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ようやく衝立が完成し奉納いたしました
素人の拙い作品では有りますが
十輪寺の本堂に飾らせて頂きました |
談議所・十輪寺
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JR板東駅から
談議所・十輪寺
一番・霊山寺
二番・極楽寺までの
撫養街道旧遍路道に
案内表示・シールを設置しました。
来年の四国霊場開創千二百年に先立ち
歴史に埋もれ行く札所 談議所十輪寺と
撫養街道旧遍路道の復活を夢見て |
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素人の気ままな手技
桧に彫った空海行場図
裏面は阿字観
まだまだ製作途上出来映えによっては
これも十輪寺に奉納しようかと思います
板東の町おこしと遍路文化継承への足がけとして
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四国霊場開創の基となった談議所・十輪寺の
知名度を高め遍路の質の向上に寄与すべく
また板東の町おこしを祈願し
ここに由緒書き立て札を奉納する
自作による奉納
文 面
続いて来春までに寺名看板2枚の製作奉納を予定
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四国八十八ヶ所霊場開創千二百年を語るにおいて
無視することの出来ない札所
それは、談議所の通り名で知られる十輪寺です。
板東駅から霊山寺と
約等距離に在ります。
鳴門から撫養街道を通って
霊山寺への途路に立ち寄り
気持ちを新たに遍路の旅に出るのです。
しかし現在は名も知られず
由緒も知らず立ち寄る人も
まれにあるばかり。
大正年間に建てられた
由緒を示す石碑です。
文体が古く現代人には
簡単に読めるものでは
在りません。
要約は下記の通りです。
十輪寺の由来
説法山 宝珠院 十輪寺(談議所)は、白雉二年(六五一年)
に智光律師により建立される。
当山開基智光律師は、讃岐国三木郡大内氏の末孫として生ま
れ、少年の頃より出家し、日本国中修行して、阿波国南方海部
に草庵を結び住していた。
或る夜、夢に小僧現れて曰く、「汝仏像を作り寺を建立せり
当国(阿波国)北の説法山と号する処に至って修行せよ必ず成
就す。我を疑うことなかれ無辺御仏なり」と告げられ夢覚ます。
後に汝尋ねる山へ導かれ山中に入り修行成就のときに、地中
光明を放つものあり。これを見て地中を掘り起こせば地蔵菩薩
の文字の書かれた六寸計りの木が現れた。
後に、智光律師自ら地蔵菩薩を刻み、説法山十輪寺(談議所)
を建立する。その後、白鳳三年二月七日智光律師遷化すれば地
蔵菩薩もまた消えうせたり。
大同年中に空海当山に至りて地蔵菩薩出現の霊地なればと、
自ら地蔵菩薩の木造を刻み本尊の胸中に安置し奉う。
その折、空海が僧を集めて説法し、四国八十八ヶ所を談義し
給う。故に、この時より皆当寺を四国霊場開創 第一番 前札
所(談議所)と伝え呼ぶに至ったと伝えられる。
嵯峨天皇は、地蔵菩薩と智光律師の不思議叡門達し備後国苅
田の僧智明に勅して寺を建立せしめ、田地三十町歩をご寄付せ
られ、七堂伽藍を満備し、その後弟子智勇に受け継がれ形見と
して、門前に二本の松を花に見立てて植樹されたと伝えられる。
後、天徳二年火災により、伽藍、松共に皆消失する。その後
幾度もの火災を繰り返す。
第七十五世住職智純代に、弘法大師御入定千百五十年御遠忌
の勝縁を機に、本堂、地蔵堂共に全面改築を創めて昭和六十一
年落慶する。後、平成十四年三月涅槃会執行に当たり庫裡を改
築し現在に至る。
納経朱印
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