ここから本文です
ナトリウムの架鉄ブログ
※このサイトの内容はフィクションです

書庫全体表示

記事検索
検索

全32ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

更新履歴11/8

・「伊島電鉄」を仮公開。今後、順次更新していきます

伊島電鉄:車両

〇伊島線の車両
伊島電鉄は現在、旅客列車用車両として急行用電車1形式3編成、普通用電車3形式14編成、貨物列車用電気機関車を1形式5両保有している。また、電車1形式1編成を動態保存している。
 
車両総説
・旅客列車用
在籍形式:200形1編成(動態保存)、250形3編成、300形8編成、350形3編成、500形3編成
引退車両:(旧形蒸気機関車、旧形客車)、100形6編成、200形2編成
伊島電鉄が導入した旅客用電車は全部で6形式あり、2014年現在はそのうち5形式18編成が在籍する。
旅客用電車は100形を除いて20m級車体3両編成という組成であり、2M1Tで逢瀬海岸方から順にM'c-M-Tcの編成も共通である。しかしながらドア配置に関しては全く統一されておらず、具体的には登場順に、
100形:16m級車体(片開き2扉)
200形:片開き2扉
250形:片開き3扉
300形:両開き3扉
350形:片開き1/2扉
500形:両開き4扉
となっている。このためドアまわりに関しては部品の共通化ができておらず、旅客案内上でも乗車目標などは設けられていない。駅構内などには、ドア位置に注意するよう案内が掲示されている。
走行機器に関しては、基本的に製造時より一世代前程度のものが採用されている。これは、価格が抑えられるだけでなく、その機器に関して既に信用度が高くなっており熟知がなされているという利点がある。また、中小私鉄であるため「部品の共通化」が車両設計における一貫されたテーマで、200形と250形、300形と350形はそれぞれ多くの部分が共通設計となっている。
ただ、他の中小私鉄とは異なり、伊島電鉄は譲渡形式がほぼ無い点が特筆される。唯一の例は営団5000系→500形だが、これも急遽導入されたものであり本格的に受け入れたものではない。これは、伊島電鉄が景気の動向を考慮し経営が安定している時期に新型車両を計画しているからである。100形は例外的に、迅速な輸送力増強のために仕立てられた安価な車両であるが、200形250形は高度経済成長期後期、300形350形はバブル経済後期に落成している。そのためこれらの車両は、中小私鉄にしては「豪華」な設計だとしばしば言われる。
客室設備では、基本的に車両定員より座席定員を重視しており、200形ではつり革は全く設置されなかった。とはいえ100形はロングシートであったし、500形ももと通勤列車用で4扉であるため、必ずしもその限りではない。
運転台は300形350形や乗り入れてくるJR185系まで全形式ツーハンドルである。伊島線はローカル線ながらワンマン運転ではないため、運転台は進行方向左側に設置されている。

・貨物列車用
在籍形式:ED10形電気機関車4両、ワ10形貨車5両、タキ1900形66両(逢瀬セメント保有)
引退車両:(旧形蒸気機関車、無蓋貨車)、ワ10形貨車43両、ヨ10形車掌車5両
現在の伊島電鉄には、電気機関車1形式4両、有蓋貨車5両、タンク車66両が在籍している。
伊島線では対江瑠璃島輸送の貨物列車を運行しており、上記の形式は全てその列車で運用される。
車体規格は、旅客用車両まではいかないものの、約12mと大型である。従って全てボギー台車を装備している。

電車
引退車
・100形
イメージ 9
落成:1956年
引退:1989年
車体:鋼製
台車:イコライザー式台車
制御:抵抗制御
制動:自動空気ブレーキ
製造数:6編成

・200形
イメージ 4
落成:1963年
引退:2005年
車体:鋼製
台車:ペデスタル式台車
制御:抵抗制御
制動:発電ブレーキ併用電磁自動空気ブレーキ
製造数:3編成

現用車
・250形
イメージ 3
落成:1968年
車体:鋼製
台車:ペデスタル式台車
制御:抵抗制御
制動:発電ブレーキ併用電磁自動空気ブレーキ
在籍:3編成

・300形
イメージ 5
落成:1989年
車体:鋼製
台車:S型ミンデン台車
制御:弱め界磁併用抵抗制御
制動:発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
在籍:8編成

