松田真乘

四 国 遍路 ・ 仏 教 へ の 道 標

一遍路の自伝・夢遍路

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一、 夢 遍 路

一遍路求道の自伝
夢 遍 路
これは
餓鬼道をさまよい歩き自らの心の癒しを求め、仏道を歩まんと四国遍路を行場として歩き続けた一遍路の求道の自伝である。
 
夢遍路
仏 縁
道 心
 
 
 
 
夢遍路
 
そこここにまだ溶け切れぬ雪の残る山道を、とぼとぼと下る薄汚れた白衣をまとう遍路がいた。その背には十二キロ余りの荷を負っている、手には金剛杖ではなく何故か茶色く塗られた錫杖を握っていた。時折立ち止まり、草木や野鳥を眺めながら何やらつぶやいている様子である。そこは、発心の道場といわれる阿波徳島県十二番札所焼山寺の先、杖杉庵に程近い遍路道。
 
この遍路、名を『円心』という、もちろん本名ではない。僧侶でもなさそうなのに何故か『円心』と名乗っている。その訳を聞いてみると、当の円心はこう答えたのである。
「私は僧侶ではない、一介の乞食遍路に過ぎないが三帰・三竟を唱える以上、私も仏弟子であり何ら僧侶と変わる所はない。いやしい過去を持つ私がその懺悔の意味からも、円かなる心を持てと自戒する為にあえて名乗るのであり、旧くは自誓受戒が行われていたものと聞き、それならば自誓得度も有り得ようとの想いから、私自身において自誓受戒・自誓得度をもってあえて円心と名乗るのです」言い終えて円心は、合掌し
『南無釈迦牟尼仏』を三唱したのであった。
この遍路はいったい何処に宿るつもりであろうか、十三番大日寺までは日暮れまでには到底行き着けまいに。そんなことを思っていると、円心は
「今日は鍋岩から玉ヶ峠のお堂に泊めて頂こう、食すものも乏しきゆえ」又こうもつぶやいた
「日の暮れるのも早いゆえ少しは先を急ごうか」
 
 そして陽が西に傾くころ鍋岩の集落に着き、バス停の近くの出店でペットボトルのお茶の接待を受けた。この店の主はもう八十歳近くになる老婆である。物忘れが激しく同じことを何度も聞いてくる。少しは面倒にも思うが、私もいずれこの人の様になる身だと思えばさして苦にはならない、実に心根の優しい老婆であり、これまでもここを通る度にお接待を頂き心身ともに癒されてきた円心であった。
 
 そこで円心は嬉しい便りを耳にした。
「もうすぐこの下にすだち館という遍路宿が出来るよ」というものであった。
あちらこちらで、つぶれ、つぶされてゆく遍路宿がある中で、心ある人たちの善意で建てられる遍路宿が、この最初の難所焼山寺越えの地に出来る事に言い知れぬ喜びが沸いてくる想いであろう、目頭を押さえるそのしぐさにその想いが伝わってくる。
 
ここに、何故遍路宿がつぶれ、つぶされてゆくのかを記しておこう。
お遍路への接待の想い、それは大師への接待でもあるが、その善根を持たれた人から代々引き継がれて来たものの現代の世相の中で、宗教心の薄き子の代に引き継がれる事がまれである事から、今の代で宿が閉じられる事でつぶれ。
心ない遍路の行為が閉じざるを得ない状況をつくり出しているのだ。
 宿の中で、酒を飲んでは騒ぎ、後の始末もせず持ち込んだ塵をも置いて行く。
そればかりか盗みすらする遍路がいる、そうした行為によって閉じざるを得なくなり、又、その宿の承諾もなくネットに宿の存在を流す事により、週に幾人かの遍路さんに対していたものが、毎日のように来られる様になってはその宿のご家族の生活を脅かし閉じざるを得ない状況に追い込まれる事である。
 これらは、テレビ等で四国遍路を取り上げて報道される中で、興味を引く綺麗な所ばかりを写すのみで視聴率を優先し現実を報道しないがゆえに、興味本位で遍路に出、ネットからの情報を頼りにこうした善根宿を利用しようとする為であり、そこに我執に満ちた日常生活を持ち込み我が家の如くに利用しょうとする所にある。
 遍路は非日常の生活を通して我執を捨て、小欲知足の生活において仏道を歩む所に新たな自己の発見をみる旅であるのに・・・・・・・・・・・・・・・・。
あらゆるものがそこに在って当たり前という感覚で居られる事は嘆かわしき限りであり
本来『無くて当たり前、在って有難し・合掌』この姿こそあるべきものなのです。
 
