童話/ペルガリッサ市奇談

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第2章ペルガリッサ市

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ペルガリッサ市奇談104

学校教育。
人間の完成度。複合体。

研究で人間の完成度が問題になった。
能力差が大きな課題となっているからである。
各個人に発生する能力差。
個性と言って伸ばすにも矯正するにしても調査して数値化しなければならない。

一人の人間を複数の人間が構成している。
その合体した複合体が自分である。
(だからもうひとりの自分って言うのか)
普通の標準的な平均的人間の場合。
おそらく5-6人で構成されているんではないだろうか。
仮定で構成員6人制としてみる。
自分1号から6号までの6人によって自分という肉体のある自分を動かしている。
6人それぞれに個性、特徴があり得意不得意がある。
1列縦隊であったり並列であったり、3人前縦3人並びの上から見るとT形であったりと形はバラバラで、
その都度、瞬時に並び替える。
得意な人間を前面に押し出す。
対人関係では顕著で複数人と話をしているときに、右の男と話す時は1号が前、左の男と話す時は2号が前、
と言う風に一瞬で切り替わる。
勉強のときも同じである。
算数の得意な1号とか、理科が得意な2号とか。音楽は3号とか。
各科目平均点の人間は構成する人間(構成員)が平均的というべきであろう。

おそらく天才、秀才と呼ばれる人間は構成員が多いはずである。
10人制や20人制、100人制などがあるはずである。
しかもそれぞれの構成員が優秀で組み合わせに余裕もある。
前面に10人押し立てて前進することが出来る。
こうなると平均的な並の人間ではかなわない。
踏み潰されてしまう。
あるいは楽しようとして後ろにくっついていったりする。

問題としているのは肉体的には1対1であっても内面を構成する構成員の差によって、
5人対100人などの差が生じている。
結果が明らかな以上放置するのは問題である。

有効な解決策はない。地道に試行錯誤を繰り返すしかないであろう。
そのために成績順などの能力別編成にしていくしかない。
天才、秀才、普通、落ちこぼれが同じひとつのクラスになってはならない。
それぞれにクラスを用意してさらに細かく分ける必要がある。
100点取る人間と0点の人間が同じ授業を受ける方がおかしいのである。
優秀な生徒には優秀な教師。
普通な生徒には普通な教師。
落ちこぼれには専門の教師と言う風に対応しなければならない。

第29話 学校教育

ペルガリッサ市奇談103

学校教育。
日本式学校教育がスタートした。

成績順にクラス分けして席順も成績順である。
3ヶ月に1度テストしてその都度分けられる。
従来ののんびりと自由な生徒自身による取捨選択式授業を改めて、全員一律のプログラム式授業に変更した。
そうしないと各個人の成績がつかめないからである。
成績がわからないと学校側でも管理対処しようがない。

成績のいい者はどんどん勉強させて、さらに上を目指してもらう。
する気の無い者はそのまま。
教師自身も指導している立場上、成績優秀な者を目にかける。
教えやすいし、相手も生徒と師として立場を理解する。
時間も限られた以上、効率を上げるしかない。

やはり予想されたとおりに能力差が発生した。
成長速度の差だとも言われたが、それだけとも思われない。
各人の個性、人間性だとも言われるが、かと言って切り捨てるわけにはいかない。
教師として各個人の個性、人間性、能力差を見極めて適正な方向性、目標、特性を示さねばならない。
違う方向に向かわないように指導しなければならない。

当時の人間研究部会において。
一人の人間を何人の人格が構成しているのかという話がでた。
その数で能力差が生まれるという話であった。
光を各方向から一人の人間に当てると影がいくつも出来る。
その影はそれぞれ違う。
影ひとつひとつに人格があり人間を形成していると。
影の数が多ければ多いほど優秀であると。

一見ぼけっとしている人間でも頭がよかったり。
一見賢そうだが肝心なところが抜けていたり。
いつもは成績優秀なんだが何回に一回、大コケしたり。
プレッシャーに弱かったり。

いわゆるもう一人の自分ていうのがある。
頭脳だったり肉体であったり。
要所要所ではっと気がつく。
道に迷わずに走れたり。
むずかしい問題が解けたり。
自分の努力、能力と勘違いしてしまいそうだが。
瞬時にもう一人の自分が自分の頭や体に指令をだすからだ。
だから無意識に、だったりする。
次の時に意識的にやると失敗する。
霊能力などとも言われるかもしれない。

ペルガリッサ市奇談102

しあわせ研究所。ぐれる人。
理想を求める夢の国、ペルガリッサ市。
しかし犯罪はゼロにならない。
すべての人間が前だけ見て生きていければいいのに。
人間性にもよるがどうもささいなことにめげてしまう。
まじめに生きることに興味を失い、横にそれたり、後ろばかりみたりするようになる。

標準化プログラム化しても変わらない。
日本社会だと切り捨ててしまう存在である。
たいていは犯罪者、自殺者になったりする。
日本のように落ちこぼれ、負け犬、社会のカス、などと言って切り捨ててしまえるが
しあわせ保障を謳うペルガリッサ市ではそういうことはなるべくさけたい。

