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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
Photos & Texts (C)Narutaka Sakano 転載厳禁 *著者への連絡は上の「メッセージ」にお願いします

書庫日月潭&邵(サオ)族

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なぜ中国政府は旅券のデザインに日月潭と阿里山ではなく、日月潭と清水断崖を使ったのか。
 
実際には清水断崖ではなく緑島の海岸線と間違えられているらしいが、日月潭と並びたてられて中国人の憧憬の対象になっていたはずの阿里山ではなく、東海岸、花蓮近くの「清水断崖」を使おうとしたのは、もしかすると「台湾攻撃の急所」である東海岸と、台湾の心臓、中心部である日月潭を並べて載せることで、したりといったところなのか? どうだ、台湾をパスポートでつかまえたぞ、というのは、読みすぎか?
 
それにしても民進党というか台湾人はかわいい。中国の旅券デザインに逆切れせず、南シナ海のデザインのシールをつくってパスポートカバーに貼りましょう、ということらしいが、尖閣諸島の領有権にも触れずに英語で台湾は我々の国、と主張しているところがいい。
 
 
 
 
戦後すぐ台湾で発生した228事変の際に、台湾では影で多くの中国人(外省人)が殺された事実があり、これはあまり表に出ていない感じがする。
 
そのなかに、霧社事件で有名な霧社で、おそらくセーダッカ(セデック)が中国人に出草をしていた資料の記述を見つけたのは、前著『日月潭』取材中だった。
 
霧社には発電施設があるため、台湾電力の日本人技師が戦後も残って働いていたのだが、突然勃発した事変に、興奮したのは国民党政府に抑圧されていた本省人だけではなかった。敗戦国人となった残留日本人らの前で、日本軍の軍服に身をつつみ、蕃刀を手に現れて「中国人を殺す」と勢いづいていたのは、霧社の戦争帰りの原住民たちである。
 
彼らは南方で戦ったため直接中国人とは戦闘していないが、日本の教育ですっかり反中国だったため、ここぞとばかりに伝来の首狩り解禁に沸き立ったのである。彼らは人止関をとおりプーリにまで出草に出かけたというから、まるで「セーダッカ対中国人」の霧社事件版である。
 
本でも書いたが、このとき霧社の発電所長は外省人で、日本人技師らは彼を守るために、原住民に酒や肉をおくり、機嫌をとっている。涙ぐましい日本人の努力で、外省人所長は保護されたのである。
 
英雄とはこんな史実の影に隠れているものではないか。
 
 
 
 
 祖霊に感謝するサオ族の秋祭り「ルサン」の夜、その出会いはあった。
 普段なかなか会えない彼女に、会えただけでも幸運だった。きっとサオの祖霊の導きである。
 すでに老衰で言葉もしゃべれない彼女の前で、親族の話に頷く私に、車いすに座る彼女はときどき足先をひきつったように伸ばし、私のふくらはぎのあたりを押したり、蹴ったりする。
「日本語がとても上手だったんですよ、毛阿金は。だから、あなたの言う日本語は、ぜんぶ、今でも理解しているんですよ。そして、懐かしいんでしょうね。とても喜んでいるのがわかるんですよ」
 親族の女性が流暢な日本語で私に言った。
 
 日月潭の日月村は、水社の対岸にある、台湾の最少民族「サオ族」の村である。
 そこで行われた数年前のルサンは、高速道路が開通し、観光客が増えるなか、独特な盛り上がりを見せていた。
 この村自体、日本人が水力発電所建設のために日月潭の水位を上げて今のかたちにする際に、日本人が移住地として選んだ場所だった。それまでサオ族はラルーという近くの小島とその周辺に暮らしていたが、わずか数百人の彼らは様々な理由からこの地へ移住を求められた。
 
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移住からおそらく数年後の日月村(出典:キラシ)
右は、現在の同じ場所を同じ角度から見たところ。
水位がまったく違うことに注目。
 
 毛阿金は、日本時代に警察官などをつとめたサオ族の人間で、戦後サオの舞踏団を率いて蒋介石に気に入られたことから、サオ族の「酋長」と呼ばれて有名になった毛信孝の一人娘である。彼女は「毛公主(毛のプリンセス)」と呼ばれるほど美しい踊りの名手だた。
 
 
 これが家族のポートレート。妹は養女で「小公主」と呼ばれた。ウサイン・ボルト指しをしているのは「毛王爺」とも呼ばれた毛信孝である。(出典:国立中央図書館台湾分館)
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舞踏団は蒋介石を楽しませるだけでなく、共産党との戦闘中の国民軍兵士の慰問に軍艦に乗せられたりした。
戦後は日月潭の顔として、蒋介石が連れてくる各国政治家著名人らを楽しませる役もさせられている。
 
 
 
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岸信介を迎えるときもあった。
(出典:毛王爺之家)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その彼女も、数年前に訪ねたときには、すでに86歳だった。往時(20代)とそのときの彼女の写真を見てもらえればわかるが(左写真の左。右は養女)、面影が濃い。年をとっても凛として、威厳がある。
 (出典:右 国立中央図書館台湾分館)
 