余談はさておき、円心を見失ってはなりません、円心の所に駆け戻りましょう。
 
 当の円心は、鍋岩から緩やかな坂道を登りながら玉ヶ峠を目指していました。
お接待で頂いたお茶でのどを潤し
「南無大師遍照金剛」を連唱しながら、時に般若心経をまじえ身は重くとも心軽やかに・・・・・・・・・・・・・・。
その声に応えるかのように野鳥のさえずりや、木々の葉音が聞こえます。
 
夕焼けの空の中に六地蔵が出迎える玉ヶ峠。
 
お堂の前の縁先に重き荷をドッカと下ろし、袈裟と数珠をかけ、手水場に向かう
 
合掌一礼をして手水を使う。
道中の穢れた手で柄杓の柄を持ち汲み取る一杯の水。
「この身今生において度せずんば何れの生にてかこの身を度せん」
 
この一杯の水(今生)をもって度すべく懺悔文・三業懺悔の洗心行。
手を浄めては  身業懺悔
口を浄めては  口業懺悔
柄を浄めては  意業懺悔
自らの三業懺悔の意思表示
いざ仏の御前に、
「久しくご尊顔を拝します、今日も一夜の宿りをお願いします」六地蔵それぞれに『おんかかかびさんまえいそわか』のご真言を三唱しお堂に入りご本尊に唯一つ残ったみかんを供え五体投地・読経・誓願を祈願して。
荷を解き寝袋を出して食事の支度、おにぎりが二つとパンの耳が少し残るばかりの食料から、翌朝の食事の為のおにぎり一つを仏前に供え、そのお下がりを翌朝に頂くのである。
お茶でのどを潤しながらパンの耳と一つのおにぎりを、欠けた歯でかみしめながら生かされている己をしみじみと感じる円心である。
 
食事を終え仏前に合掌する姿は、飢えた山犬のようにやせていた。
 
円心にとってはまだくつろぐ時ではない、これから座禅の一時をもつのである。
円心は身体が硬く結跏趺坐する事が出来ないので、半跏趺坐して座禅を組む、しかしそれすら今は苦痛になって来ている。
前後左右にかるく身体をゆすりながら姿勢を整え、息を整えて禅に入る。
 
雑念がわき、その日一日の事が頭の中を駆け巡る。
 やがて静寂が訪れる頃、カラスが大きく一声鳴いた。
その一声で坐を解き寝袋の上に横臥したのだった。
 
 円心はふと越し方を想う
 
五十七年の歳月を生きてきた。その歳月の何と醜き人生であったろうかと。
十三歳の時、家族不信の心を抱き己が存在を示さんとして非行に走り、それが元で精神病院への長の入院生活を余儀なくされ中学卒業の時をもって退院とはなったものの家族不信の心は消える事は無かった。
一種ノイローゼ的な精神状態であったことは自覚されていても、一年半に及ぶ入院生活において精神病者としてのトラウマにさいなまれ続けた。
一つの職にあっても三年と続かず非行、犯罪を繰り返し、故郷を捨て一人身となって、死を思う事も幾度となく有ったが死に切れず、又、死んでいて当然の状況においても、わずかなかすり傷や打撲腰痛程度で生命永らえて来たことに、大いなる何者かに導かれている事を感じずには居れず、宗教に道を求めた。
キリスト教・仏教各宗・金光教・天理教等を書に学び、己の心の癒しの道を求めんとしたが果たせるかな、そこに道を見出す事が出来ぬまま・・・・・・・・・
平成も十七年、この時、仏教経典『法句経』に出会い、ここにようやく道の戸口を見出すに至った。
 現宗派にこだわらず、釈迦に立ち返って仏教を学ぶこととなり、現宗派の経典教義に対比して己の心の癒しの道を得る事が出来たのだ。
それをまとめたものが今ここに有る『三念』そのものだ。
まだまだ未熟だがこの私でさえ癒しを得る事が出来たのだ。世に在る人々に通じぬはずは無い、この『三念』を世に問うて生きて行こうと想い定め、自らこれを行じる道を四国遍路にもとめ、平成十九年十月五日徳島県一番札所霊山寺より、右も左も分からぬままに遍路の一歩を踏み出したのだ。
 
 最初は民宿泊まりで歩いたが、五十五番南光坊を過ぎるころ財布を失った事に気づき狼狽する。何処で失ったものか分からず、諦めざるを得ないまま残った小銭で生命をつなぎ、伊予の某寺の通夜堂で、その宿泊ノートに愚痴を書き置き出立したが三十分も歩いた時、行き過ぎようとする車に呼び止められ
「境内の掃除をされていたお遍路さんですか」と聞かれるまま
「はいそうです」と答えると
「これはわずかですが使ってください」と封筒を一通手渡され、受け取って振り向いた時そこにはもう車の影も無かった。
開けてみて驚いた、中には三万円もの大金が入っていたのだ。通夜堂に泊めて頂くのに当然のこととして境内の掃除をさせて頂いただけなのに
「掃除ありがとうございました」との一文に添えて二千円のお布施を頂いたばかりか、吐いてはならない愚痴に応えて三万円もの大金を頂いた。
 