能力の有無にかかわらず先導、牽引する人間が必要である。
しかしどうやって分けるのか。

ペルガリッサ市奇談101

しあわせ研究所。人間の完成度。
「人間の幸福を計るとしてどうやって計るのか。」

TV、ラジオ、新聞、書籍が一般に普及し、価値観が統一されてくると
当然、そこでのしあわせというのも統一されてくる。
平均的標準モデルというのも出てくる。
それに達せれば一応しあわせ。
ということになる。
人並みの生活、人並みのしあわせ。

大多数の人間はこれで満足できると思うが。
問題なのが。
能力のある人と無い人。
能力のある人間はもっと大きなしあわせがほしい、得られるはずだと言う。
あいつらよりも自分は優秀なんだから。
いつもテストでいい点を取っていた。
人気者だった。
足が速い。
美人である、と。

能力の無い人間は一生懸命努力したが結果を得られなかった。
がんばったがダメだったと言う。
そして救済してほしいと。
自分たちにもしあわせがほしいと。

当時、研究所内でも盛んに討論されていた。
足の速い人間が1番を取るのはたやすい。
美人が異性の気を引くのはたやすい。
頭のいい人間が勉強するのはたやすい。
健康な人間が普通の日常生活をするのはたやすい、と。

かと言って能力のある、意欲のある人間に向かって、
もう勉強するな。
もう運動、練習するな。
美人なんだから化粧するな。
とは言えまい。

人間である以上は全ての人間はしあわせを追求すべきである。
これはペルガリッサ市の基本方針であった。
その各個人の能力差をどうするのか。
圧縮するのか、分散させるのか。
個性を尊重する以上分散させることとなった。

分散させるとなると問題はグループ分けであった。
明確な能力のある、ない人間は簡単であるが標準的な人達をどう分けるのか。
人間の完成度を測ることとなった。

5年毎。5歳、10歳、15歳、20歳と各人を測る。
20歳の段階でその人間の特性、特徴、方向性を明示し進路を相談し国家として提供すべきしあわせを
本人に通告する。
あなたの能力はこれくらいでこれくらいの社会活動をしてこれくらいのしあわせを得られる、
と言うものである。
明確な自己認識を持ってもらって適正に合わせた仕事をして適正なしあわせを得る。
幼稚園児を大学生の教室に入れない。
大学生を幼稚園児の教室に入れない。
陸上選手と一般生徒とで競争させない。
頭のいい人間と頭の悪い人間を一緒にさせない。
性格のいい人間と悪い人間を一緒にしない。
自己主張の強い人間と弱い人間を一緒にしない。
明らかに能力、容姿の違う人間を一緒にしない。
美人とブスを一緒にしない。

自分の適正な能力を生かして前を向いて生きていく。
能力のある人間、余力のある人間はたいてい横向いたり後ろ見たりして、能力が自分よりも劣る人間を
見るとちょっかいを出したりする。
もっと優秀な人間がいるんだから、前向いて努力すべきなのにすぐに怠ける。
後から来る人間はみんな努力しているんだから、邪魔するなと言っても聞かない。
バカが生まれてしまう。
場合によっては駆除しなければならない。

ペルガリッサ市奇談100

しあわせ研究所。
「全ての市民にしあわせを提供する。」

当時わたしは各地の障害者団体を回っていた。
その数100。
意見交換を繰り返した。
事前にレポートは出してもらっていて検討した上での話し合いだった。
団体の各リーダー達は口々に新しい社会への不安を口にした。
日本型競争社会になるんであれば新しい社会には参加したくない。
古い世界に残る、と。
その説得のためである。

彼らの言うしあわせとは「自分のペースで生きること」
社会のペース、人のペースに合わせて無理したくない。
元々ハンデがあるんだから、高い平均点の社会では無理に無理を重ねないと生きられない。
頭のいい人間がいい生活を送るのは当然であるが、その生活を社会標準にしたくない。
頭のいい人間にとっては自分のペースで生きて普通に標準的な生活を手に入れられるが、
障害者には無理だ。
足の速い陸上選手と足の不自由な障害者が同じレースに出るということが平等なのか。
その結果は先にわかっているんじゃないのか。
とっくの昔にゴールした選手たちが待っていてくれて拍手で障害者のゴールを迎えてくれたと言って
それが何になるのか。
健常者と同じことができたと言って喜ぶわけがない。
足の速い人間は自分の得意分野で勝利したのだ。
ハンデをくれと言ってるんじゃない。
自分の得意分野で勝負したいのだ。

足の不自由な障害者団体に行った時。
そこの渡辺と言う年配女性リーダーが休み時間にわたしと競争しようと誘った。
渡辺は両足が利かず自転車車椅子に乗っていた。
手回しペダルハンドルで漕ぐのである。
勿論わたしの方が早かったんであるが、彼女は満足げであった。
わたしは各地を回って彼らの中に入り、とにかく信用してもらえるように努めた。

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