さむらい行政書士 庭山行政書士事務所

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「名将、強兵は一朝にして得られるものではない」
とはよく言ったものです。
 
今回の大震災で自衛官が見せた極限の奮闘。
被災者はじめ多くの国民はその姿に感謝しました。
 
「6メートルの津波が来ます。避難してください」
南三陸町では防災放送で津波が来る直前まで何度も住民の避難を促した。
「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。
母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて・・・(涙)」
彼女の通った志津川中学校では9年前のタイムカプセルが開けられました。
彼女の手紙には
「30代の未希さんへ。初めまして、10代の未希です。元気にしていますか。私は元気です。・・・」
これも涙なくしては聞けない話です。
 
そして、東京ディズニーランドでは観客7万人に対しアルバイトが素晴らしい働きをしました。
これも感動した。
・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

東日本大震災の被災地で黙々と過酷な任身に当たる自衛官たち。
その働きは被災地はじめ多くの国民から賞賛されています。
 
しかし、肝心の政府、特に最高指揮官である菅首相に言葉で「感謝します」と言われても、
他人事のようにしか聞こえなかったのではないか。
本来の指揮官ならば感謝ではなく、現場の声を謙虚に聞き、足りないものを即断で補い、
任務遂行しやすい環境、場合によっては超法規的な対応も必要なのかもしれない。
自らが腹を切る、つまりトップが責任を取る態度でのぞめば不可能も可能にするだろう。
 
本来の「主たる任務」ではない「従たる任務」に当たっている自衛官の
現場の生の声こそ、素人集団の首相はじめ政治家たちは真摯に聞かねばならない。
 
このような国難でもある有事になると、
我々建設業者も自衛官も、圧倒的に人員が足りないし、重機や機材も足りない。
 
我々は平時にあっては常に無駄なような扱いをされて、マスコミには叩かれ続け、
それに踊らされてきた政治家や国民によって予算が削られて、縮減・衰退していきました。
 
有事、特に大災害は国民が忘れた頃にやってくるものです。
その備えを無駄と言ってきた人たち、
有事になってから「早く!」「何とかしろ!」と、そうなってから騒いでも遅いのです。
 
JBPRESSの配信記事、
現役自衛官 藤井源太郎さんの生の声です。
・・・・・・ 
 
美化することなく、英雄扱いすることなく、感謝も、慰労も求めておりません。
ただただ被災者の安心と被災地の復興のために必要な装備と、
活動に対するご理解をいだたきたくて国民の皆様にお伝え致します。
 
多くの被災者は想像を絶する悲しみや心身の苦痛を伴いながらもなお、
冷静さを保って不自由な生活に辛抱されておられます。
しかしながら被災地の現実はきれいごとや美談ばかりではありません。
 
被災地では地震および津波発生以来、
避難者の自宅への不法侵入による窃盗や、
ドラッグストアやスーパーからの商品窃盗、
地元住民ではない人たちの窃盗行為、
東京ナンバーの車両が避難所周辺でロウソクやガスコンロ・ボンベなどの生活物資を
法外な値段で売るような人もいます。
捜索活動中にバールなどでこじ開けられた金庫の残骸が多数発見されています。
 
被災地ではマグロやサバ、特にイカの腐敗臭が非常に強くなっています。
ご遺体の腐臭もあります。
1カ月を経過して今後ますます腐敗臭は強くなります。
それは自衛官の心身のストレスを高め疲労させます。
そして、泥は乾き、ご遺体の捜索、収容作業がますます困難になっています。
津波の影響で泥の上にがれきがあったのですが、がれきを撤去しても、
その下の泥が日を追うごとに乾いてご遺体を隠してしまっているからです。
 
イメージ 1
 
一方、沿岸部では海上自衛隊の掃海隊群が中心となってご遺体の捜索が行われています。
その主体は海の中で発見された不発弾や機雷等爆発物の水中処分を任務とする水中処分員です。
こちらも津波で流された木片や浮遊物といった障害物を除去しながら捜索しています。
 
