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菅首相と全閣僚が15日の靖国神社参拝を見送ったのは、中国や韓国などアジア諸国に配慮するとともに、自民党政権との違いをアピールする狙いもあるとみられる。 首相は就任直後の6月、参院本会議で「首相や閣僚の公式参拝は問題がある」と述べるなど、首相在任中は参拝を見送る意向を繰り返し表明してきた。(8月16日 読売新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100815-00000845-yom-pol
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/index.html
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政治に思うこと
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みなさんこんにちは。
安倍晋三です。 私はかつて菅直人氏の事を、間抜けな議員と呼び物議を醸した事がありました。 北朝鮮のスパイ シンガンスの釈放嘆願書に署名した行為を非難してそう言ったのですが、当時官房副長官だった私は野党から暴言を撤回しろと要求されました。 記者会見で「撤回しないのですか?」と問われ、 「間抜けを辞書で引けば、抜かりがあるとあります。抜かりがなかったのですか?」と答えたら記者達もうなずき、騒ぎは収まりました。 今日、与党内の議論抜きに日韓併合100年についての総理談話が閣議決定されましたが、愚かで間抜けな人物が総理になってしまったと改めて思わざるをえません。 王朝資料等書籍の返還も行う様ですが、昭和40年の文化財文化協力協定で、最終的に決着した話です。 千数百冊になると政府側は考えているようですが、韓国では約四千冊の返還を要求している学者もおり、これで決着するわけではありません。これから様々な文化財に飛び火して行く事でしょう。 仙谷官房長官の歴史に対する無知と傲慢ぶりは目を覆うばかりです。国益を考えず、自分たちが『いいひと』と思われたいと暴走する官邸を阻止しなければなりません。 この談話で何も決着しません。 官房長官の軽率な発言もあり、むしろ様々な補償問題が提起される可能性があります。 それは日韓両国にとって不幸です。 HPはコチラ! ▼配信解除はこちら s-abe@r.s-abe.jp ◆「戦後レジームからの脱却」に次々と逆行する菅直人・仙谷由人らに対し、安倍さんがそれに厳然と対峙するメッセージを発してくださいました。 安倍さんの主張を全面的に支持します。 そして、菅氏が間抜けで愚かな人物であることと仙谷氏が無知で傲慢な人物だということの指摘を、このブログでも明確に踏襲します。 ◆幾度の談話や謝罪にも飽きたらず蹉跌を繰り返す左翼政治家に政権を任せていては、「戦後レジームからの脱却」も「美しい国づくり」も永遠に達成されず、謝罪と賠償ばかりのおよそ非現実的で創造性のない日韓外交が繰り返されることになります。 これはまさに「戦後レジームからの脱却」に対極する「戦後は終わらない泥沼」です。 菅談話の発表は頑迷固陋な停滞主義による所業にほかならず、菅・仙谷両氏は政権担当の資格も能力もない停滞論者でることは明らかです。 対して、安倍さんが具体的に「これから様々な文化財に飛び火する事」を指摘し「日韓両国にとって不幸」となることを危惧していることは、安倍さんが首相として現実的な日韓外交を主導したことを補完して証明し、保守派価値観外交の再現を強く期待させます。 ◆メルマガは約1ヶ月ぶりですが、今回も素敵な画像が添えられていました♪
安倍さんが菅氏は間抜けであることを指摘された件は知っていましたが、その結末は知らなかったので今回判ってよかったと思います。 正論かつ鋭い批判には、記者も納得するはずです。 |
