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走路有風〜 作家・坂野徳隆の書斎からの景色
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安倍犬がちょろちょろとイランへでかけ、飼い主トランプのご機嫌取りと選挙前のポーズとりをしている最中、まさかの出来事が起きた。

安倍がまだ現地にいるあいだに、イランのホルムズ海峡で日本と台湾の企業がチャーターしたタンカーが攻撃されたのだ。

アメリカはイランがやったといい、イランはアメリカがやったと主張。どちらであっても安倍は顔に泥を塗られたわけだし、滞在中生命まで脅かされる恐れもあるのだから、騒ぎたくない日本のメディアは静観。しかし待て。これは大変なことが起きているのではないか?!

アメリカといえば米西戦争からベトナム戦争、イラク侵略まで、でっちあげ、自作自演の自軍攻撃などにより、戦争(侵略)開始の理由をつくってきたことで有名なわけで、それを今回もやったのなら、イランと日本安倍が対談中に日本のタンカーを攻撃するという、まあ、とんでもない(というかとても興味深い)ことをやらかしてくれたことになる。

イランで日本のメディアに会見した安倍の焦燥したあの表情。ぼくちんは帰ってから大変……もしかしたらここで大変なことに巻き込まれたんじゃないか、という顔。トランプは飼い主で友だちでも何でもないことに気づいた?

アメリカ政府は、自軍が撮影したという、日本側タンカーの船体から不発の機雷を密かに取り外すイラン革命防衛隊のビデオを公開したが、誰が見ても「これぞフェイクニュース」という代物ではないか。イラク侵略の前のアメリカ政府のおかしな言動がデジャヴのようによみがえるのは私だけじゃないだろう。


大相撲をこの七、八年真剣に見ている。

何がきっかけだったか覚えていないが、日本統治下の台湾を含め、明治から昭和初期の出来事、人々を調べていると、市民、男子の行う街角スポーツとして相撲がやたらと行われていたからかもしれない。

大阪相撲が台湾にやってきたときの騒ぎやら、バリ島の平良さんらがバリ人らに教えて興じた相撲やら、西洋化の中でも相撲は確かに日本人の精神文化に根を下ろしていた。

朝青龍が引退した後、八百長問題で客離れがする中で、白鵬が頑張っていたときに興味を覚えて見始めると、その面白さにどっぷりとはまってしまった。桜の咲く春、靖国神社で奉納相撲が行われ無料で見られるのを知り、初めて力士を間近に見たときに強い、上位の力士ほどオーラがあることに驚いた。そこでは単なるジェスチャー相撲を見せるのだが、桜の花びら散り舞う中、日本の国技が行われるのが印象的でもあった。力士との距離も近く、花道を歩く大関時代の鶴竜がハイファイブをしてくれたり、楽しい雰囲気であのように相撲、力士を近くで感じる機会があったことから、さらに興味を抱いた。

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       2012年の靖国神社奉納相撲でのひとこま。まだ綱は二人。



オーラが強かったのが白鵬である。それゆえモンゴル力士の強さの秘密に興味を持ったし、白鵬は特にどんなときでも応援してきた。しかしそこに起きたのが今回の日馬富士暴行騒動である。モンゴル力士の母国モンゴル政財界とのつながりや、ブラックボックスと石原慎太郎が呼ぶ日本相撲協会の内紛など、パワーゲームが展開されていることが白日のもとに晒されつつあるなか、気分が悪くなるのはそうした現実問題だけでなく、マスコミの報道であった。

誰もが相撲協会が怖くて、日刊現代などが報じている貴乃花親方と協会の対立を言わない、書かない。テレビに出る白髭眼鏡のスポーツジャーナリストのおっさんなど、何をいわんが、である。ジャーナリズム皆無の世界である。中国共産党を批判すると中国に入国できなくなるのが怖くて書けない研究者と似ている。しかしいったん「対立」が報じられはじめると、一気にみんなが同じことを書き、話しはじめる。なんだこの国は? しかも貴乃花親方がバッシングを受けはじめると、そこに集中砲火が行く。安倍一強下のマスコミも巻き込む忖度行動と似ているではないか。