特に、3週から5週目の間に多くのご遺体は海中で膨張するため浮き上がってきます。
そのため地引き網より編み目の細い網で慎重に収容します。
少しのテンションでもぼろぼろになるので、丁寧に、丁寧に、棺やご遺体袋へ納めます。
 
車から脱出できなかったご遺体や自宅ごと流され家から出られなかったご遺体は、
なかなか浮上しませんので極めて困難な収容作業となっています。
 
しかし、この水中処分員も自民党時代から続く連年の人員削減、
すなわち部隊の近代化、集約化と称する削減により隊員数が少ないのです。
横須賀、呉、佐世保にわずか4個隊(30隻)しかおらず、
掃海隊が交代でことに当たっているものの、
連日数度の捜索により隊員個々の疲労が蓄積しています。
 
それでもなお、
「我々は艦艇に戻れば温食、お風呂がある。
現地で冷たい食事して、毛布にくるまって寝ている陸・空自の方が大変だ」
という他部隊を労る言葉を発してくれます。
 
いずれも梅雨が始まり作業が困難になってしまう6月までが勝負と、
日々全力で作業に当たっています。
 
イメージ 2
 
ぬかるみや水位の高い場所で作業する場合、防水ツナギを履いて行うのですが、
このツナギの靴部分は軽易なゴム製になっており、
非常にタイトなため半長靴を履いたままでは履けません。
そのため半長靴なしで胴付き長靴を履きます。
その結果、がれきが散乱している現場では、釘などが長靴のゴムを貫通して
足裏に刺さるという負傷事故が多数発生しています。
なお、その胴付き長靴すら需品在庫が少ないため民間から買い上げています。
加えて現場に随行している衛生班には抗生物質が不足しており十分な衛生が行えておりません。
 
防衛大臣は中期防衛力整備計画において約1000億円の予備費を持っています。
その予備費を今こそ現場が渇望している最低限の装備や薬剤などの購入費として
活用することはできないものでしょうか。
 
自衛隊の行動は編制単位部隊毎で行われます。
その下に小隊や分隊、班があります。
被災地で活動する場合、中隊長や隊長の指揮の下、小隊に別れて作業を行います。
部隊間の連絡は野外通信用の携帯無線機を使用するのですが、
小隊に1台、分隊にはなし、というのが当たり前になっています。
小隊以下はどのように連絡を取っていると思いますか?
それは隊員の私物携帯(通信料ももちろん隊員負担)です。
電波が通らない所では伝令を走らせるか大声で呼ぶのです。
 
肝心の携帯無線機の周波数帯も、警察、消防、国交省が良いところを押さえているため、
防衛省の割り当て区域は伝播能力の低い周波数帯です。
ちょっとした障害物で電波が届かないとか、
この位置から少しずれると電波が入らないということが多いのです。
こういった非常事態の場合においては実際の活動状況を踏まえた上で、
伝播能力の高い周波数帯の割り当てを再検討して頂きたいです。
 
東北の夜は早く、夕方になると暗くなります。
その際、懐中電灯やヘッドライトを使用しますが、これもほとんど隊員の私物です。
官品は懐中電灯で約30人の小隊で5個程度、
ヘッドライトの支給はなし。
LEDライトは100人以上いる各中隊で5個程度。
私物用の電池も隊員が自腹で購入しており、官品補給はありません。
 
原子力災害やテロ対策は、空港、港湾警備と同じで、防衛省ではなく、
警察の所掌業務であり、警察に予算がついています。
放射線や放射性物質災害やテロ対策についても警察と消防に予算がついており、
防衛省にはCBRNテロ対策名目で、主に生物、化学兵器対策でしか予算はついていません。
そのため放射線防護服や除染車、無人機などの装備は警察、消防の方が充実しているのです。
自衛隊の化学防護衣は化学部隊を除いて、
陸自では100人当たり10着程度しか配分されていませんし、
海空自についても航空機救難や基地警備に当たる隊員用にわずかしかありません。
 
