さむらい行政書士 庭山行政書士事務所

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政治に思うこと

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流されない

114日。
この日は皇居で「歌会始めの儀」がありました。
また、沖縄県石垣市では「尖閣諸島開拓の日を定める条例」制定を記念した式典がありました。
 
しかし、残念ながらこの日の話題は全て菅の改造内閣でした。
皇居歌会は毎年、新春恒例であります。
また尖閣条例は昨年あれほど騒ぎになり、
近いうちにチャイナに奪われるかもしれない大事な日本の領土です。
それをこのような日に、変わり映えもしない内閣改造なんかやられると本当に迷惑です。
こんな奴らのやること、解散するまで何も報道すべきではない、と言いたいが、
彼らは人目がないと売国行動にいそしんでしまうような連中ですから、
気をつけたい。
 
特に、与謝野馨。
当然、民主党議員たちは、こんなよそ者にいきなり大臣を取られるなど面白くないだろうし、
横取りされた彼らも面目がない。
しかし、全てが自分たちがまいた種であり、またも民主党の情けなさが露呈した。
 
それにしても、与謝野は自民党の比例で国会議員になれた人間です。
にもかかわらず今回の行動は誠に国民を舐めた行動です。
こういう裏切り者は歴史を見ても成功した奴はいない。
本来、比例で当選した議員は任期中はその政党は辞めれないようにすべきではないか。
と、つい、さくらの花びら節が出てしまう。  
 
さて、菅内閣はTPPを推進するようです。
「本年を『平成の開国元年』と捉え、
貿易自由化や農業再生などにより日本人全体が世界に向かって活躍することを目指す」そうだ。
 
しかし、TPPなど突然降ってわいたような話、
日本にとって良いのか悪いのか、わからない人が多いのではないか。
肝心の政治家ですらどれほど本質を理解しているのでしょう。
 
マスコミの報道はもっぱら推進する傾向にあり、
それこそ乗り遅れるなと言わんばかりです。
 
ここで賢い国民は、マスコミに煽られず、流されず、自分で考えるものだ。
「マスコミが何と言おうが、自分の考えを持つこと」
これが今の日本人に一番大切なことなのです。
 
賛成もよし。
反対もよし。
とにかく周りに流されず自分で考えてみる。
 
民主党の政権交代で多くの国民は裏切られたという思いでしょう。
しかし、民主党の本質をよく見ずに、マスコミに煽られ、流されたのも否めません。
自分の考えをしっかり持つことです。
 
TPP
TPPに参加しなければ景気に悪影響を及ぼすという。
しかし、参加して景気がよくなる補償などどこにもない。
まして米国がこれを進んでやりたがるということは米国の国益があるからでしょう。
日本には時間をかけさせず進めようという魂胆もみえみえです。
米国の国益が日本の国益になるわけでもない。
日本としては時間をかけて検討していけばよい。
訳のわからないものは乗り遅れるならば乗り遅れてもよいではないか。
 
またTPPで「日米の安全保障も円滑にする」、「日米同盟のため」、というような議論もあります。
TPPで国が守れると思っているのですか?
同盟だからといって何でも従えばいいのですか?
安全保障や同盟とPTTは目的が違います。
同じように扱うこと自体おかしい話です。
 
下にブログ友のhanako様に教えて頂いたよい動画があります。
TPPを判断する材料になるおすすめの動画です。
こういう動画もひとつの参考にして、自分の考えで判断してみてはいかがでしょうか。
 
 
 
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

先日「螢の光」の三番四番の詞を転載により、ご紹介させていただきましたが、
「年の始めの 例(ためし)とて」の歌も二番が有りました。
しかし、今はほとんど歌われておりません。
残念ですね。
復活していただきたい詞です。
 
 年の始めの 例(ためし)とて
終(おわり)なき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門ごとに
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ
 
初日のひかり さしいでて
四方(よも)に輝く 今朝のそら
君がみかげに比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ 
 