・350形
イメージ 1
落成:1990年
車体:鋼製
台車:S型ミンデン台車
制御:弱め界磁併用抵抗制御
制動:発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
在籍:3編成

・500形
イメージ 2
導入:2005年(製造:1969年)
車体:セミステンレス構造
台車:S形ミンデン台車
制御:バーニア抵抗制御
制動:発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
在籍:3編成


導入予定車
・600形
2014年5月に発表された、2015年度から2020年度までの内容を扱う「第13次5ヵ年間経営計画」に盛り込まれた新型車両。2018年度を目安に導入され、250形と500形を置き換える予定。

機関車
・ED10形
イメージ 6
落成:1956年
車体:鋼製
台車:イコライザー式台車
制御:抵抗制御
制動:発電ブレーキ併用自動空気ブレーキ
製造数:4両
貨物列車牽引用として、逢瀬新港延伸に合わせて製造された電気機関車。本線貨物列車運用時は重連を組んで牽引するほか、構内入換などにも使われるため、デッキが備わっている。

・タキ1900形
イメージ 7
落成:1981年
車体:鋼製
台車:ベッテンドルフ式台車
在籍:66両

・ワ10形
イメージ 8
落成:1956年
車体:鋼製
台車:イコライザー式台車(落成時はベッテンドルフ式台車)
在籍:5両(製造数:48両)

・ヨ10形
落成:1956年
車体:鋼製
走り装置:一段リンク式
製造数:5両

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
「あ、もうこんな時間か」
腕時計を見て、僕は呟いた。取材予定時間を過ぎている。「すみません、お時間取らせてしまって」
「いえ、大丈夫ですよ」
「じゃあ、今日は本当にありがとうございました。いい取材になりました」
お礼を言うと、木葉さんはにこっと笑った。
「なら、よかったです。私もいい経験になりました」
席を立ち、もう一度頭を下げてから、僕は社屋をあとにした。

西羽原駅に戻ると、まもなくやって来た逢瀬海岸行きの列車に僕は乗り込んだ。
今日の宿は逢瀬駅近くの民宿に取っていた。予算がないのではなく、沿線利用者の声を聞いておきたいと思ったからだった。それに、逢瀬海岸のリゾートホテルには個人で前に泊まったことがある。
その民宿には17時に訪れる予定だった。あと2時間ほどあるが、その間は記事用の写真を撮ったりして潰すことにしていた。

好見駅で下りの貨物列車を撮ったりした後、逢瀬駅に向かい、17時少し前に到着した。
駅前は、前に来た逢瀬海岸駅より栄えているようだった。土産物店が軒を連ねている。店先では高校生が制服姿で商品を運んでいた。観光業が生活に密着しているんだなと感じる。
5分ほど歩いて、宿に着いた。「民宿いちえ」―職場の同僚に教えてもらった所だった。家族経営で、父親は漁師をしており、主に母親とその子供が接客をするらしい。
引き戸を開けると奥から人影が現れた。人の良さそうなおばさんだった。
「あっ、三谷さんですね、お待ちしておりました」
おばさんは早足でこちらに来た。誘導されるままに、靴を脱いで上がり、荷物を預ける。と、廊下横の階段を降りてくる足音が聞こえてきた。お子さんの方だろうか。
「あ、お母さん、お客さんいらっしゃった?」
あれ?この声…。
「いらっしゃいませ!ようこそ民宿いちえ、へ…」
彼女は驚いて絶句していた。
―栗色のショートヘアを揺らしながら現れたのは、木葉さんだった。

「いやあ、驚きましたあ。まさかお客さんが娘とお知り合いだなんて」
おばさん―木葉さんのお母さんは、紅茶をテーブルに置きながら朗らかに言った。
とにかくお茶にしようとお母さんに促され、僕はダイニングで紅茶とお菓子をいただいていた。向かいには木葉さんも座っている。
「でも、私もほんとにびっくりしました。お客さんが、まさか三谷さんだったなんて」
「僕もですよ。取材相手と宿泊先の娘さんが同じ人だなんて、思いもしませんでした」
木葉さんはこの「民宿いちえ」を営む家族の一人娘だということだった。伊島電鉄で働きながら、宿に客のあるときはそちらの手伝いもしているらしい。
「あ、でも私、嬉しいですよ、三谷さん。またおしゃべりできるんですから」
そう言って彼女は笑いかけてきた。その笑顔にちょっとどきっとする。さっきと違って私服姿なのも影響しているのかもしれない。
「と、とりあえず、お二人とも、今日明日の間よろしくお願いします」
いうと、母娘は声を揃えた。「はい!」

