四国遍路心得の条一、同行二人の条(どうぎょうににんのじょう)
金剛杖を大師と見立て共に旅する同行二人(杖はなるだけ突きましょう)
弘法大師空海の心を持って行じる同行二人(人を気遣う心を育てましょう)
二、札所入門の条(ふだしょにゅうもんのじょう)
山門を入り、山門を出ずる、札所山門は(玄関)と同じ、脇道(勝手口)からの
出入りは御仏への不敬と心得ましょう。
三、懺悔滅罪の条(さんげめつざいのじょう)反省
手水場(ちょうずば)は心を洗う場所、身と語(口)と意(こころ)からなるけがれを
懺悔する意思を示しましょう。
四、礼拝読経の条(らいはいどきょうのじょう)
わき見をしながらの礼拝では何も届きません、心からの礼拝読経に心がけ
後に続くお遍路さんの為にも参道通路を確保して、一歩下がって読経する
心のゆとりを持ちましょう。
五、境内散策の条(けいだいさんさくのじょう)
境内では走ったり騒いだりしないように心がけ、写真を撮るのも御仏に対し
(参拝のご記念に写真を取らせて頂きます)との想いをもって納経の後に
なされる事をお勧めします。
六、休息宿泊の条(きゅうそくしゅくはくのじょう)
休息所・宿泊所での弁当等のごみは持ち帰り、後に続く人達の為にも整理・整頓・
清掃に心がけましょう。
七、自然観仏の条(しぜんかんぶつのじょう)
自然の中に身を置いて、草木や小鳥や虫たちの営みと自らを対比するとき
多くの気づきが得られます。
それが御仏の諭しであり、日々心清められてゆくのです。
そしてそこに仏を観るのです。
八、一切感謝の条(いっさいかんしゃのじょう)
何事にも「無くて当たり前、有って有り難し合掌」の感謝の心を遍路のうちに
養いましょう。
「感謝」は、愚痴・不足・ねたみ・怒り等の負の心を減じる十善戒の基です。
結願なされる時そこには心安らげるあなたが居られる事でしょう。
ご無事の結願をお祈り申し上げます。
遍路へのいざない一、 遍 路 っ て な ー に
南無大師遍照金剛(なむだいしへんしょうこんごう)
同行二人(どうぎょうににん)と書かれた白衣(びゃくえ)や金剛杖(こんごうづえ)
輪袈裟(わげさ)菅笠(すげがさ)などを身に付け弘法大師(こうぼうだいし)空海
(くうかい)の修行の跡をたどりながら札所(ふだしょ)を巡るお遍路さん。
この霊山寺門前町板東ではよく見かけますね。
皆さんもご存知と思いますが観音霊場(かんのんれいじょう)を巡る人達を巡礼さんと呼びますが、お遍路さんとどこが違うのでしょうか。
白衣に書かれる文字や読むお経は違っていても札所での作法等に違いは無いのに・・・・。
観音巡礼は、観音さんに思いを託す云わばご利益信仰。
四国遍路は、・・・・遍路の太祖と言われる強欲庄屋衛門三郎の空海に対する命がけの懺悔(さんげ)反省の旅であり、衛門三郎自身の深い心の懺悔でありました。
四国遍路には四つの道場が定められています。
発心(ほっしん)の道場に始まり、修行(しゅぎょう)菩提(ぼだい)涅槃(ねはん)の道場と段階的に自らの心を向上させてゆくことにあります。
自らの心を懺悔反省し向上させようとする強い思いがあってこそ遍路であり、これが無ければ遍路ではなく巡礼に過ぎないものと私は思います。
放浪の俳人種田山頭火の言葉に「人生は遍路なり」の一文がありますが、こうした想いであればこそ遍路であり本来の人生そのものではないでしょうか。
二、 遍 路 の 一 歩
弘法大師空海が巡った修行の道を空海と思いを共にして、金剛杖を大師に見立て共に歩き共に行じる「同行二人」(どうぎょうににん)
修行の思いで巡るお遍路さんをお大師さんと思う気持ちでお接待される風習が今に残ります。
お遍路さんの白装束は死に装束。
いつ死んでも良いという思いを持って、一日一日悔いの無い人生を歩むのです。明日の朝生きて目覚める保証の無い人生、皆さんと共に一日一日を充実させて生きたいものです。