新発田城址公園の雑煮合戦です。
当日1月9日(日)はすごい雪の日でしたが、17,000人が来場したそうです。
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つつがなく

今年も終わろうとしていますが、
今年は日本の領土に関する事件が大きく取り上げられました。
特に沖縄の尖閣を自国領と主張するチャイナの船が海保に衝突してきたこと、
ロシアの大統領で初めて北方領土の国後島に足を踏み入れたことです。・・・
 
筑紫の極み 陸奥(みちのおく) 海山遠く 隔つとも その真心は 隔てなく ひとつに尽くせ 国のため
 
千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 護りなり 至らん国に 勇(いさお)しく 努めよ我が背 つつがなく
 
これは何かわかりにくいかもしれませんが、
「蛍の光」の歌詞の3番と4番です。
 
毎年、年末のNHK紅白で、番組の最後に合唱するのが「蛍の光」です。
歌うのは1番だけです。
3番や4番を歌うことはないでしょう。
しかし、この歌は4番まで歌ってこそ意味があるのです。
 
多くの日本人は蛍の光が4番まで歌詞があるのを知りません。
これは学校で教えなくなったからです。
 
「九州にも東北にも、たとえ海や山で遠く隔てられても、
国を守るために全力を尽くして下さい、お国のために」
 
「千島も沖縄も日本の領土です、我が領土を守るために
兵隊さんたちは勇敢に任務を果たしてきて下さい。そして、どうぞご無事で」
 
「蛍の光」にはそういう願いが込められています。
 
「蛍の光」は元々、国の守りのために、
日本の最先端の守りに就く兵士たちを見送るための歌だったのです。
 
これが戦後、軍国主義の歌として忌み嫌われた揚句、
肝心な部分の歌詞を消されて、卒業式やパチンコ店の閉店間近の音楽にされたのは、
戦後の日本の姿を象徴しているといえるでしょう。
 
4番には「千島」と「沖縄」がありますが、
これは昔から千島も沖縄も日本の領土だった証です。
しかも、歌詞はその時代によって変わってきました。
日清戦争後の歌詞は沖縄が台湾になったり、
日露戦争後は樺太も歌詞になりました。
 
しかし、明治維新以来の日本の先人達の血と汗の結晶である台湾、千島、樺太は
ソ連やチャイナに火事場泥棒のようにされました。
 
戦後、この歌詞を歌わなくなったひとつには千島がソ連に奪われ、
沖縄が琉球政府となってアメリカの施政権下にあったためとも言われています。
 
祖先が命をかけて守り抜いてきたものを、
時の政権の愚かさのために、卑怯な国たちに我が日本が舐められていることが、
何とも悔しいではないか。
 
年の暮には、ぜひ一度、4番まで歌ってみてほしい。
4番まで歌ってこそ、この歌の思いを感じることが出来ます。
我々の先人たちは何に思いをはせて、この歌ってきたのかをかみしめながら。
 
「蛍の光」を堂々と4番まで歌える日本にしなければいけません。
 
・・・・・・・・・・・・・・
 
 
蛍の光 窓の雪
ふみ読む月日 重ねつつ
いつしか年も 杉の戸を
あけてぞ今朝は 別れ行く
 
止まるも行くも 限りとて
互(かたみ)に思う ちよろづの
心のはしを 一言に
幸(さき)くと許(ばか)り 歌うなり
 
筑紫のきわみ 陸奥(みちのおく)
海山とおく へだつとも
その真心は 隔てなく
ひとつに尽くせ 国のため
 
千島の奥も 沖縄も
八州(やしま)のうちの 守りなり
いたらん国に いさおしく
つとめよわがせ つつがなく
 
 
 
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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良識ある日本国民の皆様には、お健やかに新春をお迎えのことと存じます。

皇紀二六七一年の新春を奉祝いたし、貴方様には謹んで新年のお慶びを申し上げます。

昨年は格別の御厚情を賜りまして、ここに厚く御礼を申し上げ、今年も何卒ご指導、ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