私はこのお寺に初めて『三念』を置いたのだ。
私の『三念』が間違いではないのだとの思いと、生命を頂いた感謝の想いで涙が止まらなかったことを昨日のことのように思い出された。
このお陰をもってどうにか八十八番大窪寺まで打つ事が出来、十番切幡寺を経て一番へと歩き何とか一巡はしたものの、これで良いのかと、本来の遍路とは、仏道とはと自問し、寝袋代わりのヤッケ一つの托鉢遍路の野宿旅をすることとなった。
通夜堂は使わせて頂くが、通夜する心は持たねばとの想いもわいた。いにしえの遍路が歩いた道を、三念修行の道場として歩く事を決めたのだ。
 そして七度目の今日という日まで、托鉢・廻向文の実践を行じ生命をつないで来たのだ。多くの人々の布施に生かされ、ご縁を得、心つなぐ事が出来たのだ。
 
 通夜堂やお堂、遍路宿のノートにこんなことを幾度も書かれた事がある。
「私度沙門薬代わりと酒を飲み」事実ではあるがしかし、己の名も書けないその人が哀れでならない。
私は酒を飲む事がある、眠れない夜半合程の酒を飲んで眠る。しかし決して酔う為に飲むのではない。体調の優れぬとき、釈尊も実行したと云われる飲尿譚の実践、己の尿を飲む事で体調の維持に努めてきたのでありやめる気は無い。
 
 この三念を流布することが私の天命であり、いつか真実遍路の道場として、又人々の心の癒しの場として遍路宿を造る事が私の宿願なのだと深く心に刻む円心であった。
 その夜の眠りの中に父母兄弟の姿を見ることとなるが、這いつくばって顔を上げ得ぬ己を見い出して、この世に生まれて来たことを、この境涯に感謝し不孝の重さを詫びるばかりで、やっとの想いで顔を上げた時そこには父母兄弟の姿はなくまばゆい陽の光の中を鳥たちの舞う姿があった。
 
 ふと息苦しさを感じて目を覚ますと、電灯を消して寝たはずの室内が薄明るく感じられ仏間の姿もハッキリと見て取れた。
そして円心は
「己の想いを信じて生きれば良いのだ」と自灯明の心を得たのだった。
 再び眠りに入り夢を見ることもなく清々しく朝を迎えた。
しかし空はどんよりと曇って今にも降り出しそうな気配だ。
 しばらく地蔵を眺めながらまどろんでいるとポツポツと雨音がしだした、大雨にでもならなければ出立しなければと、朝のお勤めを済ませて、昨夜供えたおにぎりとみかんを下げて朝食を頂いた。
室内と厠の掃除を済ませると少し雨足が速くなり、表の掃除は出来そうも無いので荷の整理をして出立の準備に取り掛かり、整え終わってもやむ気配が無いので座禅を組むことにして座布団を敷いて坐に着き静かに瞑想する円心であったが、一時間ばかり坐っていると雨音は遠のき野鳥が囀り始めた。
円心は野鳥が見送りしてくれるものだと一人合点をして身支度を整え、地蔵に合掌し峠を後にしたのだった。
 
鮎喰川沿いの集落を錫杖を突きながら、門々を巡り托鉢を習いとして三念を行じつつ十三番大日寺を目指すのであった。
 
この円心に、どの様な未来が待っている事であろうか。
 知る人ぞ知る今の円心の姿を
 
 

二、 仏  縁

二、 仏 縁
 
 
「お遍路さん」と呼び止める声がする。
ふと振り返ると、自転車に乗った御婦人が円心を追って来るではないか。並び立つとその御婦人は
「これお接待」と言って、千円札を円心に手渡そうとするのだった。呆気にとられていると
「これ途中で飲んでください」と、今買ったばかりと思しきペットボトルを買い物袋から取り出し、両の手でささげ持って手渡されるのであった。
円心は合掌をしてそれを頂き納め札を取り出し日付を書き込もうとする時、その御婦人は
「いらない、いらない、しっかり頑張って下さいね」と言って、今来た道を戻って行くではないか。なんというお人だ。わざわざ追って来てまで、・・
布施の心、喜捨の心を持ってしっかりと仏道を歩まれている。
 円心はその後姿に菩薩を見る想いで深く一礼し、合掌する手に珠の涙を落とすのだった。
「南無大師遍照金剛」と一声唱え
「自らを正さねば、真実遍路しなければ、このお接待を受ける資格も、この白衣をまとう資格もない」と自戒せずには居れない思いであった。
 