お母さんの給仕のもと美味しい海鮮の夕食をいただき、風呂も済ませた僕は、和風の客室でのんびりしていた。
さっきの取材メモを読み返していると、部屋のドアをノックされた。
「すみません、入ってもいいですか」木葉さんの声だ。
「あ、はい」
立ち上がってドアを開けると、パジャマ姿の彼女が佇んでいた。「こんばんは」
「こ、こんばんは」
風呂上がりらしく、濡れた髪から甘い香りがする。無防備にもほどがあるんじゃないか。
「あの、さっきの取材で車両形式についてお話できなかったなと思って…」
言いながら、部屋に入り座卓にばさっと資料を置いた。
「そういえばそうですね。…その袋は?」
木葉さんの手のビニール袋を指して尋ねると、彼女はその中から缶ビールを取り出した。「飲みます、よね?」
「あ、はい!ありがとうございます」
こうして、酒飲みを兼ねての取材の続きが始まった。
 
伊島電鉄:100形」につづく

伊島電鉄:歴史

・開業と黎明期
伊島電鉄の前身、伊島鉄道は、林業の盛んだった伊島の町から木材を運び出すために1910年に伊島羽原間に開通した鉄道。羽原で東海道本線と連絡し、東京や大阪へ輸送された。開業後まもなく、無蓋貨車に最低限の改造を施した客車で旅客輸送も開始した。
1923年、関東大震災が発生。復興のために大量の材木を運搬する必要性が生じ、この際、線形や軌道の改良が行われた。
1930年代に入ると、漁村であった逢瀬との輸送を行うため、志野川を渡る渡し舟と連絡する渡船場前(現志野川)まで延伸した。対逢瀬間輸送は当初、渡し舟から徒歩や馬で行われていたが、後に海産物に関しては渡船場(渡し舟の発着所)まで直接舟で輸送するようになった。
・高度経済成長期の発展
戦後、高度経済成長期になると、逢瀬町沖にある江瑠璃島で石灰石が多く産出されるようになり、それを貨物船で輸送するために建設された逢瀬新港に連絡するため、1956年、伊島線は志野川に架橋し延伸した。この際、逢瀬町中心部を経由することで、それまでの輸送体系を効率化している。また同時に、貨物列車が伊島台地の勾配を登れるようにする目的もあって、全線電化を行い、社名を「伊島電気鉄道」に改称した。
ほぼ同じ頃、逢瀬海岸が観光開発されることになり、1958年に逢瀬海岸駅を開設、1959年からは国鉄東海道本線からの直通優等列車が運転されるようになる。
1983年、東海道新幹線の駅が羽原に設置されることになり、伊島線も羽原駅構内を改良し新幹線駅に直結した。新幹線駅は1988年に開業し、それ以降は、観光輸送は新幹線との接続を主軸に行うこととし、東海道本線との定期直通列車は1990年に休止となった。

