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新潟県の新発田市で
行政書士無料相談会を新発田市役所内で月に一度開きます。
市広報、ホームページ掲載予定は 5月6日 です。
初回相談日は5月20日(木曜日)です。
毎月第3木曜日の午後1時から午後4時まで相談を行います。
初回は相続、遺言、悪徳商法対策他 生活上のトラブルについてです。
(新潟県民の方ならどなたでもご相談いただけます)
安心してお気軽に相談にいらっしゃってください。
相談会にて対応、お答えできるのは
法律の規定により行政書士の業務に限らせていただきます。 他の士業の業務の場合は責任をもって他士業者をご紹介いたします。
事前予約も可能です。
場 所 市役所内一階相談室
連絡先 新発田市御幸町4丁目4番26
庭山行政書士事務所
無料相談会代表幹事 行政書士 庭 山 誠
電話番号 0254−24−9106
FAX番号 0254−24−9778
新発田市役所ホームページ
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親日感情が強いウズベキスタン。
それは我々日本人の先人たちの血と汗と、日本人としての誇りのおかげなのです。・・・・・
大東亜戦争の終戦時、
60万人以上の日本人がシベリアに抑留され強制労働に服しました。
そのうちウズベキスタンに強制移送された2万5千人の日本人のうち、約800人以上が帰国することが出来ずに異国の地で亡くなりました。
その多くは水力発電所や運河、道路などの建設にあたりました。
中山恭子元駐ウズベク大使は在任中に、
今も国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監督に会いました。
この人は、まじめに懸命に汗を流していた日本人抑留者たちの思い出を涙ながらに語ったといいます。
捕虜の境遇にあっても勤勉に働く日本人抑留者たちは当時の地元民に心から敬意を表されたという。
また、現地の人はボロボロになった日本兵に「絶対に帰れる」と励ましたといいます。
ある少年はソ連警備兵の目を盗んでこっそりと収容所の隙間から日本人捕虜の傷だらけの手に黒パンや果物を握らせたという。
彼ら少年も生きるのが大変な時期だったはずです。
しかし次の日にはそこに粗末な温かみのある日本兵の手造りのおもちゃが置いてあったという。
ウズベキスタン共和国の首都タシケントにある国立ナボイ劇場は、レンガ造りの三階建て観客席1400の建物で市の中心の代表建造物として今もその威容を誇っています。
これは約500人の日本人抑留者が2年がかりで建設した遺産です。
レンガ製造から館内の装飾、彫刻まで抑留者が行いました。
抑留兵士の中にいた建築技術者がこの国に地震が多い事を知り、丁寧に手を抜かずに造ったといいます。
66年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した際、この劇場はビクともせず、
「日本人の建物は堅固だ」
「日本人の建築技術は高い」という評価を得ました。
この劇場正面には
1945年から46年にかけて極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した
とウズベク語、日本語、英語で表記されています。
これはカリモフ大統領が
「決して日本人捕虜と表記するな。 日本とウズベキスタンは一度も戦争していない」
と厳命したといいます。
1991年に旧ソ連から独立して新国家建設を進めたウズベキスタンは、カリモフ大統領をはじめに
日本の明治維新や戦後復興をモデルとして「日本に見習え」を合言葉にしました。
2万人の抑留者のうち800人以上が現地で死亡し、そのまま土をかぶせられた土まんじゅうでした。
見捨てられたままのその土まんじゅうの墓は荒れ放題となっていました。
しかし元抑留者たちが中心となって募金活動を行いウズベキスタン政府の協力も得て、
その後、日本人墓地が整備されました。
日本からは「日本に帰ってもう一度、花見がしたかった」と言い残して亡くなった日本兵たちのために
サクラの苗木千三百本が送られました。
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