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初めてギターを持ったのは小学5年生のときだった。
その年に赴任してきた先生のアパートへ遊びに行ったとき
先生がギターを弾きながら歌ってくれたのは、確か高石友也さんの「ウィシャルオーバーカム」
そのギターの音色に新鮮な驚きを感じた私は、家で父に「先生はすごいんだよ!」と
長いことまくしたてていたと思う。
次の日、帰って来た父の手にギターが握られていた。
そのクラッシックギターで、なんと父は演歌だったと思うがメロディを弾き始めたのには驚いた。
母に聞いたら、父は音楽隊に所属していて昔はトロンボーンを吹いていたと言うのだ。
そんな話は初めて聞いた。
その当時の仲間とギターを弾きながら歌っていたらしいのだが、そんなのは父とは別人だ。
釣りと山登りが好きで、休みになるとバイクを飛ばして帰って来ないのが私の父なのだ。
そんな父がギターを弾いたり、トロンボーン?想像すら出来なかった。
なんにせよ、何処からか都合をつけて貰って来たギターが晴れて私のものとなった。
父は「基礎を学ぶならクラッシックからしなさい」と言う。
そこで最初の目標は「禁じられた遊び」ナルシソ・イエペスの演奏で有名な曲だ。
ラジオからよく聞こえていた曲で、「こんなのが弾けたらいいな・・・」と
それからは通信教育で小学校を卒業するまで毎日2年間、猛練習をした。
おかげで、小学校を卒業する頃には「アルハンブラの想い出」や「ラ・マラゲーニャ」などを
一端に弾けるようになっていた。
中学に入った頃は「フォークソング」ブーム。
姉がカセットで色んな曲を聞かせてくれたので、私もすぐ虜になってしまった。
父に頼み込んで買って貰った「ヤマキ」のカントリーウエスタン型のギターで
アルペジオだのスリーフィンガーだの奏法を勉強しながら真似事をしていた。
バンドを組みたかったのだが、中学生でギターを弾ける友人は当時殆ど存在していなかった。
高校ではクラスにやたら上手いのが一人居て、彼と組んで一年生のときの文化祭で一躍人気者に・・・
しばらく彼とバンドを組んでいたのだが、彼はサッカーでも市内で有名な選手となり破局。
仕方なく仲間を求めてフォーク喫茶(店内にステージがあって演奏が聞ける・・・当時はフォーク
喫茶とかジャズ喫茶が結構あった)に入ってみたのだが
ここで出会った喫茶店のマスターが私のその後に大きく影響することになった。
「君、ギターするの?」
「ええ、少しだけ・・・」
「お客さんも居ないし、ちょっと演ってみようか?」
そこで二人で何曲か合わせてみた後でいきなり
「ねえ、今度公民館でコンサートするんだけど手伝ってくれない?」
青天の霹靂とはこのことだ。
パンチでデート(古い)じゃあるまいし、出会ったその日にメンバーかよ?
その夜、他のメンバーも集まって来たのだが全員が社会人。
こんな中に高校1年生が入っていいのか?
しかし・・・コンサートは魅力だった。
私のパートは、その曲ごとに足りない部分が全部だった。
リードギターのパートが終わると今度はベース・・・その次はサイドギターとコーラス
あらゆることをやらされた・・・要するに便利屋さんみたいなものだった。
綺麗なボーカルのお姉さんに淡い恋心を抱いていた・・・ような記憶もあるが
そのお姉さんは1年後、もう一人のメンバーのお兄さんと結婚してしまった。
このコンサートへの参加によって、人前で演奏することの魅力にとりつかれ
生来持っていた(?)目立ちたがりの虫が覚醒してしまったのか・・・
学校ではトランペット
学校が終わるとフォークバンドと音楽三昧の生活にターボがかかってしまった。
一体勉強はいつしてたんだ?
続く
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