年表
1910年 伊島鉄道伊島―羽原間開業。
1911年 伊島―羽原間で旅客輸送開始。伊島、富士岡、羽原町(現:羽原市)、羽原駅開設。
1931年 伊島―渡船場前(現:志野川)間延伸開業。檜戸、鳴坂下、渡船場前駅開設。
1956年 志野川(旧渡船場前)―逢瀬新港(貨)間開業、志野川―逢瀬間旅客輸送開始。逢瀬駅開設。石灰石輸送貨物列車運行開始。
全線電化。社名を「伊島電気鉄道」に改称。
1958年 逢瀬―逢瀬海岸間旅客輸送開始。逢瀬海岸駅開設。
木材輸送貨物列車運行終了。
1959年 東海道本線に直通して東京―羽原―逢瀬海岸間の優等列車が繁忙期に運行開始。
1961年 雨恋、北伊島、北逢瀬駅開設。
1963年 東海道本線直通列車を定期化。好見信号場(現:好見駅)開設。
1981年 伊島線にCTC導入。檜戸駅、好見信号場無人化
1985年 新幹線駅設置に向け羽原駅改良、羽原貨物ターミナルを分離し開設。
1988年 東海道新幹線羽原駅開業。西羽原、好見駅開設。
1990年 東海道本線との定期直通列車廃止。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
木葉「伊島線はその初めから、貨物列車とともにありました」
三谷「初期は木材輸送、高度成長期から現在まではセメント輸送ですね」
木葉「はい。ただ、それぞれ運行区間、貨物の取り扱い、貨車や機関車などすべて異なっていたので全く別のものとして見ています。同時に運行していた時期も2年程度だけですしね」
三谷「木材輸送の経緯はどのようなものだったのですか」
木葉「もともと伊島は、台地だということもあり未開発の土地でした。それが、東海道本線に程近いということで明治期に政府によって木材用の杉が植林されて、林業が営まれるようになったんです。主に台地の斜面や周縁部で育てられた杉は、当時から集落があった今の伊島町中心部で木材に加工されました。そこからの輸送を行うために敷設されたのが伊島線というわけです」
三谷「なるほど…。では、伊島線では伐採された丸太の状態のものの輸送は行わなかったんですか」
木葉「いえ、のちに富士岡駅から原木の輸送も行われるようになりました」
三谷「そういえば台地の麓に「檜戸」駅がありますが、林業となにか関係はあるんですか」
木葉「あ、よくお訊きくださりました!じつは、伊島台地では杉が営林されたのですが、台地の北のある丘では地元の資産家の手により高級木材となる檜が植えられたんです。「ひのきど」はもともと故事が由来の地名で、「いち」に「軒並みののき」に「戸」で「一軒戸」と表記したのですが、これによって改められたと言われています」
三谷「へえ!そんな経緯が…」
木葉「ちなみに、木材の生産は、規模は小さくなりましたが今も行われています。輸送はおもにトラックが用いられているようです」

伊島電鉄:運行

伊島線の旅客列車は、原則的にすべて羽原―逢瀬海岸の区間で運行される。ただし、早朝深夜帯には西羽原車両区出入庫のため西羽原駅発着の列車が数本設定されている。また、毎週火曜日と土曜日には江瑠璃島への連絡船に接続するため、逢瀬新港発着の列車が1往復ずつ運転される。
旅客列車には2種類の種別がある。
・普通
伊島線の各駅に停まる列車。データイムでは毎時4本運行され、およそ40分で羽原―逢瀬海岸を結ぶ。車両は原則的に普通用の250形、300形、500形が充当される。一部列車は西羽原発着で運転され、また前述の通り逢瀬新港に乗り入れ連絡船に接続する便もある。
・急行みさご
有料優等速達列車。停車駅は羽原、羽原市、伊島、逢瀬、逢瀬海岸。データイムは毎時1本の運行で、30分で羽原―逢瀬海岸を結ぶ。羽原で東京方面の新幹線「こだま」と接続するが、「こだま」は毎時2本なので接続しない場合もあり、新幹線から利用する際は注意が必要。急行料金は200円で、乗車前に窓口で、もしくは車内検札時に車掌から急行整理券を購入する。車内検札は羽原市―伊島間で実施される。車両は急行用の350形が充当されるが、検査などで予備編成不足の際は普通用車両が代走することがまれにある(急行料金は不要・払い戻し)。緩行列車の追い越しはせず、終点で先行の普通に追い付くかたちでの運行となっている。350形には「西羽原」や「逢瀬新港」の方向幕が用意されているが、定期列車で運行されることはない。
・特急(JR線直通・不定期)
繁忙期などに運転される臨時列車。東海道本線内は「踊り子」と同じ停車駅で運行し、羽原駅は東海道本線ホームを使用、羽原貨物ターミナル脇にある連絡線を通って乗り入れ、伊島線内はノンストップで逢瀬海岸まで走る。ただし他列車の追い越しは行わないため、速達性はあまりない。運行日は1日1往復程度の運行。東京駅や新宿駅発着で、JR東日本所属の185系5両編成が充当される。特急券はJRの取り扱いで、伊島線内のみ(羽原―逢瀬海岸間)の利用は不可となっている。