本年が貴方様にとって、日本国にとって、幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

皇紀二六七一年 平成23年 元旦  近野滋之

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_34045125_2?20110101122916

私は新年最初の記事くらいは「反日勢力叩き」ではないようにと考えていましたが、本ブログ昨年12月28日の記事「真の日台友好には台湾の馬英九総統を落馬させて中共の侵略阻止で手を組むべきだ、台湾は尖閣諸島の領有権主張や反日勢力が捏造した従軍慰安婦での日本への挑発をやめろ」について、ご来訪下さった若い方々より「台湾での日本軍はどうだったの?」などのコメントやメッセージを頂戴しましたので、本日は「台湾統治時代の日本兵」を簡単で申し訳御座いませんがご紹介させて頂きます。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_34045125_3?20110101122916

助けてくれた日本人の将校さん

昭和20年の春、台湾南部を走る満員の汽車のステップに立ち、振り落とされまいと必死に鉄棒に掴まっている12、3歳の少女がいた。名は楊素秋(日本名:弘山貴美子)さん。台南第一高等女学校(4年生の旧制中学)を受験するための参考書などを詰めたリュックを背負い、3日分の米と野菜を入れた布袋2つが両腕に痛いほど食い込んでくる。隣に立っていた20歳ぐらいの日本人の将校さんが心配そうに「大丈夫ですか」と聞くが、もう返事をする気力も残っていなかった。

将校さんが「その荷物を捨てなさい。早く捨てなさい」と言った。ちょうど汽車は鉄橋にさしかかった所だった。鉄棒から片方の手を離して荷物を捨てた時、ゴーと鉄橋に渦巻く列車の轟音にハッとした楊さんは、左足をステップから外してしまった。「助けて」と叫ぼうとしたが、目の前が真っ暗になって、意識を失ってしまった。

遠くで聞こえていた大勢のざわめきが、段々と近くなってきた。誰かが頬を叩いている。「気の毒にね。いたいけな子供が。顔が真っ青だよ。」「いやぁ、その軍人さんがいなかったら、この子は川の中だったな。」

気がついたら、楊さんは知らないおばさんの膝の上に抱かれていた。おばさんはニコニコしながら「ああ、よかった。息を吹き返さなかったら、どうしようかと心配していたのよ」と、楊さんのおかっぱ頭を撫でた。台南駅につくと、おばさんは楊さんを抱いて窓から外に出してくれた。窓の外には、あの将校さんが待ち構えていて、楊さんを抱き降ろした。

汽車のステップの上に立ち、自分の荷物を抱えて立っているだけでも大変なのに、その将校さんは気を失って転落しかけた楊さんをとっさに掴み、引っ張り上げてくれたのだった。下手をすれば自分も一緒に落ちてしまうかもしれないのに。

「あのう、、、お名前を教えていただけますか?」と楊さんが聞くと、将校さんはプッと吹き出し、「ハハハ、子供のくせに。いいから気をつけて帰るんだよ」と将校さんは手を振って、汽車に乗り込んだ。爽やかな笑顔だった。汽車が遠くかすんで見えなくなるまで、楊さんはそこに立ちすくんでいた。将校さんへの感謝を繰り返し、武運長久を祈りながら。

楊さんは、その後、名前だけでも聞いておけばよかった、と50年以上も悔やむことになる。生きている間にもう一度お会いして、お礼を言いたい、、、そんな思いを抱きつつ、楊さんは戦後、成人してから小児麻痺の子供10人と健常者の子供20人を預かって育てあげた。

あの将校さんは自分の命を助けてくれただけでなく、他の人に尽くす力も与えてくれたのだった。

自分の国の兵隊さんは、こんなに素晴らしい

台南には日本陸軍の第2歩兵連隊が駐留しており、年に何回かある記念日には閲兵式があった。その行進の歩調は、イチニ、イチニとピッタリ揃っていて、沿道を埋め尽くした人々が、みな固唾を呑んで見とれていた。