 次の札所は郷照寺、見上げる空は薄茜色に染まろうとしている。今宵の宿も定めねばならない時刻である。確かこの先に地蔵堂が在ったはず、近くにスーパーも在ったろう。地蔵堂では火を使えないから、何か夕食を買わなければと心騒ぐものがある。
 
《身豊かに 心貧しき 人の世に 菩薩ましまし 我を導く》
 
 また一つ心洗われてトボトボと歩く遍路道、行く手には三ヶ寺を抱える峰があり、結願の寺大窪寺も後数日の道のりだ。
 
 地蔵堂に着いた円心はペットボトルの水で三業懺悔の意思表示、手を洗い口をゆすいで杖の足を洗った。扉を開け中に入ると、杖を置き荷を降ろした。先ずはお参り、ロウソクと線香を立て何時もの様に勤行次第を一読し、くつろぎのひと時を持つ。
 一時間ほどの間に三人ばかりの歩き遍路が通ったが、誰もこのお堂を見向きもしない。歩き遍路が八十八ヶ寺だけを巡る、それで何になるのか、心を洗うべき遍路行がそれで良いのか。
 歩くと言う字を見てみれば
「止まれ少し」と書くではないか、なぜ歩かないのか、なぜそんなに先を急ぐのか。真実遍路のあり方をなぜ探求しようとしないのか。人それぞれとは言えうら寂しさを覚える円心である。
 
「近くのスーパーへ買い物に行こう、そろそろ値引きもされていようから」と座を立って表に出て見ると、あちらこちらに明かりが灯り夕闇に包まれてゆく。その中をスーパーへと足早に出かけていった。スーパーでは案の定半額品がちらほらと見受けられた。円心は三食分を買ったが六百円で事足りた。
 お堂に帰り着くと小銭を賽銭箱に入れて合掌。自らの誓願の道を歩むべく、この命に感謝。
 
「南無地蔵菩薩、導きたまえ我が誓願の道」
 
 食事を終えた静寂の中、今日一日を振り返ると人の心の表裏を見る思いがした。
さっきの人のように菩薩の心を持つ人が居れば、遍路をけぎらう人も居る。
 昼近くの事であったろう。コインランドリーの前を通りかかり、喉が渇いていたのでお茶でも買ってランドリーの中で一休みして行こうかと思って、ランドリーの前の自販機でお茶を買って中に入ろうとすると、そこのオーナーらしき御婦人が
「洗濯されるんですか、そうでなかったら入ってもらっては困ります」と、けんもほろろであった。
 円心は、まだ洗濯をするまでもないので仕方なく歩き続けた。しばらくするとバス停のベンチが在ったので、冷たいうちにお茶を飲みながら一休みしようと、脇に荷を降ろしベンチに腰を下ろしたのだった。
 重苦しいその心は、さっきの出来事で霧消したかのように晴れやかになったのだが、己が心中にもこの二人が同居しているように思えてならない円心である。
 
好天に恵まれて、あっという間に数日は過ぎていった。
 
 円心は今、八栗寺を打ち終えて六万寺の門前にたたずんでいる。時刻はまだ夕方の五時少し前であり御住職の来られる六時までにはまだ間があるので、境内をお参りし御住職の来られるのを待って、今日はここに宿を取ることにしたのだった。
 この寺は源平合戦で名高い、幼い安徳天皇の行在所となった由緒ある寺であり元は広大な寺域を有していたものと聞いている。
 本堂の前で読経し、いくつかの堂宇、石仏に参り一休みしていると近くの団地の子供たちが鐘を撞こうと集まって来た。その中の年かさの女の子は円心の事を覚えていて
「和尚さんまた来たの」と声を掛けてきた。坊主頭に作務衣姿ではそう思われても仕方のないことだが、円心は
「和尚さんじゃないよ、お遍路さんだよ」と微笑み返すようにその子を見つめて言った。その子は首をかしげながら
「和尚さんのお友達」とまたしても聞いてくる。
「お友達じゃないけれど何時もお世話になっているんだよ」と答えると
「じゃあ又来るといいよ」と円心を歓迎してくれているようであった。
 そうこうするうちに御住職が来られ鐘を撞く時刻となったので、子供達の鐘を撞く姿を眺めながら合掌し、世の平安を祈る円心であった。
 鐘を撞き終えた子供達に御仏のお下がりのお菓子が振舞われ、ご多忙な御住職にもやっと安らぎのひと時がおとづれる。そこで円心が今夜の宿りを願い出ると快く受けて下さり、通夜堂の鍵が開かれた。
 通夜堂で荷の整理をしていると何時ものように、ポットにお茶、お茶菓子をお接待下された。
「こんな物しかないが」と巻き寿司までもお接待を受けることとなったのである。
「何と美味なる物か、心尽くしのお接待」と欠けた歯で噛みしめる円心がそこに居た。
 後三日の行程である。今夜はゆっくりと休ませて頂こうと、食事を終えるや寝袋を出してすかさず横臥した。
 