タニマチを持つ日本相撲の伝統は伝統なのだからいいとしても、モンゴル政財界やそのヤクザとかの暗躍、優勝会見で白鵬でさえ日本の心を「忖度」できない、「KY」人物であることがまたもや?露呈してしまったのは、ちょっと困ったことだ。脱モンゴルに向かうのは難しくないだろうが、脱伝統は不可能だし、逆に今こそ伝統に戻って、日本で小学校から相撲を強制的に体操授業の必修科目にしたらどうか。力士の層も厚くなるし、Oh, Japanese kids do love their tradition and they look so cool! などと外国人も拍手するだろう。。




関東大震災から94年。朝鮮人虐殺に関するニュースが色々と出ているので、以前書いた「松木幹一郎」(未出版)から、当時あった後藤新平とこの件の関係を抜き出してみた。
 
関東大震災の九日前、八月二四日に加藤友三郎首相が現職のまま死亡し、日本は首相不在の非常事態にあった。外相・内田康哉の内閣総理大臣兼任中に震災が発生し、山本権兵衛に急遽大命が下る。震災発生の翌日九月二日午後七時、まだ帝都の空が赤く燃えている頃、赤坂東宮御所内の緑ノ御茶屋において摂政宮のもと、第二次山本内閣の親任式が行われ、内閣発足とともに戒厳令が公布された。
後藤新平は寺内内閣に続いて再び内相に就任し、いわゆる「地震内閣」の重要な復興の仕事を担うことになった。
 この九月二日の午後以降、帝都には横浜方面から朝鮮人の暴徒が襲ってくるという噂が流れていた。台湾で日月潭発電所を作った松木幹一郎も様々な噂を聞いていたが、治安を預かる最高責任者の後藤新平から「朝鮮人がくるぞ、お前のところはもっとも危険だ、うちへ避難してこい」と言われ、驚く。それはもう噂どころではなかった。松木の住む渋谷区豊分町は、今の恵比寿や渋谷に近くおしゃれなエリアだが、当時恵比寿辺りは治安の悪さで有名だった。山手線の内側は「市域」と呼ばれる市街地であり、松木邸はその境界線に近かった。
松木は妻とその七一歳の母親、まだ生後一〇カ月の邦子、彼女の三歳、五歳、七歳の兄たち、書生や女中を連れて、麻布桜田町(現・元麻布三‐四)にある後藤邸へと向かった。
後藤の家は帝国ホテルを共同設計したチェコ出身の建築家レーモンドによる頑丈な洋館で、被災を免れていた。後藤は邸宅を避難者に解放し、やがて一〇〇〇人以上の市民が助けを求めて集まってくるのである。同じとき、市内では大勢の華族や富豪たちが邸宅を罹災者のために解放し、家財を売って援助や寄付に当てていた。
ところで、この朝鮮人暴動の噂とは何だったのか。日韓併合から一三年。日本にとって朝鮮半島は中国、ロシア、西欧列強の南下を食い止める重要な緩衝地帯であり、火薬庫のごとく不安定な状態が続いていた。四年前の大正八(一九一九)年には、京城で「三・一独立運動」が起こり、そのときの朝鮮人独立運動家が日本に潜伏し、騒乱の機会を伺っていたといわれる。そこに起きた震災で早くも九月二日から「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という噂が横浜から流れ、朝鮮人グループによる白昼の婦女暴行や殺人、放火が報道されていった。当時日本には一〇万人ともいわれる在日朝鮮人が暮らし、被差別者として苦しい生活を強いられ、朝鮮支配への不満を持つ者も多かったという。
工藤美代子著『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』によれば、内相となった後藤は、朝鮮人暴動を戒厳令下の武力で事態収拾すべく、それまで暴徒と戦っていた自警団を解散させ、マスコミによる「朝鮮人悪し」の情報を規制、「朝鮮人の美談」を取り上げさせ、風評の打ち消しに努めたといわれる。後藤は朝鮮人と自警団の争いが内戦に発展すれば、摂政宮に危険が及び、国体に影響が出ることを懸念した。つまり朝鮮人の暴動は真実だが、後藤は天皇を守るために、朝鮮人暴徒による放火や殺人、強盗を隠蔽したというのである。
 二週間ほど後の九月一六日、後藤本人も、罹災者救援のために民間の実業家によって設立された「大震災善後会」委員総会の席上で、「東京附近は一時朝鮮人の騒ぎで不安であったが、今は戒厳令の力で全く不安は一掃されている」と語っている(『大阪朝日新聞』大正一二年九月一七日付)。このときも同会長の徳川、粕谷貴衆両院議長や渋沢栄一ら委員は治安維持のため後藤や首相に戒厳令の継続を嘆願している。帝都復興院が設立される一〇日ほど前のことである。
 