貨物列車は逢瀬新港―羽原貨物ターミナル間での運行。最高時速は50キロで、表定速度は30キロ程度。朝ラッシュ後と夕ラッシュ前に、平日4往復、休日1往復運行する。編成長が長いため交換は相応の有効長を持つ逢瀬海岸駅と好見駅のみで行われる(ただし羽原貨物ターミナルから本線に合流する時も交換と同様、羽原方面の列車を待ってから進入する)。セメント輸送のタンク貨車は羽原貨物ターミナルからJR東海道本線に乗り入れ梶尾駅まで運行される。
もともと伊島線の貨物列車は有蓋貨車による袋詰めセメントの輸送を担っていた。逢瀬セメント逢瀬工場で製品化された袋詰めセメントを東海道本線から都市部方面へ運んでいたが、1982年に行われた逢瀬セメント及び系列企業の事業整理により製品化工場が東海道本線梶尾駅隣接地に移転したため、タンク車によるばら積み輸送に転換された。現在は逢瀬新港―羽原貨物ターミナル―梶尾でのセメント用タンク車の運行である。
ただ、有蓋貨車による輸送は現在も行われている。棚などを設置した上で江瑠璃島への生活物資輸送用に転用されている。貨物の積み込みは羽原貨物ターミナルで行い、逢瀬新港駅で積み下ろし連絡船に積載する。2両ずつのみの小規模なものであるが、現在国内で唯一の有蓋貨車貨物列車である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

木葉「伊島線のダイヤは、1時間に普通4本、急行1本の毎時5本が基本です」
三谷「データイムはパターンダイヤですか?」
木葉「いえ、違います。本当はそうしたいんですが、貨物の運行もありますし、羽原で接続する新幹線もパターン化されていないのでなかなか厳しいんです」
三谷「なるほど…。朝夕はもっと変わってくるんですよね」
木葉「はい、普通列車を増便したりします」
三谷「早朝や深夜だと西羽原発着の列車が運行されるそうですが、具体的には何本くらいありますか」
木葉「ええっと…3本です。基本的には西羽原車両区と羽原駅の間を回送で動かすので、実はあまりないんです。あ、その中でもこの列車、ちょっと見てください」
三谷「んっと、西羽原7時42分発、普通逢瀬海岸行き、077列車…ですか?」
木葉「はい。この列車は、上りの「急行みさご」一本目となる、この逢瀬海岸8時35分発、急行羽原行き084列車、への送り込み列車なんです。つまり、この列車に限って、普通列車ながら急行用車両の350形で運行されるんですよ」
三谷「へえ!それは面白いですね」
木葉「西羽原発だと急行で運行できないし、羽原まで回送したとしても接続する新幹線がないので需要がないんです。それなら各駅に停めたほうがいいだろうってことになったみたいです」
三谷「なるほど、納得です」

伊島電鉄:路線・駅

伊島電鉄伊島線
東海道新幹線と接続する羽原から南に進み、伊島を経て太平洋に面する逢瀬海岸に至る路線。
営業距離:21.2km
駅数:16(旅客駅14、貨物駅2※)
電化設備:直流1500V
軌間:1067mm
※逢瀬新港駅は貨物駅だが、隣接する旅客ホームは逢瀬海岸駅構内扱い。
イメージ 1
旅客駅・線形
01羽原 はわら
羽原市北西に位置し、東海道新幹線、東海道本線と接続する。新幹線はこだまのみ停車する。羽原市の中心からは離れているが、駅周辺も栄えている。
伊島線の開業時からある駅だが、現駅舎は新幹線駅新設時の再開発に合わせて1985年に移設されたもので、旧駅より500mほど東に位置している。移設前は貨物の取り扱いも羽原駅で行っていたが、現在は旧駅跡地に整備された羽原貨物ターミナルの担当となっている。
・2面2線
・急行停車駅
・1910年開設、1911年旅客営業開始、1985年移設