またしても越し方を振り返る円心であった。
 
「私はこの七度の遍路で何をし何をされてきたのか」を思わずには居られず、
ついつい愚痴の出る始末であった。
 
 バス停を我が物顔に占拠する自転車遍路。広々とした海部のバス停で「私は一人でしか寝られないのであんたは他に行ってくれ」と言う人。又、神峯寺下のバス停でもまだバスの通る時間から、自転車を中に入れ乗降客の座る余地も無い程に占拠して寝ている人。小田町の先の休息所の東屋では、まだ明るい内から東屋の中にテントを張り自転車までも中に入れ、あまつさえ出入口を塞ぐという愚行を演じる人まで居た。
 数え上げればきりが無い、ついつい愚痴が口をつく円心である。
 
 己のして来た事と言えば、あまり悪さをしたという覚えは無い。しかし気付かぬままに人の心を傷つけて来ているかも知れないと自戒せずには居れないのであった。特に善い事をしたという記憶も無いがあえて挙げるなら、・・・・・。
 二度目の遍路の時、伊予三島近くで火事場の第一発見者になった時の事が挙げられるだろう。三角寺を目指す道中、あまりの暑さからハンカチでも買おうとして小店に立ち寄った時の事である。
 店の外壁の下から煙が這い上がるように見えたので、店の女主人に
「何か焚き物でもされているのですか」と尋ねると
「何もしていないよ」との返事。
 あの煙は何だろうともう一度覗いて見ると、煙は以前に増して立ちのぼり奥の二階家から火の粉が散るのが見え、あっという間にボンという音と共に火柱が上がった。円心はとっさに
「火事だ、消防に連絡を」と叫び、その店の裏に回り火事場の二階家を確認すると、まだ一階は外に見える様な火の気は感じられなかった。
 そこで円心は、向いの小学校の校舎から傍観している教師や生徒に向かって、
「消火栓とホースを大至急用意して下さい」と叫ぶと、その教師は何と言ったことか
「もう手遅れだ」と言うばかりで何も手を打とうとはしないのだ。
 何という教師か、仮に間に合わないとしても、中に人が居るかもしれない状況で、その神経が理解できない。まだ火の手が上がったばかりで打つ手は幾らでも有ろうものを、生徒全員でバケツリレーをしてでも火を消そうとする行動が有ればそこに、知識の受け売りではない生きた教育が出来るものを。
 こんな教師に教えを受ける生徒こそ哀れに思われる円心ではあったが、己一人の力量にあせりを感じながら、消防団の到着を待ち消火を手伝った。
 
火はあらかた消されたように見えたので、到着した消防車の長とおぼしき消防士に
「火はおさまって来ている、もう突入しても良いのでは」と訴えると
当の消防士は
「防護服を着終わらないと入れない」と言うではないか。
 円心はあきれてものが言えなかった。燃えているのはせいぜい六畳二間位の物その一・二階である。防護服が無くとも口を塞ぐだけで、中の状況を確認する事位はたやすく出来るはずだ。
 己の身可愛さに、中に居るかも知れない人の命を軽んずる消防士とは。この消防士にしろ教師にしろ何という世の中であろう。と嘆かずには居れぬ円心であった。
 円心はためらう事無く一階の窓から入ろうとしたが開かず、蹴破ってでもとあせる中、近所の人から声が掛かった
「その戸は開くよ」と言われるまま、強く戸を引くと人一人出入出来るまでにはたやすく開いた。
 中を見ると、一階部分には全く火の気が無かった。円心は足場に注意し
「誰か居るか」「誰か居るか」と声を掛けながら二階へ駆け上がった。
 
 そこは今にも焼け落ちそうな壁や柱が見えるばかりだった。現場検証が済むまでは物を動かすことは出来ないが焼死体の有無を確認するため、消防団員に放水を止めるよう促して室内を見渡すが、幸いにも死体を発見することは無かった。
 
 外に出て中の状況を説明し終わると警察官から、火事場の第一発見者として事情聴取を受けた。まるで過去の取調べの時のようにさえ感じたひと時ではあったが、放水でびしょ濡れのまま、今日は戸川公園で一夜を明かすよりないと思い定めて、現場を後にしたのだった。
 