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私は昔、明治維新の新選組の本をいくつか読みました。その中で尊王思想というのがありますが、庶民は京都を除いては「天皇」の存在は薄いものと書かれていた記憶があります。 小林よしのり「天皇論 追撃篇」で作家の小谷野敦(こやの とん)氏が「江戸時代に天皇を知っていたのは公家・武士のほかは京都大阪の町人だけで日本人の2割程度に過ぎない」と主張していることに対し、「奥州のある村の百姓は後桃園天皇の崩御についてわずか10日ほどあとにはもう日記に書いていた」と庶民は天皇を知っていたと主張しています。 小谷野敦氏は皇室廃止論者なので、最初から結論ありきかな?と想像してしまいますが、小林よしのり氏は左翼出身者ですから割と客観性をもった目で見れているのではないかと思っています。 江戸時代には天皇・上皇や将軍・大御所が死去すると「鳴物停止令」「普請停止令」というのが出され、歌舞伎音曲や建築土木の大音響が一定期間(7−50日地域差あり)止められたようです。ですから、お触れがただちに全国津々浦々に届いています。もちろん琉球にも届いており、天皇崩御の際は日本全国で喪に服しました。そのほか暦は農村では一世帯に一部はあり、年号が書かれており、年号が変わると改元の触書がまわります。公儀(幕府)と京都(朝廷)とはっきり認識されています。 百姓一揆では天皇と百姓の関係が明らかに意識され、直接天皇に徳政や年貢減免を訴えた一揆も多く、文政4年(1821年)の一揆で逮捕された林八右衛門の「観農教訓録」に、 「然れば上御一人より下万人に至るまで人は人というに別はなかるべし」 と書いており、「天皇のもとの平等」を訴えています。 そもそも武士が搾取したとか、士農工商の厳しい身分制度があったというのは戦後に階級闘争になぞらえて日本の歴史を否定した嘘っぱちなわけで、武士と町人、百姓は激しい身分制度ではなく、百姓も武士になれたし、権力も分散されており、村人が選んだ名主という民主的な制度もあったのです。 百姓というのも戦後差別的用語のように言われていますが、こういうウソっぱちをある種のイデオロギーが吹き込んだわけで、百姓はたくさんの姓という意味であり天皇から姓を与えられた公民の総称なのです。天皇 − 公民の関係は武家社会になってもなんら変わることなく生き続けたのです。そしてそれは「一君万民」の思想として明治維新へとつながっています。 <嘉永6年(1853年)陸奥国の三閉伊一揆> 百姓どもカラカラと打ち笑い、 汝等百姓などと軽しめるは 心得違いなり、百姓の事を能く(よく)承れ、 士農工商天下の遊民 源平藤橘の四姓を離れず、 天下の庶民皆百姓なり、 其命を養う故に 農民ばかりを百姓というなり、 汝らも百姓に養るなり。 此道理も知らずして 百姓杯と罵るは不届者なり 天下の庶民みな百姓、おのれら武士の命をも養っているのだ、カラカラ。いやはや百姓強い強い。日本の2700年の歴史がはぐくんだ天皇の下の公民はみな平等。戦後の捏造歴史はふっ飛ばしましょう。 参考文献 SAPIO 2009/11/11「天皇論追撃編」小林よしのり 「天皇論」小林よしのり著 添付写真 平成21年12月23日の一般参賀(JJ太郎撮影)
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教育学博士の若狭和朋氏は高校時代、日本史の教師が江戸時代、武士が農民や町民から搾取したと教えられたそうです。 先生 「搾取により百姓は米は満足に食べれなかった・・・」 若狭氏「誰が食べたのですか?」 先生 「支配階級の武士や大名だ」 若狭氏「何パーセントぐらいいたのですか・・・武士たちは」 先生 「6%くらいかな・・・」 若狭氏「? 武士や大名の胃袋は大丈夫でしたか」 先生 「なにを?」 若狭氏「米は食べ物だから、酒や酢になる分を引いても、結局は食べるしかないでしょう」 先生 「理屈を言うな・・・」 私も子供のころ武士や大名など支配階級によって農民は苦しめられたというようなことを教えられました。ネットなどみていますと、「武士は農民を生かさず殺さず」というような話が載っていたのを見たことがあります。これは西洋の貴族の話で、武士も同じだと教えられたのでしょう。おそらくこの「ウソ」は戦後に作られたものだと思います。 歴史学者の磯田道史氏が加賀百万石の会計係という大藩のエリートの猪山家の36年間の家計簿を分析すると猪山家当主の直之の一年間のお小遣いがわずか、19匁、現在の価値に換算すると7万2千円であり、草履取りの家来の小遣いのほうが多かったそうです。武士の家の使用人である下男下女のほうがかえって豊かな商業や農家だったりしています。正月には武家の女性たちが下男下女を逆にもてなしたりしています。 この武士の姿は外国人も指摘して、財力も権力もひけらかすことのない日本の武士が農民や町人に敬意を払われていることに驚きを覚えています。 