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ナトリウムの架鉄ブログ
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有岡鉄道

ホームに降り立ったぼくの頬を、汗が流れ落ちた。
各駅停車便の新幹線しか停まらない地方の小都市の駅から、さらに在来線に揺られること数十分、ぼくは矢郡という駅にたどり着いていた。駅舎はやや老朽化していたが、十五年前とほぼ変わらなかった。その様子に少しだけほっとするが、この町はあくまでぼくの故郷ではない。ぼくの生まれ育った町は、ここからさらにもう一本、列車を乗り継いだところにあった―はずだった。
改札を出たぼくは自然とその路線への乗り換え口に歩を進めていた。身体が覚えているのだ。…だが、この歩みが無意味だということを、ぼくは知っていた。
「乗り換え口」の前で、ぼくは立ち尽くした。その先には行けなかった。通路は一面ベニヤ板で塞がれていた。
そしてそこには張り紙が張られていた。
「有岡鉄道線は2010年3月31日をもって廃止となりました。長い間ご利用いただき、誠にありがとうございました」―。

「有岡鉄道」

新しく継ぎ足されたらしい出口から、ぼくは駅舎をあとにする。「乗り換え口」の先がどうなっているのか、見に行ってみることにした。
ハンカチで額をぬぐいながら、ロータリーをまわって奥へ行くと、金網で囲われた先にプラットホームが見えた。跨線橋は解体されていたが、石積みのホームと屋根、それから木の架線柱などは残っていた。「やごおり」と書かれた看板―かつては手が届く所にあったはずのそれは、決して触れることのできないものになっていた。
故郷へはバスが代わりに出ていると聞いていた。ここに来るまではそれに乗るつもりだったが、やめた。そんな訳のわからないものに乗っても、「故郷」に帰れないと思ったからだった。それならいっそ、有岡線をたどって歩いていこうと考えていた。
暑い夏の陽射しを首筋に感じながら、ぼくは錆びたレールのはしる線路沿いを歩き始めた。

有岡鉄道は、国鉄と接続する矢郡駅から有岡鉱山駅までを結んでいた、わずか6キロ4駅の鉄道だ。明治期に大規模開発された有岡鉱山は鉛や亜鉛を産出したが、その鉱物および労働者の輸送を目的に敷設されたのだそうだ。比較的勾配があるということもあり、戦前から電化もされていた。
鉱山は戦後高度成長に合わせ開発が進められ、有岡鉄道の輸送も貨客ともに全盛期を迎えた。沿線には住宅地も発達し、特に鉱山の周辺は労働者の家族が住むニュータウンになっていた。
しかし、その繁栄は長くは続かなかった。1970年代に入ると、オイルショックに代表される経済危機により有岡鉱山では合理化を迫られ、労働者数は大幅に減少し有岡鉄道やその沿線にも大きな影響を与えた。
さらには1985年に生じた急速な円高により、鉱山はその競争力を完全に奪われ、世間がバブル景気に浮かれている1989年、有岡鉱山はひっそりと閉山した。
鉱山が無くなり、有岡鉄道は大打撃を受けた。もともとが鉱山への輸送を目的としていた鉄道なので当然ではあったし、鉱山と運命を共にするのではとも囁かれていたが、有岡鉄道は沿線ニュータウンの輸送を続けることにした。しかしやはり経営は著しく悪化し、減車、本数削減、駅無人化、ワンマン化と痛々しいほどの努力を重ね、また沿線住民からの活発な存続運動も受けたが、それもむなしく2010年、有岡鉄道は数億円の赤字を残し廃線となった。現在も有岡鉄道株式会社という企業は存続しているが、債務処理のみを行う団体となっている。
そんなことを思い返しながら線路沿いを歩いていると、新矢郡駅跡が見えてきた。一面二線の島式ホームの横に、数本の線路と廃屋が残っている。車両基地の跡地だ。
ぼくはその片隅に車両を見つけた。晩年の有岡鉄道唯一の形式、17形電車だった。
17形は1969年に導入された旅客用電車だ。69年というと有岡鉄道や鉱山が力を失う直前にあたり、だからこそ新設計の車両を製造できたのだった。会社にまだお金があった時に造られた17形は、単行電車ながら地方私鉄にとっては豪華に設計されていた。空調はなかったが扇風機は取り付けられていたし、座席もふかふかだったのを覚えている。
しかし、17形は有岡鉄道にとって最後の導入形式となってしまった。70年代から急速に体力を奪われた有岡鉄道は、この17形を最後まで大事に使い続けた。駅無人化・ワンマン化対応改造で真ん中のドアが封じられたり、整理券発券機や運賃箱が設置されたりしていった。最初の頃あったお洒落な照明カバーもいつしかなくなり、改造され尽くされた姿は痛々しくも感じたが、健気なその様子の車両を、ぼくは愛していた。
「…お疲れさま」
自然に言葉がこぼれた。錆びが垂れてぼろぼろの電車に感謝の微笑みをかけて、ぼくは再び歩き始めた。

