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JR市川駅から徒歩5分かかるかどうか。ちょっとわかりずらいかもしれませんが、鳥居の向こう側ほぼ真正面小さく写っている信号機のうしろに写っているのがJR市川駅の建物です。 神社を正面からみるとこんな感じ。大きな御神木の小さな神社です。 こちらに遷座したのは第二次大戦後のようですが、今から170年くらい前に郷土の産土神として祭祉された神社のようです。 小さいですが、境内はきちんと掃き清められております。
じつは、別の神社と勘違いしての参拝だったそこつ者のわたしですが(^_^; 駅にも近く交通量も多いにぎやかな場所にありながら、広くはない敷地内はきちんと神社の空間です。 |
市川市編
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前回の「不知森神社(通称藪知らず)」を兼務しております、「葛飾八幡宮」です。 藪知らずからは大鳥居まで1〜2分、すぐ近くです。 大鳥居と二の鳥居の間に京成線の踏み切りがあります。これは二の鳥居をくぐってから撮った写真。 以外と車も通ってますね。 随神門です。 明治初年の神仏分離令によって廃寺となるまでは、上野東叡山寛永寺の末寺である天台宗八幡山法漸寺が別当時として存在しておりまして、そのころの山門なのだそうです。 随神門前にある狛犬は「安永6年(1777)2月」と刻まれております。 社殿に到着いたしました。現在の社殿は大正2年に改築されたものです。 こちら「葛飾八幡宮」は寛平年間(889〜898)に宇多天皇の勅願により勧請されたと云われておりまして、「八幡」という地名の由来となったお宮です。 「藪知らず」でも書いたとおり、平将門の奉幣・源頼朝の改築・太田道灌の修復・徳川家康の寄進などの社歴もあるそうです。 御祭神は「誉田別命(ホンダワケノミコト/応神天皇)・息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト/神功皇后)・玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)」です。 こちらは、境内地の隅にありました古い狛犬です。奉納年月などはわかりませんが、となりにある石碑には安政2年とありました。でも随神門前の狛犬は安永6年、こちらのほうがどう見ても古いと思われるので、石碑の年代とは無関係でしょう。 ちなみに、社殿の写真に写っている燈籠は「明和」のものです。 神社に鐘? 神仏分離令によって廃寺となった別当時の鐘楼だそうです。 こちらの境内には、他に神楽殿の大絵馬や天然記念物の御神木千本公孫樹などもございます。 御神木は銀杏で、今の時期は葉が全部落ちてしまっていて寂しいかぎりなのでまたつぎの機会に・・・ ところでこちらに参拝する少し前のこと、友人Yとの通話中なぜか葛飾八幡宮が話にでて「あそこは神社じゃないよ」と社名も鳥居の存在もしっていたのに言い切ってしまったわたし。
まあ由来を知れば「なるほどね」という感じですが、「葛飾八幡宮」は立派な神社です。 許せ!Y!m(__)mm(__)mm(__)m |
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JR本八幡駅から5分くらい、国道14号(千葉街道)に面しております。 結構有名な「八幡の藪知らず」案内板には「不知八幡森(しらずやわたのもり)」と書かれております。 江戸時代には、すでに現在に近い状態になっていたようです。 その頃の文献に「入ると出られない」「祟りがある」「入ってはいけない」というようなことが書かれて恐れられていたとか・・・ 現在でも一応「心霊スポット」となっているようですが、国道14号線は車の交通量も結構あるし、人の往来もあるので幽霊も居づらいんじゃあないでしょうか? 江戸時代でも今よりもう少し広かっただけのようなので、簡単に向こう側は見えたと思います(^_^; 1、平良将の墓所 2、平貞盛が仕掛けた八門遁甲の死門の場所 3、平将門の家臣が土人形に化した場所 4、平将門の墓所 5、日本武尊の陣所跡 6、貴人の墓所 7、古墳 8、行徳の飛地になっていた 9、葛飾八幡の跡地 10、水戸光圀が迷った などですが、いまのところ「平良将の墓所」説を採っているという話もあります。 結局かなり古い時代のことなので、江戸時代にはもう由来がわからない状態になっていてただ「入ってはいけない場所」だから「祟られる」とか「入ると出られない」などのうわさが立っていて、その部分だけが現在はっきりわかっているということなんですね。 9、の「葛飾八幡」というのは道路の反対側のすぐ近くにありまして、現在こちらが兼務社となっている「葛飾八幡宮」で平将門が奉幣したといわれております。この葛飾八幡宮にはその昔「放生会」という行事があり、その行事で生きた魚を放すための池「放生池」があった場所ではないかという説が案内板には書かれておりました。 特に根拠はありませんが、わたしとしては「放生池があった」説を採りたいと思います!
重ねて、根拠はまったくありません(^_^;!! |
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