ユダヤ人で知日派のラビ・M・トケイヤー氏も著書で江戸時代の日本は支配者であった武士階級は町人と違って、質実剛健で、質素な生活を営んでおり、町人が贅沢をしていた、として中国大陸と対照的だったと述べています。 ちなみに江戸時代は「士農工商」という身分制度があったといわれていますが、これは支那の古い書物の呼び方で「武士」「町人」「百姓」の3つが正解のようです。職業による身分の区別であっても血統ではなく、きびしいものではありませんでした。武士から百姓になるものもいれば、百姓から武士になるものもいました。また、漁業や林業も百姓であり、百姓=農民ではない。町の鍛冶屋は町人ですが、村の鍛冶屋は百姓。(自由社「日本人の歴史教科書」より)百姓とはそもそもはたくさんの姓という意味であり天皇から姓を与えられた公民の総称です。 なんだか随分ウソ教えれれてきましたね。戦後の教育がある種のイデオロギーにまみれているということでしょう。 参考文献 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著 「国家への目覚め」櫻井よし子・田久保忠衛共著 「明治人の姿」櫻井よし子著 「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著 自由社「日本人の歴史教科書」 「天皇論」小林よしのり著
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冷静にかつ誠意を込めてお話する東條さん。
威圧的にまくし立てる台湾人という高金素梅。
感情が先に立って何を言っているのかよくわからなくなる韓国人。
民族性がよく出ております。
高金素梅は昨年(2009年8月11日)、50人で靖国神社に押しかけて暴れ、
神社職員数名に怪我をさせてニュースにもなったとんでもないヤツです。
高金素梅。
母親は台湾の原住民のタイヤル族、父親は戦後台湾にやってきた支那軍人で、
高金素梅は自分が原住民ということを隠して芸能界入りして歌手になったという。
しかし芸能活動よりも数々の不倫スキャンダルを巻き起こし、そちらの方で有名になります。
その後国会議員になりますが、相変わらず不倫スキャンダルばかりで、
「欲望に溺れる国会議員」とまで呼ばれました。
この高金素梅が動画でこう言いました。
「靖国神社が本当はどういうところなのか申し上げます。
神社の入り口に使ってあるこの木は台湾のアリ山から持ってきたものです。
すなわち日帝強占時期、台湾植民地の木を略奪したものでしょう」
阿里山にはタイワンヒノキが多く靖国神社の神門だけではなく、橿原神宮の神門や外拝殿、
東大寺大仏殿の垂木、さらには明治神宮の一代目の大鳥居にも使われていました。
また、阿里山は桜の名所でもあります。
日本の統治時代に日本から移植したものです。
高金素梅の理屈でいえば、この桜は日本から略奪したというところでしょうか。・・・
「私が教えてあげましょう。
1896年から1920年まで20余年の間に日本は台湾原住民を相手に138回の戦争を引き起こしました。
138回の戦争で7千余名を殺害しました。殺傷した数をすべて合わせると1万余名に達します。
当時、原住民の人口は8万名に過ぎませんでした。
こうして計算すると、原住民8名に1人をあなた方日本人が殺していたということです。
これが合法的な統治でしょうか」
1895年、日清戦争後の下関条約で日本は台湾を割譲することになり、それに抵抗すべく、
清国を宗主国とした台湾民生国を作り上げて日本の統治に抵抗しようとしました。
しかし初代総督 樺山資紀が台湾にやって来ると彼らは支那に逃げてしまいます。
逃げる前に原住民に「日本人は野蛮で残虐だ」と宣伝して逃げたため、
日本人は原住民のゲリラと風土病に苦しめられました。
そのため時の帝国議会はこの状況を見て台湾をフランスに1億円で売ろうとまで言わしめました。
また1910年から1915年には日本の統治を拒む原住民の徹底抗戦に遭いました。
勇敢で屈強な日本軍もさすがにお手上げほどの勇猛な原住民たち。
これが後の日本とともに大東亜戦争を戦う高砂義勇隊です。
人間わざとは思えない敏捷さ、獣のような視聴覚、さすがに日本軍も手を焼きます。
これを日台戦争と言っている人がいます。
産経新聞では、2009年4月5日に放送したNHKスペシャルシリーズ「JAPANデビュー」で
日台戦争という名前を使用したところ、番組に出演した台湾人が反発したと伝えました。