松木幹一郎は当時東京市政調査会専務理事だった。急増する人口と無計画に広がった帝都の都市計画の弱点に対応していたまさにそのとき、目の前で弱点が血を吐きながら訴えていた。この後、後藤と松木は帝都復興のために手を組んでいくことになる。

しかし後藤新平は台湾以来マスコミ操作に長けているわけで、朝鮮人虐殺の事実隠しなどお手の物だったのだろう。

  
昨日は終戦記念日。台湾では国土の半分が停電で真っ暗。当初、台湾電力が新しく導入したタービン式火力発電が猛暑でダウンしたといわれたが、まったく違う別の人為的原因。いい加減な台湾らしい、といえばそれまでだが、原発再導入の論議がされるベースになるのでは、という日本メディアの横やりにしても、嫉妬の入り混じった二律背反の遠吠えにしか聞こえない。

そういいながら、「原発メーカー」東芝製のパソコンでこれを書いている。

しかも靖国神社には何十回も足を運んでいるが、一度も参拝などしたことがない。したいとも思わない。これは二律背反ではない。無責任な戦争指導者が祀られた靖国神社をなぜ国家的戦没者祈祷所として扱い参拝しなければならないのか、理解不可能である。

台湾にも日本統治時代に「靖国神社」的神社、「建功神社」があった。確か日清戦役から台湾領有戦争、蕃界開拓時の犠牲者と、領台時からの戦死者を祀っていたはずである。戦後、その本堂ドーム部分をすっぽりと四角い支那的建造物で覆い、まったく違う学術施設にしてしまったが、中へ入ると当時の大理石のホールなどそのまま残っている。蒋介石が台湾版靖国神社を破壊しなかった理由も、その美しいホールを見たら納得できるかもしれない。


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現存する建功神社内部

ドームは天井などが国民党に改造されているが、そこにいると、往時をしのぶことができる、お勧めの観光ポイントである。(検索すればすぐにわかる)
 
 
思えば、帝国主義日本が方向を間違えたごく最初の時期というのは、官僚主導、反政党政治による国家主義確立の実現を目指した後藤新平が台湾の成功をバネに満州へ行き、そこを開発していったときではないか。愚策シベリア出兵を主張したのも後藤である。中国で日本陸軍が資とした「阿片」も後藤が日本で初めて栽培を主導し、台湾で「漸禁策」という愚と悪(癮者の治療もせず、50年という統治時代と同じ時間で自然減による癮者全滅を計画し、ヤクザのように泡銭を統治費用にまわし汚職犯罪を招いた)による方法で統治資源の先例として印象づけたものである。それらを考えながらこの建功神社跡を見ると、また違った思いを抱くだろう。 

人為的原因で真っ暗になるのは、一晩の暑都のみとしてもらいたい。

先月台湾のテレビで放映されて話題になっていることがある。
グーグルマップの航空写真で、チベット自治区のエベレスト西方、高度5千メートルを超える人跡未踏の山中に、雪に描かれた仏画のようなものが見えるからだ。

イメージ 1
実際自分でも見てみたら、こんなものが見えてきた。「頭」から下まで数百メートルはある。
場所は、おおざっぱに見たらこんなところだ。



イメージ 2

クローズアップすると、

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周辺にはさらに二つ以上の奇妙な「物体」が「描かれている」らしく、ひとつは鬼の面とも仏具にも見え、もうひとつは女の姿のようにも見えた。

3Dで先の「仏画」を見てみると、こうなるので、
イメージ 4

その左右対称の様子といい、航空(衛星)写真の画像処理上の偶然が重なったものかと推測される。しかし場所が場所だけに、興味をひかれる「現象」である。


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