矢郡の街を抜け、有岡線の廃線跡は開けた畑地をはしっていた。底抜けに鮮やかな青空の下、有岡鉱山の山に傘雲がかかっている。汗ばんだ身体の不快ささえ忘れられそうな、懐かしい故郷の眺めだった。
…ぼくが故郷を出たのは、大学入学の年、ちょうど新たな世紀に突入した2001年だった。新世紀到来に世間もどこか浮かれていて、ぼくもその一人だった。土臭い田舎を捨て、東京で成功するんだ、と意気込んでいた。…その頃のぼくは、暖かい故郷のありがたみを全くわかっていなかった。
上京したぼくは、下宿に入って大学に通い、就職した。しゃにむに勉強したし、がむしゃらに働いた。…でも、夢見ていたような成功を納めることはできなかった。大手の下請け会社で、上司に頭を下げながら社内を走り回るような毎日だった。
そんな孤独な日々の中で、ぼくは故郷を想うようになっていった。家族、親友や仲間、そして慣れ親しんだあの町並みが、どうしようもなくいとおしく思えた。生まれ育った町を容易に捨てたことを、後悔もした。
そしてそんなある日、ぼくは新聞で小さな記事を見つけた。「有岡鉄道、廃止へ」―故郷を走る、あの愛すべき電車が、廃止になる…その知らせに、ぼくは少なからず衝撃を受けた。物心のつく前から親しんでいた有岡線が、青春時代の全てを包んでくれたあの路線が、無くなる…。それはどこか現実味のないものに思えたし、有岡線のない故郷など想像ができなかった。
しかし今日、初めて帰ってきたぼくは、その事実を突きつけられたのだった。本数は少なくなっていっても、ちゃんと故郷まで運んでくれた有岡線の古い17形電車が走ってくる気配は、全くなくなっていた。

線路沿いをしばらく歩いていたぼくの視界に、あるものが映った。揺らめく陽炎に浮かぶ「それ」を見た瞬間、ぼくは立ち尽くしていた。
―毎日使っていた故郷の駅…有岡駅は、荒れ果てた姿になっていた。
「ここが…」
言葉が出てこなかった。夢を見ているのかと思った。
ひび割れたプラットホームは、道路から上がれるようだった。ぼくはふらふらとそちらへ歩いていった。
駅は廃墟だった。ぼくは朽ちかけたベンチに、腰を下ろした。
しばらくして、―突然、喉の奥を熱いものが突き上げてきた。鼻と目頭がとたんに熱くなる。
「…っ、う…!」
違う…。違うんだ。ここは故郷じゃない。ここには、ぼくが親しみ、ぼくをいつも受け入れてくれたものたち―母親も、親友も先生も、そして有岡線さえ…みんな、もういない、ぼくを暖かく迎えてくれる「故郷」は、もうないんだ…。ぼくが想い焦がれた、唯一無二の「故郷」は、変わり果てたこの町には、もうないんだ…っ!
気がつくと、ぼくはぼろぼろと涙をこぼしていた。ぼくの帰る場所が、もうこの世界にはないと知った衝撃だった。有岡線のなくなった今、ぼくには故郷に帰るすべは、何一つないのだ―。
「う…ううっ…」
言葉にならないうめきが漏れていく。かけがえのないものをなくした哀しみが、ひたすらにこぼれてはひび割れたコンクリートに染み込んでいく。埋めようのない大きな穴が心に空いたのがわかった。
ひとしきり泣いて、ぼくは顔を上げた。本当は頭のどこかでわかっていたのだ、故郷を出るとき、もう後戻りはできないと。ここに帰ってくることはもうないという覚悟を決めて、後ろを振り返らない生き方をぼくは選んだのだ。それがぼくの人生なのだった。
袖で滴を拭い、ぼくは立ち上がった。もうこの町にいる必要はない。ひたすら前に進むしかない東京という場所へ、戻るしかないと感じた。
線路に背を向けて、プラットホームを後にしようとした。そのとき、背後から17形電車の警笛の音が聞こえた気がした。
―ぼくは一瞬立ち止まり、そのまま振り返らずに歩き出した。

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