〇伊島線は新幹線と平行に造られた羽原駅を西に出ると、大きく左にカーブし南に進路をとる。住宅地の中を走り、西羽原駅に到達する。

02西羽原 にしはわら
羽原市西部にある駅。住宅地の中にあり、また市街地のはずれにあたる。西羽原車両区が隣接する。伊島線で最も新しい駅。
・1面1線
・通過駅、無人駅
・1988年開設

〇西羽原駅を発った伊島線は、市街地に入り、窮屈で急曲線の多い線区を走る。進路を南東に変え、市中心部を目指す。

03羽原市 はわらし
羽原市街地の中心部に位置。伊島線で羽原駅、逢瀬海岸駅に次いで乗降客数が多い。伊島線の旅客営業開始時に羽原町駅として設置され、市街地と国鉄線駅をつなぐ重要な役割を果たしてきた。1984年の羽原市成立時に、現駅名に改称した。
・2面2線
・急行停車駅
・1911年開設、1984年改称

〇羽原市駅を過ぎると、市街地を抜け、田畑の広がるのどかな農村地帯に出る。しばらく走ると雨恋駅に達する。

04雨恋 あまこい
羽原市南方の農業地区にある。周囲には畑やビニールハウスが多い。高度経済成長期に増加した農業従事者の周辺住民の要望により開設。
・1面1線
・通過駅、無人駅
・1961年開設

〇雨恋駅からしばらくは田畑の中を走っていく単調な区間だが、檜戸駅に近づくと丘陵が見えてくるようになる。

05檜戸 ひのきど
羽原市南端に位置する駅。周囲には田畑のほか、丘などが多い。比較的古い駅で、交換設備を有するためもとは有人駅であったが、1981年のCTC導入に際し無人化。
・1面2線
・通過駅、無人駅
・1931年開設、1981年無人化

〇檜戸駅を出ると、さらに丘が多くなり、その中でも大きな伊島台地に登る。ほぼ東西方向に伸びる斜面に対して傾斜を緩めるために、進路を西南西にとって斜めにアプローチする。勾配を越えると富士岡駅に到達する。

06富士岡 ふじおか
伊島町北、丘の上にある駅。周囲には富士岡集落と林しかない。地名の由来は「富士見」+「丘」からと言われ、実際に北に富士山が望める。富士岡集落はもともと林業に携わる人々が住み着いたところであり、周囲の林は人工林である。伊島線開通の翌年に設置され、伐採した材木を直接輸送できるようにした。
・1面1線
・通過駅、無人駅
・1911年開設

〇富士岡駅を発つと、しばらく林の中を走っていく。林を抜けたところに好見駅がある。

07好見 よしみ
林地を抜けたところにある。周りには畑地のほか民家はごく少数しかなく、利用客数は路線で最も少ない。元信号場で有効長が長く、貨物列車はここで交換を行う。前身である好見信号場は、東海道本線との定期直通列車が運行を開始するのに際して、貨物列車との交換や追い越しの必要性が生じたことから設置された。
・2面2線(一線スルー方式)
・通過駅、無人駅
・1963年信号場開設、1981年無人化、1988年駅格上げ

〇好見駅を出てしばらくは畑の中を走る。車窓に宅地が見えてくると、北伊島駅に到着する。

08北伊島 きたいしま
伊島台地のほぼ中央に位置する駅。周辺は住宅が多く、この辺りから町の中心部に入る。
・1面1線
・通過駅、無人駅
・1961年開設

〇北伊島駅から伊島駅の区間は住宅地の中を通る。

09伊島 いしま
伊島町の中心部にある駅。周囲には小規模ながら商業地区が広がっている。伊島線の起点であり、0キロポストがある。当初は材木輸送の貨物の取り扱いも行っていた。
・2面2線
・急行停車駅
・1910年開設

〇伊島駅を過ぎ、建物が少なくなってくると、伊島線は大きく左にカーブし、100度近く進路を変え、傾斜に斜めに入る。「鳴坂」に並走して伊島台地を下りると、鳴坂下駅に着く。

10鳴坂下 なきざかした
台地のふもとにある駅。周囲には水田とその集落があるが、好見駅同様、利用客数は少ない。鳴坂は並走する坂道であり、地名の由来は周辺の林に海鳥の巣が多く鳴き声が聞こえることである。
・1面1線
・通過駅
・1931年開設

