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前回の晴明神社から、娘のリクエストでバスで銀閣寺へ・・・ところが「銀閣寺道」で降りなければいけないルートのバスであることをうっかり忘れて乗り過ごした親子は、なんとなくわかったところで途中下車して地下鉄で京都駅へ戻り、約1時間のタイムロスを経て再びバスで「銀閣寺」をめざす! しかし銀閣寺へ到着した親子が真っ先に向かった場所は・・・喫茶店「花ぎんかく」であった。 暑かったのよ!! 8月28日京都の午後4時すこし前、娘はチョコパ、バナナアレルギーのわたしは銀閣しぐれ。 時刻は午後4時半近く。ようやく正式名称「東山慈照寺銀閣」へ・・・ この山門の写真、実は帰りに撮ったものでして、山ほどいる観光客が一瞬途切れた時に撮った前回晴明神社の本殿に続く奇跡の一枚!? 今回銀閣寺に入って最初に撮ったのがこちら「銀閣寺の鎮守さま八幡神」
おととしの夏、ドシャ降りの中で写した修復作業中の銀閣も・・・
作業も終わってきれいになりました。 おととしは雨宿りする人たちが沢山いて撮る事が出来なかった本殿でございます。 ドシャ降りのときには見る余裕がなかった「銀沙灘」もうつくしい! こちらは「お茶の井」義政公がお茶を立てるときに使ったといわれております湧水です。 庭園内「洗月泉」付近(だと思いますm(__)m) このあと参道でおみやげ物を物色。 おととしは雨がすごすぎておみやげ見るどころじゃなかったからね(^_^; 翌日平安神宮と八坂神社も巡った親子でしたが、どちらも暑すぎて訳のわからない中途半端な写真が多いので、更新にまる2ヶ月を費やした親子珍道中はこれにて・・・・・ 次回から近場の神社歩きに戻りますm(__)m
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親子珍道中・京都2011
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貴船から晴明神社まで2時間弱、なのに前回の貴船神社から今回まで約1ヶ月ぶりの更新となりましたm(__)m 8月28日、この日の京都は気温34度、叡山鉄道「貴船口」駅から「出町柳」駅まで戻ると非常に暑い!!バスで移動するつもりでしたが暑さに負け、駅前に並ぶタクシーでの移動となりました。 こちらは堀川通り沿いの「大鳥居」です。額束には晴明神社の社紋であります「五芒星」 大鳥居をくぐって左側には、かつて陰陽師安倍晴明が、自らが使役する式神を封じていたといわれている「一条戻り橋」のレプリカがあります。橋の左側にいる式神がなぜかチャーミング。 そしてこの写真を撮った位置からふと右がわを見ると・・・ この巨大な狛犬と目が合う。 何度やっても合う・・・ ちなみにこの狛犬には相方がおりません。 本物の一条戻り橋は晴明神社の大鳥居を出て堀川通り沿いを右に100mほど行った道路の向こう側に復元されているそうです。 細い道を挟んでもう一つある晴明神社の鳥居です。こちらには嘉永6年(1853)9月と刻まれております。そしてこの鳥居から先が陰陽師安倍晴明の住居跡とされているところで、元からの晴明神社敷地となります。 鳥居のほぼ正面にあります本殿は、明治38年に建てられたものだそうです。 時刻は午後1時過ぎ、そう広くはない敷地内にそれなりの参拝者の数が常にいる中、たまたま無人の瞬間に撮れた奇跡の1枚!? 厄除け桃の前あたりに御神木の楠の木がそびえております。晴明神社のHPに「樹皮にふれると独特の感覚があります。両手をあてて大樹の力を感じとってください。」と書かれているためか このあと、おととし大雨の中敢行した「銀閣寺」へ暑さでヘトヘトになりながら向かう親子だった。 10月最初の土日は町会の秋祭り、次の土日は市民文化祭と行事に追われ、3連休を過ぎてやっと「さあ、ブログの更新だ!」と思った矢先に娘が風邪で寝込み、数年ぶりに娘から風邪をうつされまして、さっさと治る女子大生を横目で睨みながら10日ほど過ぎてやっといくらか鼻呼吸ができるようになったわたしです。 夏休みネタは今月中に終わりたい・・・ |
