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昨晩9時のNHKニュースで護衛艦くらまの事故を知った。去年のイ−ジス艦あたごの漁船衝突事故の時のように、ここぞとばかり反軍思想をひけらかすメディアが多く情報を送出するのかと危惧する。
画像を見てもらえばわかるが、関門海峡はこんなに狭いし長い。壇ノ浦から入った一番狭い部分に関門橋がかかっている。橋脚の最大支間長が712Mであるので、船の行き来できる航路幅は500Mあるかないかではないだろうか。 双方進行方向の右側通行であるので、くらまの船首が韓国コンテナ船の右前部に衝突したということは、韓国船が航路内で左に舵を切って反対航路を横断する形になったのだろう。
車で例えれば韓国船は前方のオートバイを追い越そうとして反対車線にはみ出し対抗車に突っ込まれたということだ。交通規則で言えば見通しの効かない隘路であるので、追い越し禁止区域になっているはずだ。完全なもらい事故である。
北澤防衛相ははなっから「護衛艦くらまが衝突事故を起こしまして、国民の皆さま方にご心配とご迷惑をおかけしたことは極めて遺憾であります」と謝罪している。
艦齢29年の老朽艦であるし火災の艦内消火活動も大変であっただろう。どなたもなくなられなかったのは不幸中の幸いであった。海上自衛官の方々はめげずに頑張ってほしい。
今日のニュースで気になったのは→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091028-00000066-san-soci
登山家の野口健さんがこの活動をしているのは前から知っていたが、いよいよ遺骨収集のための国家予算の増額を目指し、本日ポッポ首相に公開質問状を出すそうだ。
筆者の祖父はボルネオ・スマトラで電信電話技術担当の陸軍大尉待遇の軍属として4年間を過ごした。戦前は逓信省の職員で群馬管区の電話局局長だったので、インドネシアのオランダ植民地政府が残した電信電話設備の修理維持を指揮したそうだ。終戦後も収容所に一年近くいたと生前聞いたことがある。
筆者は2番目の孫としてよくかわいがられ祖父の膝の上で晩酌に付き合いながら戦争中の話を良く聞いた。祖父のいた逓信部隊の半数の方々は帰ってこれなかった。後衛である逓信部隊で半数が犠牲になったということは前線ではどんな状況であったことか。
ニューギニアなどでは15万人派遣され13万人が戦死、戦病死、餓死をされた。同地域の遺骨はまったく収集されていない。
国として国家目的遂行のために犠牲となった方々の遺骨収集は義務であると思う。恐らく多くの方は自ら望む形ではなく戦地に赴き、国家の方針の犠牲となり遺骨となっても帰国がかなわなかった人たちである。
戦後GHQによって作り上げられた旧軍に対する反軍思想により、これらの戦死された方々の遺骨の収集が軽んじられてきた。米国などは今でも4軍の統合組織として「すべての兵士を故郷に返す」ことを目標として活動しているそうだ。http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090210/acd0902100811003-n1.htm
遺骨収集の予算は戦後の復員援護事業と同様に長妻大臣の厚生労働省管轄になる。鳩山内閣の英断を望むが補正予算で可能性があるだろうか。日本遺族会を支援団体に持った自民党政権時代に予算化できなかったことの理由はなんなのだろう。不思議である。中国やロシアとの交渉協議を嫌がったための不作為であれば厚労省職員の罪は重い。モンゴルのノモンハンは今年70周年であったが現地ではまだ遺骨が野ざらしになったままだそうだ。 http://mainichi.jp/area/nara/news/20091008ddlk29040628000c.html
この公開質問状の後日談は注目しておきたい。
産経の死亡欄に村木与四郎氏の記事を見つけた。この方のセットデザインを使った映画は何十本も楽しませてもらった。戦後の黒澤作品のほとんどの美術を手がけられ、東宝映画の映画美術を支え戦後邦画史に名を残す偉大な映画人であった。
ご冥福を心からお祈りする。
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