戦闘に参加した死者のほとんどは病死者であった事実を伝えていないこと、
国立国会図書館の論文検索で日台戦争という言葉は見つからず学説と呼べる代物ではないと指摘していました。
また「日本李登輝友の会」の関係者は平成に入って用いられた造語であり、
「一部の大学教授が使っているが原典は戦争の定義もしておらず、
治安回復のための掃討戦に過ぎない」と言っています。
これらの批判に対しNHKは1995年から用いている言葉であると説明しましたが、
番組に出演した台湾人、パイワン族や視聴者から集団訴訟を起こされたのは記憶に新しいところです。
・・・・・・
平成15年、台湾の国会議員の高金素梅と台湾人124人、そして日本人の合わせて236人が、
小泉首相の靖国参拝で苦痛を与えられたとして訴訟を起こしました。
しかし、この何人かの台湾人の住所は実際には存在しない架空のものでした。
さらに、台湾の多数の原告はこの訴訟のことを知らなかったといいます。
ある台湾人は日本政府から賠償を貰えるからと言われて名前を使わせたといいます。
つまり原告のほとんどの台湾人は靖国訴訟とは知らず、
高金素梅と中国統一連盟に騙されていたのです。
この訴状には
「原告らはかつて日本の植民地支配によって、さまざまな被害を被った者たち、その子孫である」
とありますが、彼ら原告は戦後に蒋介石とともに支那から台湾に逃げてきた者たちであり、
日本の統治には全く関係なかった人たちでした。
信じられないことですが、こういう事実であるのに日本の司法はこの訴訟を受理しました。
日本の裁判所というのは公正に事実関係を確認しないで、このような詐欺行為を受理するのです。
さて、この高金素梅は2003年6月の台湾の「新新聞」という週刊誌の記事にこう述べています。
「昨年、台湾を訪れた日本人に、日本に虐殺された原住民の子孫がなぜなぜ靖国神社に参拝するのかと聞かれてから関心を持ち始めた」と書かれていました。
高金素梅の靖国訴訟を支援した100人以上の日本人がいました。
彼らは中核派という過激派の極左であり、彼らが高金素梅に
「靖国合祀の遺族を韓国や沖縄から呼ぶので台湾からも呼んでほしい」と頼まれたとあります。
靖国神社のことも高砂義勇隊のことも知らなかった高金素梅が日本の極左と結託しました。
高金素梅は原住民が日本軍に虐殺されて恨んでいるように言っていますが、どうでしょう。
先ほど書きました通り原住民は戦うと強かった。
この屈強な原住民は高砂義勇隊と呼ばれ日本軍とひとつになって戦いました。
フィリピン、ニューギニアなどの密林戦で苦戦していた日本軍は彼らによって大いに助けられました。
人間離れした運動神経、軍規の厳しい日本軍にも勝るとも劣らない軍規の厳しさは正規軍をしのぐと言われ、日本人と同等に日本への愛国心がある彼らに多くの日本兵は戦友として信頼と友情と尊敬の念を持つに至りました。
彼ら高砂義勇隊は志願者でしたが、志願に選ばれなかった原住民は怒り、悔しがり、涙を流し、
血判書まで出して日本と共に戦いたいと願いました。
「兵隊になってこそ一人前の日本国民だ」
「戦に行けないようでは男じゃない」
彼ら義勇隊は日本国民としての義務と使命を果たし、
命を顧みずに立派に散って、靖国神社に祀られております。
彼らを「日本の植民地支配の被害者だ」と今の平和な時代の人間に言われたら、
「お前みたいな子孫のために命を捧げたわけではない」と言っているかもしれません・・・。
高金素梅はじめ台湾の戦後世代は国民党政権で日本人は侵略したとしか教わっていないといいます。
しかし戦争を体験した日本語世代の台湾人は東京裁判史観の洗礼も受けず、
戦後の外省人支配への反発から反日歴史ねつ造は通用しません。
そして、高金素梅の反日行動に憤る老世代が多いといいます。
特に元高砂義勇隊員の怒りは凄まじい。
「あんな若いやつに歴史がわかるか」と日本語で一蹴します。
「日本時代、台湾人は確かに差別は受けた。しかし従軍して白人の植民地だったマレー、ベトナム、ビルマの原住民の悲惨な状況を目の当たりにして、台湾人がいかに幸福であるかがよくわかった。
日本が戦わなかったら、今でもアジアは植民地だ。
私たちは日本に感謝しなければならないのに、靖国神社を訴えるとは許せない。
必要なら法廷に出て、本当の歴史を話しても構わないよ」
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