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たかが2泊3日の旅行なのに、いったい何日かければ終わるのか?リアルタイムを追及する時代に逆らうブログですm(__)m その昔、父の趣味である川釣りに同行していた頃には、よくこんな感じの駅を目にしたような・・・ 大型バスの駐車場でもある京都バス貴船バス停までは5分程度、ここからは徒歩ですが、まだマイカー観光の数も少ないこの時間は10分はかからない1本道の左側にまず見えるのが大きな鳥居 そして84段の石段。特別多い段数ではないものの、運動不足のアラ50おばさんにはちとツライ! 石段を登りきった先にある本宮です。ここよりさらに上がったところに結社・奥宮があります。 伝説によるとおよそ1600年ほど前、現在本宮のある地にもともと鎮座していたものを天喜3年(1055)にこの場所へ移築されたそうです。 現在の建物は平成17年のものです。きれいですね。 本宮の御祭神は『高龗神(タカオカミノカミ)』と『闇靇神(クラオカミノカミ)』水を司る神様で、社記には「名前は違っても同じ神なり」と記されているそうな・・・。 ちなみにこの二柱の神様、オカルトマンガファンならご存知であろうマンガ家永久保貴一の代表作「カルラ舞う!」に出てくる陰陽師剣持司の式神であります。マンガでは二柱別々の神として出てきます(剣持司は主人公ではないので、式神はたまにしか出てきません)。 本宮本殿の右側にある石段と橋を渡って1本道にでて結社に向かいます。
山故の上り坂とはいえそれほど勾配はきつくない。なのに女子大生の娘はなにやら少々キツそうです。
結社の御祭神は「磐長姫命(イワナガヒメノミコト)」縁結びの御利益ありとされております。 さて、神社に参拝してもお願い事はしない親子の参拝時間はいつも極めて短い、はずなのにいつもの数倍時間をかけるこの女子大生・・・ついに恋愛でもしてみる気になったのかと思いきや、後に聞いた話では、本宮でなにやら結社へのお届けものを(実体は無い)背負わされ、重〜い背中に耐えつつ本宮から結社までの約7〜8分を歩いていたとか。結社での長い参拝は、お届け物を受け取っていただいていたからなんだそうです。 さすが不思議ちゃん親子。というか、雨女の娘は水の神様とは相性が良いらしいです。 ところで、この運動不足な親子は結社で疲れ果て、奥宮を断念してUターンする根性なしですm(__)m もともと神社に来たいというよりは、「川床!」と騒ぐ娘につられて予定を組んではみたものの、土壇場で「川魚は苦手」であることに気付き、川床料理の予約はせずにあえて釜飯を出す予約不可の店「伝兵衛」へ急ぐ。 根性無し親子はこのあと山を下りて「晴明神社」へ向かう。 |
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元祇園梛神社を出たとたんに雨、天気雨です。雨女の娘の希望で壬生寺へ向いますが、その手前にあるのがこの角を左に入ったところにある「八木邸」です。 見学料ひとり¥1,000、ガイドさんの説明と抹茶つきです。邸内は撮影禁止なので、いただいた説明書で雰囲気をどうぞ・・・娘曰く、ゲームの中の八木邸が非常によく似ているそうです。 こちらは八木邸の玄関付近ですね。中は撮りませんよ〜 幕末史がお好きな方、新撰組ファンの方、時代劇好きな方もご存じでしょう。 八木邸は、将軍警護のために清河八郎率いる浪士組が江戸から入洛した際、近藤勇他試衞館の一派8名と尽忠報国の士芹沢鴨ら5名計13名の宿泊先となった壬生村の旧家で、戦国大名朝倉家の子孫で佐幕派だったのだそうです。 この家はのちに芹沢鴨ら暗殺の舞台となり、邸内にはそのときの刀傷が残っていたりもいたします。 4人も暗殺された場所というと、なんか怨念が渦巻いていそうな気がしますが、ここまったくそんな気配はございません。 立派な長屋門右柱には「松平肥後守御領新撰組宿」の表札が掲げられていたそうです。 