 そして三度目の遍路でその現場に立ち寄り小店の女主人に聞いてみると、燃えたのは向いの床屋さんの建物だったとの事で、
「寄ってあげたらきっと喜ぶよ」と言われるままに円心はその床屋の戸を開けたのだった。
 思いもよらぬ歓待を受け
「ここを通られる時はまた寄って下さい」と暖かい言葉を頂いたばかりか、身に余る金子までも頂く事となった。
 
それ以来ここに立ち寄る度に幾ばくかの接待を頂いている。偶然にもその時そこを通っただけなのに、それを見た以上、やるべき事をやっただけなのに、・・。
 このお接待に甘え続けて良いものだろうかと自問しながらも、自らの誓願の為
この身を生かさんが為、甘え続けて来た円心である。
 その家の奥さんが一年先にお亡くなりになろうとは想像もつかぬ事であった。
 
 人は明日を見通すことは出来ない、今という時を精一杯生き切ることのみだ。
己を正さずして人に説く事は出来ない、今の自分、こんな己で善いのだろうかと自問するばかりの乞食遍路。
 悪縁ありてまた良縁あり、気付きを得ることは観世音の諭しに他ならないと思われる円心であり、卑しき境涯も今の己に導く糧であったと逆縁にせよ仏法に出会えたことに言い知れぬ喜びを感じる円心である。
 
「南無大師遍照金剛」八十八ヶ所巡拝の四国遍路への風習、お接待に、今は甘えさせて頂こう。
 己の誓願
『三念流布』『癒しの道場創設』の芽が吹くまでは。
 
 見返りを求めぬ布施の心を持たせて頂こう。それが私をここまで導いて下された御仏への報恩である。
 
縁浅からぬこの六万寺さんで想いを新たにする円心である。
 
 庭で鳴く虫の音を聞きながら静かに眼を閉じ安らぎの眠りにつき明日を夢見るその寝顔はどこか寂しげであった。
 
円心の道心堅固成らんことを。
 
 
 

三、 道 心

三、 道  心
 
 
 時は移り平成二十一年春三月
伊予三坂峠、鍋割坂の急坂を錫杖で身を支えながら、下ってゆく見慣れた遍路の姿があった。それは紛れもない円心である。
 まだ雪の残るこの峠道に春の到来を告げる草木の芽吹きを眺めながら、姿は違えど同じ時を共に生きる生命として
「お出迎え、お見送りありがとう」と声を掛けては
「私にもいずれ春はやって来よう、誓願の芽吹く春が、その時まで生き永らえようや」そんな想いにとらわれるのだった。
 
 土道が途切れようとする所に休息所の東屋が在り、すぐそばを流れる谷川のせせらぎが聞こえる。
 まだ昼には早いが、三坂峠の観音堂で頂いた弁当を開きこれからの托鉢に備えるのである。お茶の用意がないので、谷川の水を空のペットボトルに取って一足早い昼食の時を迎える。
 
食事を終えてしばしの休息
 草木や虫、鳥たちの生き様と己の生き様を対比するとき、そこに多くの気付きを得て来た円心である。
 その気付きこそ御仏の諭しであり、その時のそれらの生命は御仏そのものに他ならない。
 美しく咲く野の花は誰が見ていようがいまいが、そこにただ咲きつづける。その花の蜜を虫たちに。その呼吸から吐き出される酸素は動物たちに。やがて枯れ落ちる葉花は虫たちの餌となり他の草木の栄養として土を肥やす。
 そこにあるのは、見返りを求めない布施の姿である。しかし、万物の霊長と言われる人間の心は卑しい我欲に満ちている。かくいう円心もその一人である。
 足下に忙しく働く蟻を見るにつけ、己の身よりもはるかに大きく重い餌を一身に受けて巣に持ち帰ろうとする。その重い荷は己の食い扶持ではなく巣にいる仲間のため我が身をいとう事はない。同種の蟻同士では互いに助け合い闘争することがない。
 この自然の中にこそ見るべきものがあり、聞くべきものがある。
 
 人が人と対比する時、愚痴、怒り、ねたみ、憎しみが生まれる。又、安きに流れる人の心が、他人がやっているのだから自分がやって何が悪いと言わんばかりに、無闇に塵を捨て、場所を占拠し、他者への気使いなどまるでないままに参拝されるお遍路さんの実に多きことか。
 
 己の心中深くに居ます仏性への目覚めは、この自然との対比対話の中にその気付きを得、自らの心を洗い、磨く事から始まるのである。
 
 懺悔する心を植えつける為、札所手水場での作法に意味付けをしては三業懺悔の意思を表し心を浄めようとしてきたのだ。
   手を浄めては  心業懺悔
   口を浄めては  口業懺悔
柄を浄めては  意業懺悔 の意思表示
 
