古代出雲と神話の世界

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星の神様が降り立ったとの伝説も残る454mの山で「出雲風土記」では荻山として登場します。
ここから眺める星空は素晴らしい!夜景も「山陰八景」に数えられる美しさです。
今日は霞がかかって、遠くまで見えませんでした。日頃の行いが・・・

聖武天皇の時代、730年頃に揖屋に住む漁師が中海で漁をしていると大時化になってしまいます。
暗い夜中だったので、方向も何も分からず船が沈没しそうになったもので漁師は大慌て。
「仏様、どうかお助け下さい」と一心不乱に祈っていたら、星上山の頂上から強い星の光が出て
海を明るく照らしてくれたそうです。おかげで漁師は助かることが出来たんですが、

翌日、不思議に思った漁師達がこの山に登ったところ、頂上付近に一つの池がありました。
漁師達がその水面を覗いてみたら、そこにはなんと「十一面観世音菩薩」のお姿が水に写っている
ではありませんか。
そこから更に上に登っていくと観世音菩薩が現れました。

漁師達は「有難い仏様によって命を助けて頂いたことを人々に伝えていきます」と
そこに寺を建てて「星上寺」と名付けました。

更に安徳天皇が御病気の時に、この十一面観世音菩薩に祈ったところ全快されたそうで
天皇の命によってこの寺は「安徳山星上寺」として栄えたそうです。

日本という国の誕生

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古事記では「日本書紀」と違って、世界が二つに分かれたところから始まっています。

最初に高天原に3人の神様(本当は3柱と書かなければいけないんでしょうが、かたくなるから)が
現れ、その後に2人の神様が現れます。でもこの5人、いつの間にか消えてしまった(^_-)
それ以後に現れたのは「神世七世」と呼ばれる神様達で、その中に居たのが「イザナギ」と
「イザナミ」ですね。最初に現れた神様には男女の区別は無かったんですが、この時からは男女の
性を持って現れています。

イザナギとイザナミは天沼矛(あめのぬほこ)を授けられて、下界に国を作りに降り立ちます。
二人は天浮橋に立って、天沼矛で海の水をかき混ぜ引き上げた矛の先から滴り落ちる水で島を
ひとつ作りました。オノゴロ島ですね。

そのオノゴロ島で、この二人は夫婦の契り(神聖な儀式です・・)を結んで、イザナミは子供が
出来るんですが、最初の契りのときに先に声をかけたのがイザナミだった為に出来た子供は健全
では無い「ヒルコ」と呼ばれるものでした。
この辺には男尊女卑といったような、中国から渡ってきた儒教の考え方が見えますね。

困った二人は高天原の神々に相談したんですが、答えは女性から先に声をかけたから・・
今だったら、訴えてやる〜かも知れませんがこの時代は夫唱婦随の精神が強いから・・

そこで二人は改めて儀式(?)を行い、無事に七つの島を産み出しました。
これで八つになり、これを「大八島国」といいます。
その後も二人は六つの島を産んで、国を作り終えたんですが、さてこれからが本番。

二人は様々な神々を産み始めます。その数35人!(本当は23人?)と言われ、
イザナミが火の神を産んで、女性の大事なところに大火傷を負って亡くなってしまうまで
続けられました。

ちなみに最初の子供は現在の「淡路島」だったんですが、その背景には淡路島の人達が最初に
信奉していたのがイザナギとイザナミだったので、それが神話を作るときに取り入れられた
からではないかと言われてます。

最初に作ったオノゴロ島は、現在の淡路にある「絵島」と言われてます。二人はそこに宮を建てて
住んだそうです。(写真は淡路の絵島=オノゴロ島)

古代の人達は、自分達の社会を発展させる為に男女の営みを神聖な儀式と位置づけていたんですね。
古代の人達が現代の有様を見たら嘆き悲しむか、あきれてモノも言えないか・・

大八島・・・本州、佐渡島、隠岐島、対馬、壱岐島、九州、四国、淡路島

「古事記」が日本で最古の本だと、勘違いされている人も居るかと思いますが、
実はそれ以前にも「旧辞」「帝紀」といった書き物があったんです。
この二書には天皇の系譜とか行った政治の内容、他に神々とか時代で活躍した偉人とか
英雄の逸話や物語が書かれていました。
それが、時の流れと共に内容が変わってしまったり、途中の出来事がいつの間にか
消えてしまったりと、最初の内容がよく分からなくなってしまったんですね。

そこで、今一度全部を見直したのが稗田阿礼(ひえだのあれ)という女性。
天武天皇の命を受けて「旧辞」と「帝紀」を読み直し、全部暗記してしまいます。
すごい才女だ・・羨ましい。爪の垢を煎じさせてもらいたいもんだ。

で、暗記したその内容を学者であった太安万呂(おおのやすまろ)に口頭で伝え、
執筆して本に纏めたのが712年、和銅5年ですね。
その本を当時の天皇であった「元明天皇」へと献上されました。

上・中・下巻として纏められた「古事記」ですが、神話の様相が濃く書かれています。
それに天皇家の由来を絡めて、読んでいても非常に面白いんですが、
第25代天皇の武烈天皇以後はその系譜や政のみとなっています。

「ヤマタノオロチ」や「スサノオノミコト」「アマノイワト」など、壮大な神々の物語。
余りにも有名で誰でも知っているとは思いますが、もう少し掘り下げて少しづつ紹介して
私自身の再認識にも役立てたいと思っています。

古事記と日本書紀

神話の世界となると必ず出て来る「古事記」と「日本書紀」ですが、この両書が書かれたのは
天武天皇の時代、672年以降に編纂されたのですね。
国の支配者が天皇という言葉を使ったのは天武天皇が最初だと言われています。
この両書を合わせて「記紀」と呼び、「記紀神話」と呼ぶ人も居ますが、これは時代背景を
考えても、時代の世界観を考えても相容れないのでは?と思ってしまいます。
「古事記」に比べて「日本書紀」は対外的に、どちらかと言うと中国の儒教思想が入った
感じで編纂されているという解釈も一般的になっていますね。

出雲地方とは切っても切れないこの両書。
まずは「古事記」から書き込んでいこうかな?と考えてるのですが、古事記にしても弥生時代の
稲作文化が元になった「空想と現実の歴史世界」であろうと思うのです。

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荒神谷遺跡

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仕事で近所まで行ったので、久しぶりに寄ってみました。
場所は出雲市と松江市の中間にある斐川町から山側に入った、広域農道の途中です。
昭和58年の道路工事中に伴う遺跡の分布調査のとき、調査員が見つけた古墳時代の土器。
全てはここから始まりました。

59年に谷間の斜面を発掘調査したときに、それまで国内で発見された銅剣の総数を上回る
358本の銅剣と、銅矛が16本も発見されました。
今では、その全ての発掘品が国宝指定されています。

また、そのときに出土した2000年前の蓮の種が発芽し、写真のようにすごい数に・・・

もともとこの地方は「掘ったら古墳が何処でも出る」と言われるほど古墳の多いところですが
中でもこの辺りは特に多く、他に「小丸小山古墳」「軍原古墳」「神庭岩舟山古墳」などが・・
他にも群集墳や横穴群、それに伴う副葬品が数多く発見されています。

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