自衛隊の大型消防車は消防庁と違い、基地、空港内だけの運用で
長距離走行を意図していませんし、20年選手が多く老朽化しているため、
フェリー輸送する際、船着き場へ着くまでに故障しています。
自衛隊は戦う組織だから自衛隊の方が何だか良い装備を持っていると思うのは幻想にしか過ぎません。
 
隊員は使命感を持って任務の完遂に取り組んでいますが、
政府にあっては現場の隊員個人の努力に頼りすぎず、
長期化を見越して現場に必要なものを用意して頂きたいです。
 
極東情勢が緊張している今、国防が「主たる任務」でありながら、
「従たる任務」である災害派遣に10万人体制で取り組むことが真に妥当であるか・・。
 
震災後、ロシアや中国は我が国の防衛体制に穴がないか、たびたび確認に来ています。
誤解がないように強調したいのですが10万人全てが現地へ行っているという訳ではありません。
被災地にいて実働している人員は陸海空すべてで3万人程度です。
そのほか、各基地、各駐屯地、市ヶ谷などを含む指揮所、指揮通信システム維持、
空輸、陸送、海上輸送、補給要員などを全て含めての10万人体制です。
 
戦力投射能力という観点から見ると災害派遣、原子力災害派遣において
早々に10万人体制を確立したことは他国からの高い評価からも分かる通り、
それ自体が抑止力になっています。
ですが、10万人体制の問題は2つあります。
 
まず交代部隊がほとんど確保できないという点です。
警察や消防は約1週間ごとに交代していますが、
自衛隊では10万人体制維持のため、交代要員が確保しづらい状態になっています。
これから今まで以上に酷い光景を見て匂いを嗅ぐことになります。
 
1次派遣中に陸上自衛隊でも死者が出ました。
災害派遣中に大量のご遺体を見ていたたまれなくなっての自殺です。
殉職と言ってもいいでしょう。
また、50代陸曹長が病死しました。こちらも殉職と言えます。
同様に薬の欠かせない持病があるにもかかわらず、
災害派遣に押っ取り刀で派遣されたため薬がなく体調を崩す隊員が出る危険性もあります。
 
2番目に輸送機や輸送トラックが不足しています。
空自の輸送機の多くが老朽化し退役しつつあるため、
空中給油機なども使用しているのですが、それでも機体が足りません。
トラックに関しても物資とともに隊員も輸送しているため絶対数が足りません。
このような状況でも民航機や民間鉄道を使用させてもらえません。
このあたり10万人体制を政治力で敷いたのですから予算どうこうではなく、
輸送、補給といった民間力を活用できる点についても政治力を発揮して頂きたいです。
 
「トモダチ作戦」の費用は半分以上が我が国負担になるため、
真に必要な点以外で依存しすぎるのは良くありません。
米軍並みの高精度ではないとはいえ、我が国自身の手で、
自前の無人機を運用し情報を得て、爾後の対策に活用することは重要なことだと思います。
 
5時起床、18時捜索終了、作戦会議やミーティングなどで23時頃就寝。
物資輸送については交代制で夜間も行っています。
4日に1度の入浴(片道3時間)。
多くの場合、洗濯は入浴を早めに切り上げて行います。
食事はほとんど12食です。
当初は乾パンばかりだったのが除々に冷たい缶飯になり、たまに温食が出ます。
週に1度の休日は入浴とほとんど疲れて眠るだけ。
・・・
 
国家、国民の一大事に派遣される時、最初、士気は高いものです。
しかし士気は弓矢と一緒で、最初は勢いよく放たれますが、弓なりに失速するものです。
士気も日を追うごとに、見たくないものを見て、嗅ぎたくない匂いを嗅いでいると衰えていきます。
そんな士気が衰えてきた時に、隊員を奮い立たせるのは、
堅確な意志を体現した指揮官の姿であり、熱誠を込めた言葉なのです。
堅確な意志と熱誠を込めた言葉によって、衰えた士気は振作されます。
 