〇鳴坂下駅から志野川駅の線区は東南東に進む。水田地帯の中を走る単調な区間。

11志野川 しのかわ
伊島町東端、志野川の河岸にある駅。こちらも周囲には水田が多い。1931年の延伸時に、逢瀬方面との輸送を行うために志野川の渡し船の乗り場に隣接して設置された渡船場前駅として開業、その後逢瀬新港延伸時に伊島線が架橋したため渡し船が廃止となり、現駅名に改称した。
・1面2線(一線スルー方式)
・通過駅
・1931年開設、1956年改称、1963年改修(一線スルー化)

〇志野川駅を出ると、志野川を渡り逢瀬町に入る。住宅地に入ると北逢瀬駅に到着する。

12北逢瀬 きたおうせ
逢瀬町中心から北方に位置する。住宅地の中にあり、地元利用客が多い。
・1面1線
・通過駅
・1961年開設

〇北逢瀬駅を発つとすぐに右にカーブする。南に進むとすぐに逢瀬駅に達する。

13逢瀬 おうせ
逢瀬町の中心部に位置する駅。周囲には、土産物店やホテルなどが立ち並ぶ。一時期伊島線の旅客営業上の終点であり、海沿いの観光開発が進んだ今も逢瀬海岸への入口として観光客の利用が盛ん。
・2面2線
・急行停車駅
・1956年開設

〇逢瀬駅を発つと左に進路をとり海沿いに出る。しばらく走ると逢瀬海岸駅に到着する。

14逢瀬海岸 おうせかいがん
逢瀬海岸の最寄りとなる駅。実質的な伊島線の終点。駅はビーチに面し、土産物店、リゾートホテルもある。一番線の有効長は長く、貨物列車と旅客列車の交換が行われる。
・1面2線
・急行停車駅
・1958年開設

〇逢瀬海岸駅一番線は先へ延びている。太郎ヶ崎の付け根を横切った向こう側が逢瀬新港駅。

(15逢瀬新港 おうせしんこう)
本来は貨物駅だが、週に2日だけ運航される旅客の連絡船と接続する旅客列車のため、簡易ホームが設けられている。そのため駅から外へ出ることはできない(駅構外は逢瀬セメント私有地)。この乗降場は登記上は逢瀬海岸駅構内という扱い。

貨物駅
羽原貨物ターミナル はわらかもつ―
西羽原駅と羽原駅の中間あたりにある貨物駅。JRと貨車のやり取りをしたりする。もともと羽原駅があった場所であり、貨物の取り扱いも羽原駅で行われていたが、新幹線駅開業に合わせた羽原駅移転に際し分離設置された。ちなみに、ターミナルの端には東海道本線と伊島線の連絡線があり、臨時列車などが通ることがある。
・1985年開設

逢瀬新港 おうせしんこう
セメント工場に隣接し製品を積載する駅。貨車や機関車の留置線も備える。構内の一部は逢瀬セメントの敷地になっている。また、駅のはずれの海沿いに簡易ホームが設置されており、江瑠璃島への連絡船乗り場と直結している、この簡易ホームは逢瀬海岸駅構内扱いである。
・1956年開設
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
三谷「こうやって見ると、伊島線ってなかなか大変そうな線形ですね」
木葉「ええ、丘を登ってまた下るわけですからね。まあ、歴史的な経緯があるので仕方ありません」
三谷「勾配がきついとなると、車両性能もそれは意識しているんですか」
木葉「いえ、特には。勾配といっても20パーミルくらいですし、一応列車も2M1Tの編成ですからね。非電化時代は難所だったようですけど」
三谷「そういえば500形も元地下鉄車両でしたね」
木葉「はい。貨物列車のほうはちょっと大変みたいですが、そこまで差し支えはないみたいです」
三谷「路線と言えば、保安装置などの設備はどうなってますか」
木葉「保安装置はJR東海と同じATS-ST型を用いています。また資料にもありますがCTCを導入していて、檜戸駅と好見駅は交換設備がありますが無人駅となっています。あ、あと、路線最高速度は85キロです」

全32ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事