仏法の奥義は知らず。僧侶でもない一介の乞食遍路ではあっても、求道の道心は学識僧侶に劣らぬものと自負するものがある。まだまだ未熟ではあっても遍路の体験の中に行じてきた、体得の想いがある。
 
 歩き遍路の特権は、この自然との対比対話が出来るところにあり
「少し止まれ」と書く如く、歩くことの本質に立ち返って遍路して頂きたいものと思わずには居れぬものがあり
「餓鬼にも劣るこの私でさえ今の境地に来れたのだ、誰に叶わぬ事があろう」と、三念流布に心を燃やす円心であった。
 
 時は人を待たない、現実の我に返るときもう十二時を過ぎていた。
この間一人の遍路も見かけることはなかった。
円心は身支度を整えて山の木々に向い合掌して
「南無釈迦牟尼仏 三念正起 浄土招来」と唱え
「南無大師遍照金剛」を三唱したのだった。
 
 麓の集落に降り、坂本屋の厠を借りて用を足して廻向文の実践行、托鉢に歩くのだった。
 
 家々の門に立ち
「ご当家ご諸霊のご供養と平安を祈願してここに読経し奉らん」
開経偈にはじまり廻向文に終わるまで、遍路として真言宗勤行次第を読誦する。
そして最後に
「ご当家に幸多からん事を」
目を閉じて一礼することが、円心の行である。
 
 三軒まではお留守のようであったが、四軒目を過ぎて五軒目に指しかかろうとする時、後ろから
「お遍路さん」と呼び止める声がして振り向くと四軒目の方であろう御婦人が「有難う御座いました、裏の畑に居たものですから失礼致しました」と菓子袋と〔お布施〕と書かれた封書を円心に手渡すのだった。
 円心は無言のままおしいただき
「これが私の念いです」と、手書きコピーの三念をその御婦人に手渡し
「ご迷惑で無ければお読み頂ければ幸いです」と言って一礼して次へと向かうのだった。
 
そして浄瑠璃寺・八坂寺を打って、西林寺手前の札始め大師堂に着いたのは夕焼けの空を仰ぐ時刻であった。
 お堂の前には幾十もの墓石がたたずみ真新しい花や供物が目につく。円心は先ず荷を負ったままその墓石に対し、般若心経一巻と
「南無大師遍照金剛」を三唱した。
 
 お堂に入り荷を解いて、今日一日の生命への感謝の読経
 
 読経を終えた円心は、自らの三念・第二章・感謝・懺悔・祈願の三念について、第三章・遍路行・経文の行を開き、開経偈・三帰・懺悔文・般若心経・廻向文について、各々の行が成し得たか否かを自問するのであった。
 
経文はその内容を理解し実践してこそ御仏の慈悲・妙実を味わい得るものであり、幾ら文字をそらんじていても行ずる事が無ければ、絵に描いた餅である。
空想に浸るのみで何の味わいも無い。そればかりか、堕落の一歩にもつながりかねない危うさがある。
 
円心はまたしても自戒せずには居れないのだった。
 
托鉢で得た浄財とは別に、お接待として手作りのおにぎりと果物がありこれを夕食として頂く。
粗衣粗食、衣食住においてこだわりを持たず少欲知足に甘んじて巡る遍路行、ここに非日常の仏道修行の場がある。歩き遍路にとってその忍耐の道に行あってこそ、実のある遍路となり自己改善をとげ真実結願となるものを。なぜ行ぜずに先を急ぎ安易な参拝のみで納経帳に朱印を頂き、完結させることが遍路であるかのように。
見るものも見ず、聞くものも聞かず、自己満足のハイカーで終わるお遍路さんの実に多きこと。この現実を何とかしなければと心はやる円心である。
円心には遍路としての先達、まだ見ぬ師が居る。それは鯖大師におわす沙門明善その人である。
 
山道のそこここに道標として木につるされた下げ札。
表に  心をあらい心をみがく  へんろ道  鯖大師沙門明善 
 裏には   切  々  こまやかな心づかい  と書かれている。
この下げ札を幾度見たことであろう、これを見る度に己を叱咤してきた円心である。
 歩きでしか通れぬ道に掛けられたこの札は、沙門明善氏が歩かれたことを物語り後に続く歩き遍路を導いている。共に歩かずともそこに真の大先達が居られるのだ。
「よう来たな、心はやるな、心をあらえ、心をみがけ、やがて生きていることの喜びを知ろう。」と語り掛けて来るように、風に揺れていた。
 この札に書かれた文字の一字一字に心が現れる。心の先達沙門明善氏は師と仰ぐに足る人物であり、円心もまた、歩き遍路の心の先達として生きられればと心ひそかに願うものであった。
 弘法大師空海の霊跡を巡る遍路、それらには多くの謂れが在るがどこまでが真実なのか、幾多の偉人には神格化された伝説は残るがにわかに信じ難い一面がある。空海もその一人であろうとはいえ、偉大なる人物であったことに変わりは無い。そしてその空海の魂に導かれてここまでやって来たのだと、今更のように想い重ねるのであった。
 
