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みなさんこんにちは。
安倍晋三です。 私はかつて菅直人氏の事を、間抜けな議員と呼び物議を醸した事がありました。 北朝鮮のスパイ シンガンスの釈放嘆願書に署名した行為を非難してそう言ったのですが、当時官房副長官だった私は野党から暴言を撤回しろと要求されました。 記者会見で「撤回しないのですか?」と問われ、 「間抜けを辞書で引けば、抜かりがあるとあります。抜かりがなかったのですか?」と答えたら記者達もうなずき、騒ぎは収まりました。 今日、与党内の議論抜きに日韓併合100年についての総理談話が閣議決定されましたが、愚かで間抜けな人物が総理になってしまったと改めて思わざるをえません。 王朝資料等書籍の返還も行う様ですが、昭和40年の文化財文化協力協定で、最終的に決着した話です。 千数百冊になると政府側は考えているようですが、韓国では約四千冊の返還を要求している学者もおり、これで決着するわけではありません。これから様々な文化財に飛び火して行く事でしょう。 仙谷官房長官の歴史に対する無知と傲慢ぶりは目を覆うばかりです。国益を考えず、自分たちが『いいひと』と思われたいと暴走する官邸を阻止しなければなりません。 この談話で何も決着しません。 官房長官の軽率な発言もあり、むしろ様々な補償問題が提起される可能性があります。 それは日韓両国にとって不幸です。 HPはコチラ! ▼配信解除はこちら s-abe@r.s-abe.jp ◆「戦後レジームからの脱却」に次々と逆行する菅直人・仙谷由人らに対し、安倍さんがそれに厳然と対峙するメッセージを発してくださいました。 安倍さんの主張を全面的に支持します。 そして、菅氏が間抜けで愚かな人物であることと仙谷氏が無知で傲慢な人物だということの指摘を、このブログでも明確に踏襲します。 ◆幾度の談話や謝罪にも飽きたらず蹉跌を繰り返す左翼政治家に政権を任せていては、「戦後レジームからの脱却」も「美しい国づくり」も永遠に達成されず、謝罪と賠償ばかりのおよそ非現実的で創造性のない日韓外交が繰り返されることになります。 これはまさに「戦後レジームからの脱却」に対極する「戦後は終わらない泥沼」です。 菅談話の発表は頑迷固陋な停滞主義による所業にほかならず、菅・仙谷両氏は政権担当の資格も能力もない停滞論者でることは明らかです。 対して、安倍さんが具体的に「これから様々な文化財に飛び火する事」を指摘し「日韓両国にとって不幸」となることを危惧していることは、安倍さんが首相として現実的な日韓外交を主導したことを補完して証明し、保守派価値観外交の再現を強く期待させます。 ◆メルマガは約1ヶ月ぶりですが、今回も素敵な画像が添えられていました♪
安倍さんが菅氏は間抜けであることを指摘された件は知っていましたが、その結末は知らなかったので今回判ってよかったと思います。 正論かつ鋭い批判には、記者も納得するはずです。 |
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2010年08月11日
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私は昔、明治維新の新選組の本をいくつか読みました。その中で尊王思想というのがありますが、庶民は京都を除いては「天皇」の存在は薄いものと書かれていた記憶があります。 小林よしのり「天皇論 追撃篇」で作家の小谷野敦(こやの とん)氏が「江戸時代に天皇を知っていたのは公家・武士のほかは京都大阪の町人だけで日本人の2割程度に過ぎない」と主張していることに対し、「奥州のある村の百姓は後桃園天皇の崩御についてわずか10日ほどあとにはもう日記に書いていた」と庶民は天皇を知っていたと主張しています。 小谷野敦氏は皇室廃止論者なので、最初から結論ありきかな?と想像してしまいますが、小林よしのり氏は左翼出身者ですから割と客観性をもった目で見れているのではないかと思っています。 江戸時代には天皇・上皇や将軍・大御所が死去すると「鳴物停止令」「普請停止令」というのが出され、歌舞伎音曲や建築土木の大音響が一定期間(7−50日地域差あり)止められたようです。ですから、お触れがただちに全国津々浦々に届いています。もちろん琉球にも届いており、天皇崩御の際は日本全国で喪に服しました。そのほか暦は農村では一世帯に一部はあり、年号が書かれており、年号が変わると改元の触書がまわります。公儀(幕府)と京都(朝廷)とはっきり認識されています。 百姓一揆では天皇と百姓の関係が明らかに意識され、直接天皇に徳政や年貢減免を訴えた一揆も多く、文政4年(1821年)の一揆で逮捕された林八右衛門の「観農教訓録」に、 「然れば上御一人より下万人に至るまで人は人というに別はなかるべし」 と書いており、「天皇のもとの平等」を訴えています。 