の主でもある。
「台湾 日月潭に消えた故郷」(ウエッジ)表紙より (全カラー撮影著者)
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2012年04月25日
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