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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
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書庫ヴァルター・シュピース

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 人生の哲学者ともいわれる、ドイツ人芸術家ヴァルター・シュピース。
 
 彼は、第一次大戦でウラルの抑留所に送られ、家族と分断されたときから、特に母親(特別な絆でこの親子は結ばれていた)に対してたくさんの、いきいきとした手紙を書いている。若者とは思えないしっかりとした現実主義、理念、哲学に溢れたそれらの手紙は、1962年にシュピース作品の収集家だったハンス・ローディウスというオランダ人により書簡集「人生と美の豊穣」というドイツ語の本にまとめられた。

 シュピースの母や家族、友人へ宛てた手紙はその後もジャワ、バリ島からもつづき、書簡集におさめられなかった手紙も後にアメリカやヨーロッパで大量に見つかり、それらを総合して、「バリ、夢の景色」のなかで、シュピースのひとなり、人生哲学がさらに解き明かされてきたといえる。

 シュピースの哲学は、人生の蹉跌からの再生や、規範的な善悪の意識を、彼なりの経験に基づいて説くものであり、二度の抑留生活や、規範的な芸術を押しつける父への反抗、人間の欲がうずまくベルリンの都会生活や東インド植民地での支配者階級への嫌悪感、反発と結びついているといえるだろう。それは現在の混沌とした、不安渦巻く社会にも響く要素を秘めているように思える。

(以下、手紙の例)

「現在がどんな状況であれ、僕は現在だけを楽しむつもりです。今日という日は、いつも何かすばらしいことを与えてくれます。
だいたい、明日になれば、僕はここに存在していないかもしれません。こう考えることで、僕はいつも幸せでいられます」(1917年9月2日。ウラル山脈の収容所から、母へ宛てた手紙。それは、宗教と人間の関わりを軸にした独特の快楽主義の発見であった。以後、彼の欲求は、楽園に向かって突き進んでいく……)

「僕にとって、人生のすべては終わりのない誕生日です! 僕の誕生日のテーブル(つまり人生のステージ)には、好むもの、好まざるものに限らず、さまざまなプレゼントが山のように積まれていく。僕はそれらをすべて受け入れ、良しも悪しきも同様に「楽しみたい」と思うのですが、あまりにもプレゼントが多すぎて、そうする時間がない。なんともったいないことでしょうか!
僕は運命に負けない。運命から困難を何度ぶつけられても、僕はまるで起き上がりこぼしのように起き上がるのです!
人生とは、良い事と悪い事が常に交錯し、混在することで成り立つ、シリアスなステージです……。
僕は人生を「生きていない」悲観的な人、人生と遊んでいない人を軽蔑してしまう。世の中には、自分の人生に満足している人がどれほど少ないことか! ほとんどの人は欲望で働くのではなく。生活の必要性のために働き、やりたいことができぬまま、時間が過ぎていきます。人生を忘れるために週末には映画館などに行きます。働いてばかりいる人生のご褒美として、劇場やコンサート、芸術があり、癒しの場となっているのです。それらは人生の外側に位置していると考えられている!」(1939年、弟へ宛てたバリからの手紙より。シュピースの人生訓をよく現わした後期の手紙例)

バリ島ウブドゥのアルマ美術館で、以前生誕101年記念として展示されたヴァルター・シュピースの作品レプリカや、珍しい写真が常設展として展示されている。
写真類は新たに分類され、説明文も追加されているが、まだすべて英語のまま。日本語訳が進行中らしい。
作品レプリカは色再現がいまいちだが、写真はどれもクオリティがよく、再構成された説明文もわかりやすいので、アルマ美術館に立ち寄られる予定のある方は、ぜひ見ていただきたい。

なお、二年前逝去されたバリシュピース協会初代会長のジャランティック氏を記念する、彼の絵画なども一角に展示されている。

シュピースが親しかったあるオランダ人学者と、平良氏が独立戦争直後にシンガラジャで邂逅した、興味深いエピソードがある。

ゲリラ戦が収束し、山を降りてシンガラジャで自転車屋をはじめた平良氏は、一人取り残された異邦人として数奇な目で見られ、やがて生活に疲れていく。
そして、憂さ晴らしに行った一杯飲み屋に、そのオランダ人がいた。

1950年代はじめ、バリ島に民間の外国人など数人しかいなかった。特に、独立戦争で敵として戦ったオランダ人でバリ島に残っていたのは、この学者だけである。
この学者、ホモセクシュアルで、女々しい男だったという。しかし、巨体で、何人も敵を殺戮してきた空手の達人たる平良氏に、真っ向から戦いを挑んできた。飲み屋での、酔っ払い二人の一騎撃ちだ。

「きさま、なんでオランダ人が、飲み屋にいやがる!」
「おまえこそ、どうして日本人がこの島に残っている!」
「くそ、外へ出ろ!」

はたして、軍配は……。

「サムライ、バリに殉ず」(講談社)に、そのエピソードを綴ってあるので、ご一読を。
しかしこのオランダ人学者がシュピースとどんな関係だったのかについては、「バリ、夢の景色 ヴァルター・シュピース伝」を読まないと、わからない。

「サムライ、バリに殉ず」(講談社)、絶賛発売中。。。


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1928年、ジャワからバリ島へ移住した間際のシュピースは、バリ島西部のジャングルを探検。そのときの印象を「動物寓話」という油絵にあらわした。トラに似た動物は今は絶滅しているが、当時はまだ生き残りがいたという。しかしヘビと格闘する様子といい、タッチといい、ルソーの空想による熱帯絵画によく似ている。
シュピースの画風は、バリへ来た直後になぜか表現主義へと戻り、鮮やかな色彩をキャンバスに散りばめている。
「すばらしい、すべてが美しい」と友人への手紙でバリの景色や生き物のすばらしさを綴るシュピースは、この1920年代終わりに、かつてヨーロッパにいたときに感銘を受けたルソーの熱帯絵画の印象をモチーフにした作品をつぎつぎと描いていくのである。

イメージ 1

ペニダ島で緑色のコウモリを発見した10年後、つまり1930年代終わり、ヴァルター・シュピースは昆虫の採集とスケッチに没頭した。そのスケッチの数は100を越えると思われ、70数点が今もオランダ・ライデンの自然史博物館に展示されている。
そのうちのひとつが、この写真である。バリ島でつかまえたトンボを、シュピースは色が変わらないうちに、その毛や羽の文様ひとつひとつまで、正確にスケッチしている。

シュピースは「ドクター」としてオーストラリアの科学誌にもその成果とともに紹介された。

シュピースがそうした資料を送っていた学者のリーフティングは、後年「シュピースが生きていたら、高名な学者として歴史に名を残しただろう」と讃えている。

しかし、シュピースのこうした趣味も、インドネシアを侵略するため迫ってくる日本の戦争により、中断されてしまうのである。。。

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坂野 徳隆
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