そもそも武士が搾取したとか、士農工商の厳しい身分制度があったというのは戦後に階級闘争になぞらえて日本の歴史を否定した嘘っぱちなわけで、武士と町人、百姓は激しい身分制度ではなく、百姓も武士になれたし、権力も分散されており、村人が選んだ名主という民主的な制度もあったのです。 百姓というのも戦後差別的用語のように言われていますが、こういうウソっぱちをある種のイデオロギーが吹き込んだわけで、百姓はたくさんの姓という意味であり天皇から姓を与えられた公民の総称なのです。天皇 − 公民の関係は武家社会になってもなんら変わることなく生き続けたのです。そしてそれは「一君万民」の思想として明治維新へとつながっています。 <嘉永6年(1853年)陸奥国の三閉伊一揆> 百姓どもカラカラと打ち笑い、 汝等百姓などと軽しめるは 心得違いなり、百姓の事を能く(よく)承れ、 士農工商天下の遊民 源平藤橘の四姓を離れず、 天下の庶民皆百姓なり、 其命を養う故に 農民ばかりを百姓というなり、 汝らも百姓に養るなり。 此道理も知らずして 百姓杯と罵るは不届者なり 天下の庶民みな百姓、おのれら武士の命をも養っているのだ、カラカラ。いやはや百姓強い強い。日本の2700年の歴史がはぐくんだ天皇の下の公民はみな平等。戦後の捏造歴史はふっ飛ばしましょう。 参考文献 SAPIO 2009/11/11「天皇論追撃編」小林よしのり 「天皇論」小林よしのり著 添付写真 平成21年12月23日の一般参賀(JJ太郎撮影)
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教育学博士の若狭和朋氏は高校時代、日本史の教師が江戸時代、武士が農民や町民から搾取したと教えられたそうです。 先生 「搾取により百姓は米は満足に食べれなかった・・・」 若狭氏「誰が食べたのですか?」 先生 「支配階級の武士や大名だ」 若狭氏「何パーセントぐらいいたのですか・・・武士たちは」 先生 「6%くらいかな・・・」 若狭氏「? 武士や大名の胃袋は大丈夫でしたか」 先生 「なにを?」 若狭氏「米は食べ物だから、酒や酢になる分を引いても、結局は食べるしかないでしょう」 先生 「理屈を言うな・・・」 私も子供のころ武士や大名など支配階級によって農民は苦しめられたというようなことを教えられました。ネットなどみていますと、「武士は農民を生かさず殺さず」というような話が載っていたのを見たことがあります。これは西洋の貴族の話で、武士も同じだと教えられたのでしょう。おそらくこの「ウソ」は戦後に作られたものだと思います。 歴史学者の磯田道史氏が加賀百万石の会計係という大藩のエリートの猪山家の36年間の家計簿を分析すると猪山家当主の直之の一年間のお小遣いがわずか、19匁、現在の価値に換算すると7万2千円であり、草履取りの家来の小遣いのほうが多かったそうです。武士の家の使用人である下男下女のほうがかえって豊かな商業や農家だったりしています。正月には武家の女性たちが下男下女を逆にもてなしたりしています。 この武士の姿は外国人も指摘して、財力も権力もひけらかすことのない日本の武士が農民や町人に敬意を払われていることに驚きを覚えています。 ユダヤ人で知日派のラビ・M・トケイヤー氏も著書で江戸時代の日本は支配者であった武士階級は町人と違って、質実剛健で、質素な生活を営んでおり、町人が贅沢をしていた、として中国大陸と対照的だったと述べています。 ちなみに江戸時代は「士農工商」という身分制度があったといわれていますが、これは支那の古い書物の呼び方で「武士」「町人」「百姓」の3つが正解のようです。職業による身分の区別であっても血統ではなく、きびしいものではありませんでした。武士から百姓になるものもいれば、百姓から武士になるものもいました。また、漁業や林業も百姓であり、百姓=農民ではない。町の鍛冶屋は町人ですが、村の鍛冶屋は百姓。(自由社「日本人の歴史教科書」より)百姓とはそもそもはたくさんの姓という意味であり天皇から姓を与えられた公民の総称です。 なんだか随分ウソ教えれれてきましたね。戦後の教育がある種のイデオロギーにまみれているということでしょう。 参考文献 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著 「国家への目覚め」櫻井よし子・田久保忠衛共著 「明治人の姿」櫻井よし子著 「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著 自由社「日本人の歴史教科書」 「天皇論」小林よしのり著
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