ここ板東は四国遍路の出発点、一番札所霊山寺の門前町
遍路の一歩は発心(ほっしん)の鳥居門をくぐることから始まります。
発心それは菩提心(ぼだいしん)をおこすこと。自分自身は「これは私のもの・これは私の考え」と思う頑固な自我を捨て、清らかな心を持とうとし同時に、人や生き物等に対して思いやりの心をおこすことです。
そして、おこされた菩提心を育てていくのが発心の道場徳島県二十三ヶ寺の札所巡りです。そしてその思いを実践していくのが修行の道場高知県から、後はそれが深まるにつれ菩提(ぼだい)涅槃(ねはん)と導かれて、やがて八十八番大窪寺で結願(けちがん)となるのです。
発心が無ければ本来の修行も出来ず菩提(ぼだい)涅槃(ねはん)に導かれず、自己満足とスタンプラリーに終わってしまいます。
何事もやる気を起こしそれを実行することで結果は付いてくるものです。
たとえ望む結果が得られなくとも、その経過において得られる精進(しょうじん)たゆまぬ努力が目に見えぬ力となってその人を成長させてくれるのです
三、 遍 路 修 行
修行と言っても冷たい滝に打たれたり長時間の座禅(ざぜん)や断食(だんじき)をするのではなく、円満な日常生活を送れる様に人生を有意義なものにして行く為に、一旦日常生活をはなれ遍路という非日常の生活のなかで、
* 何事にも感謝出来る心を育てる。 * 自分を客観的に観る心を育てる。
* いたらぬ自分を反省する心を育てる。
* 人や周りのものに対する思いやりの心を育てる。
これらの事は、ツアー遍路・車遍路・自転車遍路・荷車遍路・歩き遍路と巡り方は様々ですが、歩き遍路にこそ得やすき修行です。
衣・食・住にこだわりを持たず粗衣・粗食にあまんじ夏の暑さ冬の寒さに耐え荷の重さに耐えてこそ、一時の美食・一時の安らぎに感謝の心が芽生えるのです。
自然と触れ合うことで、様々な生き物の生き様と自分のこれまでの生き様を対比する時、自分にいらないもの、自分に欠けているものが観えて来るのです。
そこに様々な気づきが得られるのです。
そしてその気づきを仏の諭しと受け止められる人は、自然の中に仏を観、人の中に仏を観るのです。
よく見える眼よく聞こえる耳など優れた五感を持ちながら見る眼・聞く耳を持ち合わせない人達のなんと多いことでしょう。
この見る眼・聞く耳など五感を養うことも遍路の大事な修行であり、より良き明日の為に遍路修行を行じる事こそ遍路であり人生そのものだと私は思います。
四、 遍 路 か ら 日 常 へ
より良き明日を築く為に行じる遍路行。
* 白衣(びゃくえ)菅笠(すげがさ)金剛杖(こんごうづえ)等お遍路さんの装束は其々何を意味するのか?
* 札所寺でのもろもろの作法は何を意味するのか?
* 経本に書かれていることは何を意味するのか?
これらを自分なりに理解し、その意味する心を実践する所にこそ功徳(くどく)は得られるものです。
例えば
料理のレシピ本を幾千回・幾万回読もうとも目の前に料理は出てきません。
本を読み理解して自ら調理することによって初めてその姿を現し、その調理に心を込める事でより良い料理が出来るように、形ではなく心をもって実践してこそ実は結ぶのです。
遍路はより良き明日の為の自己鍛錬の場と心得て、一日一生の想いで悔いの無い人生を歩む礎を築くのです。
遍路で得たものをその50%でも日常生活に生かすことが出来れば、どれほど心の安らぎ癒しを持てる事でしょう
心に迷いが生じたら、あなたも歩いてみませんか。
発心の道場、阿波徳島二十三ヶ寺なら天候が良ければ一週間ほどで巡れます。 |
遍路の心得
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