我々自衛官は、国民の皆様から感謝されればもちろん嬉しく思います。
ですが、そのためにやっているのではありません。
自衛官は国民の生命と財産を守ることが任務であり、使命であり、当たり前のことなのです。
また、こういう文章を書く理由は、感謝してほしいのではなく、
理解して、活動を支援して頂きたいからです。
 
今回の自衛隊災害活動においてさえ、マスコミには心ない発言をしたり、
作業をしている隊員に心ない発言を浴びせる方がおります。
しかし、疲労を忘れさせ、士気を奮い立たせ、
隊員の士気を維持し続けているのは、次のような某中隊長の言葉なのです。
 
「被災者や行方不明家族のおられる方々が、
固唾をのんで見守る中での作業は辛いものがある。
しかし、崇高な使命を達成できるのは我々しかいない」
 
「現地での作業で見せた諸官の行動は間違っていない。
何かあれば私が責任を取るから存分に作業に当たってほしい」
 
「避難所などで被災者が心身疲労しており、真に必要な救援物資の到着を待っている。
被災者に会ったら、何が必要か、何が不足しているか、どうしてほしいか、
少しでも情報を取ってこい。ただで帰ってくるな」
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

わかり合いたい心

被災地の復旧のため、なかなかテレビを見ることができないので、
又聞きで申し訳ありませんが、良い話を聞きました。
 
あるテレビで不登校の少年が被災地へ行き被災者への支援を行ったという。
少年は被災者たちのために物資配達に走り回って支援活動をした。
地元被災者の問いかけで「不登校だって?」に、少年は笑顔で応えたという。
 
学校にも行かない少年が、
震災で困った人たちを助けることに全力で当たる。
 
学校のへたれ教科書で勉強するより、
被災地で困った人たちの役に立とうと必死になること。
人間としての最大の勉強じゃないか。
学校教育では引き出せなかったものを、
被災地でのこういう事態を目の当たりにして心の奥底にあったものを見事に引きだした。
彼らはもともと、心のやさしさと、人を助けたい、という正義感を持っていたのだ。
そして、何より素敵な笑顔を見せたという。
・・・ 
 
先日、いまだ品薄のスーパーの外に並んでいたら、
60歳を過ぎた夫婦が軽自動車のまま列に割り込んで並んできました。
車から降りることもなくそのまま居座った。
マスクをしており放射能でも恐れているのか?と思えたが、
大変迷惑な行為だ。
見かねて、車のガラス窓を叩いて、窓を開けさせ、
「車は駐車場に置いて並んで下さい」
と言うと、うるさいな、という顔をして、しまいにはニヤけたので、
「ここは車で並ぶところじゃない、車を駐車場に置いてきてから並べ!」
と顔を近づけて大きな声で言ったら、
いやいや車を置いてきて後ろに並んだ。
皆が整然と並んでいるのに、いい年をした人間の我がままとマナーの悪さ。
こういう時期だからこそ、自分勝手はやめて、黙ってわかり合いたいものだ。
 
 
さて、店内に入り、品数制限のある中、必要なものだけを買い物している最中、
近くにいた二人の小さな子供の兄弟が、
「これを二つに分けたら二人で食べられる」
「うん」
という会話が聞こえたと思うと、レジに駆け出して行った。
 
本当は一個ずつ買って食べられればいいのに、それが出来ずに
分け合って食べようという子供たち。
こういう時だからこそ芽生える心かもしれない。・・・
 
 
 
 
 
 
・・・・・・

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

樺太に 命をすてし たをやめの こころおもへば むねせまりくる
 
終戦直後、樺太の真岡郵便局の電話交換手である九人の乙女たちは
最後まで交換業務をしていました。
そして、ソ連軍が上陸し襲いかかった時、
ソ連の手にかかる前に自ら服毒自殺した。
昭和4395日、「九人の乙女の像」の前で稚内市長の説明を聞かれた昭和天皇は
後日、上のような御製をお詠みになられました。
また、皇后陛下もこのような御歌を賜りました。
 