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 ひとは種として現世に落ち、花を咲かせて誰もやがて萎んでいくが、台湾の天池の湖畔に咲いた姫花の美しさは今でも台湾人に語り継がれている。彼女は1989年に死去した父親が残した土産屋「毛王爺之家」の主でもある。
 
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 「台湾 日月潭に消えた故郷」(ウエッジ)表紙より (全カラー撮影著者)
日月潭の本を書いてから、ある質問をよく受けるようになった。本の冒頭で紹介した蒋介石の秘密の園が龍穴にあたり、そこを訪れたときに体が軽くなり、手先が心地よく痺れる体験をしたときのことである。あの場所はどのなのか、と訊ねられるので、その場所を紹介しに、旅立ってみたい。
 
場所は、台湾の中心に近く、九匹の龍が養水として飲むために立ち寄るため、風水的に台湾一の地であるという日月潭のなかでも、もっとも風水のいい「龍穴」である、文武廟のあたりにある。そこは松柏崙半島、と呼ばれ、背後に孔雀のようなかたちの岡を抱く、サオ族の聖地でもある。かつてそこにはサオ発祥の神木がたっていたし、サオの交易の重要な場所でもあった。
 
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文武廟のすぐ南、歩いてすぐのところにこのような入口がある。目立たないが、最近このようにきれいにされ、以前はまったくなにもなかったときに比べれば、一目瞭然の「トレール入口」という感じにつくられている。
 
 
 
 
 
 看板をアップするとこうなる。
 
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この遊歩道を入れば、すぐに蒋介石の秘密の園が現れる。
ガイドブックには載らない、奇妙な公園「中正広場」である。蒋介石は死後、遺言で息子の経国にこの公園をつくらせた。実際訪れたら、なぜこんな目立たないところに、と思うだろう。
 
実際、そこは蒋介石が日月潭を向く銅像がたつだけの、何もないところなのである。
 
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 しかし、蒋介石はここの特別な風水の力を借りて、死後も台湾に影響力を与えようとしていたと思われる。
 
 
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この公園から下ること10分、旅人は鬱蒼とした原生林のなかを心地よい龍気に触れながら歩くことになる。私が経験したその感覚は、ちょうどこの写真の傾斜と、下の湖へつづく道との交差部分である。
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イメージ 6辺りには針葉樹と亜熱帯に咲くハナシュクシャの花などの爽やかな芳香が満ち、耳に聞こえるのは草木が風にこすれる音のみである。白い色はサオにとって聖なる色という説もあり、初秋にかけて咲き乱れるその景色はとくに美しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時間のかからないこの散策は、最近トレールが整備されてからとても便利になった。
 私が本に書いたことで、少なくとも日本人旅行者にはもう秘密ではなくなった。あなたも、ここで龍気を感じられるだろうか。
 ただ、実際に行くと、トレールは勾配があり、ひとけのないところなので、ひとりで行くことは避けたい。
 初夏のこのとき、私は遠雷の音を聴きながらそぞろ歩き、疲れた足をふいにとめると、稲光が誘う松林のあいだに美しい風景を見た。
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夏である。日月潭である。
台北がうだるような熱鍋の底にあるとき、この標高750メートルの山中にたたずむ湖は涼風肌を撫でる別天地となる。
台湾へ行く予定があるなら、ぜひこの有名な観光地で一、二泊し、涼気ともうひとつ、その地の持つ風水パワーに浸って欲しい。
日月潭に滞在するなら水社か日月村となるが、どちらに泊っても、一度は涵碧楼、あるいはその半島近辺から対岸の景色を眺めるだろう。いわゆる「青龍直線」と呼ばれる吉景である。
慈恩塔のそびえる二龍山、そして玄奘寺、玄光寺が乗る青龍山からラルー島へ至る直線は、涵碧半島から見るとちょうど直線で蒋埠頭の公園に伸びている。
 
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この同じ景色は、日本統治時代の絵ハガキにはこのように描かれていた。
 
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小さな写真としてあるのは、ラルーに祀られた玉島神社である。
絵葉書の中の青龍直線には、当然ながら、戦後につくられた慈恩塔や寺院の姿がない。
日本時代にこの直線に言及する資料は見られないが、吉景として愛されていたところを見ると、やはり風水=人間が自然に感じる居心地のいい景観配置、であることを実感する。
現在、この青龍直線は「恋を成就させる」として、ラルーを集団結婚式場に使用した国民政府時代からの伝統的カラーでくくられている。
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育楽亭という、蒋介石の建てた東屋から見ると、まさに直線である。
 
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                                蒋介石(左)はこうして涵碧楼から青龍直線を臨んでいた。

 
しかし私がそこに立って思いを馳せるのは、日本統治時代、まだそこに大きな島影を映していたサオ族の聖地、ラルーの雄姿である。
 
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『台湾 日月潭に消えた故郷』(ウェッジ刊)
書評:
 「本書はこの小さな民族に光をあてた貴重な一冊である」「かつての日本の電力政策が一つの民族の運命を左右し、今も影響を与え続けていることを教えられる」(日本経済新聞)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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