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台湾の『全民最大党』という番組が天皇皇后両陛下と震災被害者をかけあわせたパロディを放送し、日本人ネットユーザーから批判を受けている。 |
台湾全般コラム
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今夜(18日)夜、台湾の華視テレビで行われている歌手らの主演する「相信希望」という4時間ほどの生放送の東日本大震災チャリティ番組で、すでに7億台湾ドル(約20億円)もの募金が台湾中の視聴者から集まっている。
すごい金額だ……。
あと10分(深夜零時)で終わるが、30分ほど前には鴻海集團の社長夫妻も来て、ポンとその場で2億元(約6億円)を寄付!
台湾でこんなチャリティが行われていることが、被災地の日本では知られていないのが少し残念。
久しぶりに見たジュディ・オングがさっき出演し、日本語で「台湾人もこんなに日本のために頑張っています」と言っていた。
チャリティソングもつくられ、その売り上げも寄付されることになっているらしい。
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「XX野郎! おまえなんぞ、大陸へ帰れ!」
男の怒号に振り返ると、顔を真っ赤にした中年の本省人が、背の高いもうひとりの男に片手を振り上げ訴えているのが見えた。
2011年2月28日。二二八和平記念公園の夕方。1930年にラジオ放送局として日本がつくったスペイン風の建物の前である。建物は現在二二八記念館として、二二八事件の関連展示を行っている。騒ぎがあったのは、その建物の前、犠牲者らの顔写真や事件の様子を野外パネル展示している一角だった。
怒鳴られた外省人の中年男は、飄々とした態度ながらも、本省人をいかにもバカにした顔で笑いながら、周囲で警戒する警察官たちに話しかけている。
みなさんは1947年2月28日のいわゆる二二八事件を知っているだろうか?
台湾事変とも呼ばれるこの戦争状態は、その前日の27日に、台北の新公園(現在のここ二二八公園)で闇タバコ売りの本省人女性に、取り締まりの役人複数が暴行を加え、無関係な本省人を一名射殺したことから、翌28日、これに抗議する本省人のデモが発生し、憲兵隊が群集に無差別発砲。国府軍(国民党の軍隊)が全土で本省人に発砲や処刑を行った。
デモでは、台湾人は日本軍が残したり自分たちが持っていた軍服を着、日本語を掛け合ったり日本軍歌を歌ったりしながら、外省人に抗議した。これに対して、日本の敗戦とともに台湾省行政長官となった陳儀は、大陸の蒋介石に「台湾人が独立を企てている」などの内容の抗戦許可を求める電報を打ち、援軍派遣を要請した。
陳儀が台湾人に向かって投降を呼びかけたのが、このラジオ局だった。
全土で陳儀の部隊による大虐殺が展開されたのはこの直後だった。毛沢東による文革時の粛清のように、日本時代に高等教育を受けたエリート層が逮捕投獄され、残酷な方法で殺害された。本省人被害者は三万人にものぼるともいう。
これ以来、本省人と外省人のあいだには「省籍矛盾」と呼ばれる感情的な溝が生じ、国民党対民進党に代表される社会的な亀裂を残してしまうのである。
冒頭の、外省人に怒りをぶつける本省人の姿など、いまでも見られるのだから、根深い。
さらに、この事変で有名な戒厳令が敷かれ、以後四〇年近く続き、蒋介石による白色テロと呼ばれる厳しい反政府勢力・言論人権弾圧が行われるのである。そして、戒厳令下、二二八事件の実態は台湾市民に隠されてきたのである。
私の同年代の台湾人は学校でまったくこの事件について学んでいない。
民進党政権のもとでこの記念日と記念公園は社会の注目を正当に浴びるようになったが、国民党政権に戻り、二二八記念日・公園への「締め付け」も出るようになったという。
馬総統は「みなさん今日は平和に心安らかに過ごしましょう」とスピーチしたらしいが、自分の親兄弟を殺されて、いまだにどこに埋葬されたのかもわからない本省人がたくさんいるうえ、政府はなにもしようとないらしい。遺族の気持ちを逆なでするようなことは枚挙に暇がない。
台北市内ではこの日、馬英九と国民党に対する大規模な反対デモが行われた。
この一週間ほど前、中国に伝染した「ジャスミン革命」の余波のなか、海峡協会の中国人代表が数度目の訪台をし、初めて南部へ足を伸ばした。
彼は中国では序列の低い政治家だが、台湾で馬政権人気が低迷するなか、民進党の地盤である南部へあいさつまわりにでかけるというパフォーマンスをするところはなかなか上手だった。しかし、その車列にジャスミンの白い花束を投げつける本省人のパフォーマンスはもっとおもしろかった、いや上手だった。
白いゆりの花は、この日も、二二八記念公園の中心オブジェの池にたくさん供えられていた。
PR不足からか、会場はがらがらだった。
台湾人は嫌な歴史は忘れてしまいたい、という気持ちの人が多くいるように思われる。しかしこの複雑な台湾社会は、この二二八事件の呪縛からはまだのがれることはできない。
ちなみに、この公園に立つ国立台湾博物館はやはり日本時代の建物だが、そこには台湾の植民地経営の基礎を築いた日本人総督と民政長官の貴重な銅像が、エジプト・カイロ博物館の重要ではないミイラのように、隅にひっそりと飾られている。 |
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意外と知られていないが、台湾は書籍・雑誌の文化が非常に高い。
台湾の知り合いに大勢編集者やカメラマン、出版社関係者がいるので、10年前にはすでにその流通の自由さ(日本に比べて格段に本を流通経路に出しやすい)にまず驚いたが、7年ほど前に台北・信義地区に「誠品書店」ビルができたときは愕然とした。品ぞろえの豊富さや雰囲気だけでなく、自由に座って読める環境までそろっていたからだ。
といっても、日本のように世界的にハードカバーを美しく作り上げる国から来ると、ソフトカバー全盛の台湾書籍界はたいしたことない、と思えてしまうものの、本好きな日本人をさらに上回るのではないかと感じさせるのが台湾人とそうした本屋の雰囲気である。実際、80年代の民主化から急速に増えた出版社といい、00年代半ばの不況に入るまでの成長ぶりにはすごいものがあった。
信義地区は101ビルや台北市庁舎のような中国人ツアーの目的地が位置するため、ここにあってフラッグショップ的な誠品書店ビルは彼らの熱い眼差しに晒されている。それもそのはず、中国にはこんな本屋、書籍文化は皆無である。私が香港にいたときも、本屋は一様にたいしたことがなかった。(中国の本は安くて学者が書いた研究書はとてもいいものがあるが、値上がりと、依然コピー本が多いのにはうんざりする)
中国人にとって、台湾の本屋は立派な観光地である。アジアでこれほど本屋が充実したところは台湾しかない。先日、日本のスポーツ雑誌編集者の友人を初めてここに案内したときも、彼は眼を丸くしていたほどだ。
雑誌は一様にたいしたレベルではない。GQなども最近はよくなったが、以前は地元風のベタっとした内容で、垢ぬけず見る価値もなく、という感じ。海外旅行ガイドブックも個人による取材制作が多く、レベルが低かった。この傾向は変わっていないが、社会文化歴史などの書籍の充実ぶりは目を見張るものがある。アメリカ帰りのデザイナーも多く、デザイン面での充実度も年々上がっている。
表紙が全部厚紙の3D(レンチキュラー?)仕上げの雑誌まである! めくったら、普通紙の表紙があった。意味あるか?!
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今月(2010年1月)、世界第一位から第二位へ転落したノッポビルに浮かび上がる文字が、ちょっとした笑いと騒動を生んだ。 |