 『生きるとは』この問いの答えを求めて求道の遍路を続けてきたのだ。そしてこれからも続くのだ。
 
 二度目の遍路の時の事であった。十二番焼山寺先、杖杉庵近くの道心禅道場の老師に教えを請うべく入門は許されたが、一月余りの行の中に三念流布を誓願とする己の求めるべき師に非ずとの思いから、下山して再び師を求めて歩き出したのだった。
円心にとって仏道の師は教祖釈尊であり、また遍路としての師は沙門明善氏である。しかし直に教えを受けるべき師を持たない。それで良いのかも知れない、なまじ求めて失望するより、自灯明で生きればそれで良いのかも、・・・・・。
 
円心の求道の道は続く。
 
時は移り数えて十度目の遍路。伊予三坂の地に足を踏み入れたのは葉桜にツツジ咲く五月のことである。
峠の観音堂に着いたのはまだ陽の照りつける時刻であった。道路わきの小屋に荷を置きギャラリーに向かう、扉に手を掛けると扉は難なく開いた。
「おや、五月には堂主は遍路に出ているはずなのに誰が留守を預かっているのだろう」と思いをめぐらしながら中を覗いて見ると、何と遍路に出たはずの堂主がそこに居るではないか。
「居られたのですか、遍路に出られたのでは」と聞くと
「少し身体の具合が悪くてな」との返事が返ってきた。
 円心はこの堂主を気遣いながら半年余りをこの三坂で過ごす事となるのだが、円心もまた徐々に体調を崩すこととなってゆく。
 
この三坂は実に絶景の地である。
松山の市街、瀬戸内、遠くは広島の山並みも晴れた日にはハッキリと見渡せる。四季の彩りも鮮やかに、庭の桜やツツジや紅葉も彩りを添えている。
 唯一つ難を言えば、遍路道から少しそれることであろうか。歩きの遍路道は久万高原から国道三十三号線を上り鍋割り坂の土道を下るのだが、その分岐の先百メートルばかりの所に在るため、初めての歩き遍路の目に止まることは無い。車や自転車荷車遍路には目に付いても、足を止めることはまれである。それでも月に幾人かは泊まる人達が居る。
堂主は広報することをあまり好まない人であるため、これも致し方無い事かと寂しさをぬぐえぬまま庭の手入れに日を送る円心であった。
 
乞食遍路の円心には、日々の費えを得んがため時に托鉢に出ることがあるが、「托鉢の本義を見失ってはならない」「こんな托鉢であって良いのか」と己の在り方を問う。
収入を得る道も無いまま円心はついに生活保護に踏み切ったのである。その手続きの中、悲しい知らせを目にすることとなるのだが、それは母の死であった。父、そして今母の死をも看取ることが出来なかった己を責めずには居れない、打ちひしがれた姿がそこにあった。
兄弟からは勘当同然の身に在る円心ではあったが、その兄秀一から母の遺産として三百万円余りが送られて来る事となり、保護の申請は一端打ち切りとなったのである。
 
バスも余り多く通わない峠道、何をするにも足が無ければと車の免許を取り車を買った。世話を掛けるばかりの堂主にも、何がしかの報恩をせずには居れなかった円心である。
 
歳も改まり平成二十二年早春
収入も無いまま遺産の金も乏しくなってゆく中、己の誓願の道も遠のいてゆくような思いにとらわれる円心は、
「ここでは無理のようだ、何とか別の場所を探さねば」「堂主もお元気になられた様だし私は私の道を歩こう」「求道の道心を忘れてはならん」と、誓願の芽吹きに向かって又一歩前進しようとするのであった。
 一遍路として巡り歩き続けて得たご縁、その縁を頼って御仏の導きのままに己の道を歩くしかないのだと、心新たにする円心であった。
 
 やがて阿波徳島県鳴門市に借家を借りて『三念庵』を立ち上げる事となるのだ。しかしそこでも、就職もままならず収入の道も無いまま体調思わしくない円心であった。何れは収入の道を切り開かねばならない事は言うまでも無い事だが、生活保護に踏み切らざるを得ず、細々と『三念流布』に向けて踏み出し誓願の芽吹きを迎えるのである。
 
 
『三 念 庵』
この芽吹きが育つものか、枯れるものか、唯、御仏の導きのままに己が精進あるのみと、求道の人生を歩き続ける円心が居る。
 
 
南無大師遍照金剛歩き遍路心の旅路
南無釈迦牟尼仏 三念正起浄土招来

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