樺太に 露ときえたる をとめらの みたまやすかれと ただいのりぬる
 
・・・
 
 
大きな揺れの後、津波の来襲と高台への避難をひたすら呼び掛け続けた。
東日本大震災で津波に押しつぶされた宮城県南三陸町で
防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24)。
いまだ安否が分からない。
 
「しっかり頑張ったね。でも、何も命を張ってまで…」。
いたわりと無念さに揺れる母親。
秋に結婚式を控え準備を進めていた。
 
「ないよね」。
避難所に張り出された身元不明者、死亡者の特徴を書いた紙を指で追いながら、
母親の美恵子さん(53)がつぶやいた。
震災から2週間以上が経過し、更新される情報も日に日に少なくなっていく。
震災翌日から2日間はがれきの中を歩き続けた。
「見つけられなかった。自分たちの手ではどうしようもなかった」。
隣に寄り添う父親の清喜さん(56)はうなだれた。
 
3階建ての防災対策庁舎は津波にのまれ赤い鉄筋だけが無残に立ち尽くす。
11日、未希さんは2階で放送していた。
「6メートルの津波が来ます。避難してください」。
冷静で聞き取りやすい呼び掛けが何度も繰り返された。
海岸にいた両親にもその声は届いた。
 
庁舎に残った職員約30人のうち、助かったのは10人。
高台の高校に避難した人からも波にさらわれる職員の姿が見えた。
 
未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属された。
介護の仕事に就くことを考えていたが、両親の希望を聞き入れ町職員を選んだ。
昨年7月に婚姻届を出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していた。
景勝地・松島のホテルを早々と予約。
昨年12月、初めて衣装合わせをしてみた。
「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。
そう約束していた。
 
美恵子さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされた。
最後の方は声が震えていたという。
「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。
母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて」
 
町は人口約1万7千人。
約8千人の所在が分からず被害の全容はまだ把握できていない。
それでも避難所へ逃げた女性(64)は
「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれたのだから」
と思いやった。
「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉をかけてあげたい」と清喜さんは涙ぐんだ。
 
「未来の未に、希望の希」。
美恵子さんは娘の名前をそう説明した。
 
壊滅した町には新しい電柱が立ち、がれきの間に道が通るようになった。
少しずつだが、未来に向けて動き始めている。
329日 産経新聞)
 
イメージ 1
 
 
彼女のぎりぎりの恐怖心とぎりぎりの使命感を思うと、いたたまれない気持ちです。
昭和天皇の「こころおもへば むねせまりくる」に迫るものを感じます。
 
数年前、中西輝政氏は著書でこのように書いています。
「戦後の日本をつくった人々。
それは生き残った復員兵たちでした。
彼らの多くが戦後、慙愧(ざんき)の念を抱えながら、
死ぬまで繰り返し語ったことがあります。
『いいヤツはみんな戦争で死んだ。
他人に先駆けて真っ先に突撃したヤツは、
生真面目に命令通り自己犠牲の精神を貫いたヤツらだった。
そういう真面目なヤツはみんな死んだ』・・・」
 
「人間が人間的であるゆえんは、まさに集団のため、みんなのために
身を賭して尽くすことにあるのですから、自己犠牲ほど人間として尊い価値はないのです」
・・・・・
 
 
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

エール

アルゼンチンはかつてスペインの支配にありましたが1816年に独立します。
そのアルゼンチンはヨーロッパやアメリカの圧力に常に緊張した状況が続いていましたが、
決して屈することなく独立を堅持していました。
 
そのようなアルゼンチンにとって東洋の小国である日本という国が、
大国である清国と堂々と戦っている姿は人ごとではありませんでした。
当時のアルゼンチンの新聞にはこう書かれていました。
 「日本は10倍の人口を持つ国に挑戦するという、これ以上望むべくもない勇猛さと剛胆さを
体現しているのであるから、我々は清国より日本に共鳴せずにはいられない」
 
