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私の好きな作家の一人、堀江敏幸さんの「本の音」の中にはたくさんの素敵な本が紹介されています。その中で紹介されていた本を何冊も読んでみましたがその中の1冊です。
杉本秀太郎さんの文は、とても不思議な魅力を持つ言葉で綴られていて、その書かれている内容とあいまって引き込まれていきます。
「音沙汰」の中の1章「ハイドンの午後」を読んで不思議な偶然を感じました。
とある午後、杉本氏がコンサートに出かけたときの会場が、戦前の美術商、山中商会の建物だったところ。私はつい先日、その山中商会の事を書いた朽木ゆりこさんの「ハウス・オブ・ヤマナカ」を読んだばかり。
その日、旧来の友人が奏でたピアノソナタは杉本氏のもっとも親密になった音楽であり、そこで筆者、杉本氏が思い出すのは小林秀雄の「モオツアルト」。その中で小林秀雄はハイドンとモーツァアルトを聴き比べてハイドンには「何かしら大切なものが書けた人間を感ずる。外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の好さといったものを感ずる」と書いており、杉本氏は逆ではないか、と思うようになる。そして小林秀雄の自惚れ鏡に気付くようになったという。
私はこの本の前に、出口裕弘さんの書いた「辰野隆 日仏の円形劇場」を読んだばかりで、その中でも辰野隆の一番弟子である小林秀雄の事がかかれており、こちらは悪くは言っていませんが、飄々とした大人の辰野隆が、秀才の小林秀雄のランボーについての卒業論文は優れていたが、口頭試問ではフランス語がからきしわからず何も答えられず、最後に「卒業させてください!」と睨んだ小林秀雄の目で及第させてしまった、という逸話を思い出したものです。
そして極めつけは、この文と杉本氏が書いたのは1997年12月21日の日のことで、私がこの文を読んだのが昨日、12月21日なのですよね。
このような偶然は時々あるものですが、何だか不思議な因縁のようなものも感じました。
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