見る人によるかもしれませんが、娘とふたり「なんかいい家だったねえ」といいながら長屋門をくぐり壬生寺へと向います。 壬生寺表門です。 元々なにかで有名なお寺だったわけではなく、長い間檀家さんたちの寄付によって支えられてきたお寺のようです。 本堂は昭和37年に焼失し、同45年に再建されたものです。 境内です。参道の左側は阿弥陀堂歴史資料館となっていて、1968年に新撰組人気にあやかり村の共同墓地から移転された新撰組隊士の墓もあるそうです。 参道右側には老人ホームがあります。(本堂向って右側にも老人ホームと幼稚園がある) 何がよくない、というわけではないですけど壬生寺はそれなりの雰囲気を期待していく観光客にとってはちょっと残念な感じがします。 八木邸はいいです。見学料¥1000はちょっと高いという気もしますが、ガイドの方がたはきちんと説明してくださるし、保存にはお金も必要でしょう。 このあと親子は東西の本願寺をめぐり、翌日の貴船行きに備えるのであった。
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去年は娘の受験勉強のために自粛した夏休みの旅行、今年は大学生になったからもう行かないかと思いきや「今年はまた京都に行きたい。」といいだした親離れしない娘と8月27〜29日、2泊3日の珍道中です(親と行けば金は親持ちだからね)。 京都についていきなりバスターミナルの場所を間違えつつ、最初に降りたバス停は「壬生寺道」 神社の前に降りたらお参りしないわけにはいきません。 (この写真は、道路の反対側京都駅方面へ行くバス停付近で撮りました。) 社寺の多い京都としては小規模といえるかも知れません「元祇園梛神社」です。 境内にはほぼ同等に見える2つの社殿が仲良く並んでおりますが、左側が「元祇園梛神社」右側は「式内隼神社」といいます。石灯篭の火をともす穴?(ごめんなさい)の形が元祇園梛神社は丸型、式内隼神社は四角なのがおわかりでしょうか? 左側「元祇園梛神社」は、貞観11年(869)京の都に疫病が流行し、現在の兵庫県姫路市から牛頭天王(素盞鳴尊)を分霊勧請したとき、その神輿を梛の林中に置いて祀ったことが、こちらの神社の始まりだそうです。後にそのご神霊が八坂に遷祀される際、当時の住民が花を飾った風流傘を立てて鉾を振り、音楽を流して神輿を送ったことが、「祇園祭」の起源といわれているそうです。そして遷祀された先が八坂神社となったことから、こちらは元祇園社と呼ばれるようになったということです。 そんな由緒があるにもかかわらず、壬生が何かと騒がしかった明治維新のころは田んぼの中の小祠だったものを、明治7年と昭和4年の2度にわたり復興させました。 ご祭神は「素盞鳴尊」主神として、「宇賀御魂命」「イザナミ命」「誉田別尊」を配祀しております。 一方、右側の「式内隼神社」は、延喜式神名帳に「京四條坐一座 隼神社」と記載されている大社に列する古社でして、元は蛸薬師坊城(現在の中京区壬生御所ノ内町)という所にあったものを大正7年にこちらの境内へ遷座したのだそうです。ちなみに延喜式神名帳には京中の3座3社が記載されていたそうですが、こちら「式内隼神社」以外の2社は廃絶してしまっているそうです。 江戸時代に隼(ハヤブサ)が訛って「ハヤクサ」と読まれたため、当時「瘡(クサ)」といわれた皮膚病の一種の平癒に霊験ありとされるようになり、現在では元祇園梛神社とともに厄除け・疫病払いの神とされております。 ご祭神は「建甕槌神(タケミカヅチノカミ)」を主神として、「経津主神(フツヌシノカミ)」を配祀しておりますが、国史ではご祭神「隼神」と記載されているそうです。 境内にある稲荷社です。狐のみごとさについ撮ってしまいました。 こちらは坊城通り沿いにもう一か所ある鳥居のそばに鎮座する狛犬です。昭和4年11月とあります。 さあ、このあと親子は本来の壬生の目的地である新撰組ゆかりの場所へと向かうのであった・・・・・ |

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