日清戦争の日本の勝利でアルゼンチンは「日本を手本にすべきだ」と日本を研究しはじめ、
明治31年には日亜修好通商航海条約をも締結します。
 
そして、アルゼンチンが最も日本に関心を高めたのは日露戦争でした。
「なぜ日本はロシアに勝てたのか」アルゼンチンは分析をはじめました。
 
・・・日本は東洋にあって西洋文明の優れた部分を取入れ、
また他方では自国の伝統を遵守し、継承している国である。
そして、その根源は聖徳太子の憲法十七条にある。
日本ではすでに604年に憲法が制定され、
その憲法には
「和をもって貴しとせよ 群卿百寮、礼をもって本とせよ それ民を治める本なり」と定めている。
それに対して白人は傲慢で、無礼で、暴力的で、威圧的に人間を統治していた。
 
日本の精神は道徳によって社会を律し、
国家への忠、親への孝、夫婦の和、兄弟の愛を
宗教人としてではなく社会人・家庭人として義務とされている。 ・・・
 
アルゼンチンの日本分析はこう締めくくられていました。
「日本国民は見識を持ち、勤勉かつ壮健である。
彼らの中には祖国とその偉大な人物への崇拝心が混在している。
戦争に勝利したのは東郷でも大山でもない。
戦争に勝つには優秀な将軍だけでは十分ではなく、優れた軍隊が必要なのであり、
そして優れた軍隊をもつには堅牢に建設された国家の存在が不可欠なのである。
日本という国は国民全体の資質が極めて高く、それが日本の国家の基盤である」
と指摘しています。
・・・
 
大東亜戦争後、青年期にアルゼンチンに移住した現地日本語紙の編集主幹・高木一臣氏の
回想録にはこのように書かれています。
 
私が祖国・日本を離れ、このアルゼンチンに来て50年が経ちました。
19516月、私は全くスペイン語を知らないでこの国にやって来ました。
当時、無一物の私は、無料の国立夜間小学校のあることを知り、
強引に校長先生にお願いして入学を許されました。
そして、日本の大卒でしたが、子供たちと机を並べて勉強し始めました。
小学校を終えると、次に夜間の国立中学校に入学しました。26歳の時でした。
 
入学して1年、歴史の授業での出来事です。
先生は生徒を名指しし、教壇に呼び出して復習してきたかどうかを質問します。
その時、「ホセ、前に出ろ」 「ファン、前に出ろ」と名前で呼ぶのが常でした。
ところが私の場合、なぜか「高木」と名前では呼びません。
「日出づる国の生徒よ、前に出ろ」と呼んだのです。
 
私はこれに対し
「先生、日出づる国の生徒よ、という呼び方はやめて下さい」と言いました。
「なぜか?」と反問する先生に向かって私は、
「先生、太陽は落ちたのです。日本はもう日出づる国ではなくなったのです」と答えました。
しかし、先生は
「君が太陽が落ちたと言うのは、日本が戦争に敗けたからか?」とたずね返してこられました。
私が「そうです」と答えると、先生はキッとした厳しい顔つきになりました。
そして、
「君は間違っている! 日本が日出づる国であるのは戦争に強かったからではない。
日本はアジアで最初に西欧文明を取り入れて、我がものとし、世界五大強国の仲間入りをした。
そのことに示されるように西洋文明と東洋文明という全く異質の文明を統一して、
世界文明を創り上げる唯一の能力を持った国である。
この難事業をやり遂げるのは日本をおいて他にはない。
日本がこの能力を持ち続ける限り、日本は日出づる国であるのだ。
戦争の強弱などという問題は西洋文明と東洋文明の統一という大事業の前には、
取るに足らぬことなのだ。
君は日本が戦争に敗けたからといって、卑屈になる必要は少しもない。
俺は日出づる国の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ
と私に向かって言われたのです。
私はこれを聞いて、涙があふれ出るのを押さえきれませんでした。
・・・・・・
 
 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
 
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(産経フォトより)
 
 
 
日出づる国の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ
 
 
 
 
 

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