ある日、演習があって、楊さんの家の前の木陰で休んでいた兵隊さんが立ち上がろうとした拍子に銃を落としてしまった。上官がそれを見て、兵隊さんに鼻血が出るまでビンタを張った。ぶたれながらも兵隊さんは気を付けをしたまま、敬礼して「ありがとうございました」と言うだけだった。その敬礼は崩れず、実に格好良かった。

その様子を息をこらして見ていた楊さんは、子供心にも軍の厳しさを感じ取った。兵隊さんでだらしのない人は一人も見たことがなかった。自分の国の兵隊さんは、こんなに素晴らしいのだと、楊さんたちは誇りにしていた。

昭和18年、楊さんが5年生の時には、台南市でも米軍の爆撃が激しくなり、一家で祖母のいる大社村という田舎に疎開した。そこにも日本の若い兵隊さんたちがおり、日本語の話せる楊さん一家に、自然に遊びに来るようになった。

楊さんの母親は兵隊さんたちを自分の子供のように可愛がって、おやつやご飯をたくさん作って、たらふく食べさせた。満腹になって帰って行く兵隊さんたちには「明日もおいで」と声をかけた。

兵隊さんたちは、お礼代わりに、水汲みを手伝ってくれたり、また支給品の三角巾や薬を使わずに持ってきてくれた。中には自分が使っていた立派な万年筆を楊さんの父親にあげようとして断られると、「お願いですから使って下さい」と半ば強引に置いていった兵隊さんもいた。

兵隊さんたちはお互いの間では「おい、こら」などと言っているのに、楊さんに向かうと「喜美ちゃーん」とニコニコしていた。子供にはとても優しかったのだ。

軍隊では時々映画を見せてくれるので、そういう時は「喜美ちゃーん、映画に行かんか」と誘ってくれる。楊さんは「はーい」と言って元気に家を飛び出す。5年生で小さな楊さんは周りが皆兵隊さんばかりで画面が見えないので、いつも肩車してもらうのだった。
(国際派日本人養成講座)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog361.html



私は相変わらずの体調不良により一昨年末より不定期での記事更新中で、本年は一つでも多くの記事更新をと考えておりますので、私のような未熟者の拙いブログで恐縮ですが、貴方様には今後もご来訪を頂いての御教授など宜しくお願い致します。

良識ある日本国民の皆様、本年も美しき祖国日本についてご考慮下さい。

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転載元転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

神兵、東方より来る

待ちに待った日本軍がやってきた。
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  昭和16年(1941年)12月8日から始まったマレー攻略戦は鯉兵団が主力となります。鯉兵団は大日本帝国陸軍の広島を衛戍(えいじゅ)とする師団です。「日本一の機甲兵団」とも言われ、マレーでは自転車を連ねて走り「銀輪部隊」とも言われました。このほか18師団、近衛師団が参加しています。日本軍の進撃を見たマレー人にはマレーに伝わる伝説を思い起こさせました。

  ジョヨボヨの神話 
「マレー人を苦しめる白い悪魔を、東から来た黄色い軍神が打ち破り、ジャゴンの花が咲くまでの短い期間だけこの地にとどまり、やがて東へ引き揚げるが、そのあとに平和なマレー人の国が建設される」

  もうひとつ神話があります。
「マレーの神は、二人の兄弟を生みたもうた。兄は暴れん坊で弟は大人しかった。兄は国を捨てて海原遠く乗り出し、いまではますます強く、性格は激しさを加えている。弟はいよいよ大人しく、やがてその国は他人から奪われる。そして、弟はますますおとなしさを加えた。弟がほんとうに困ってしまえば、いつかは強い兄が助けに来てくれると弟は思っているのだ。その弟がマレー人なのだ」

  マレー人は東方から神兵、もしくは兄がやってきたと歓喜し、日本軍の戦車が来るとバナナやパイナップルやパパイヤ、ドリアンなどを投げて込んで歓声をあげました。

  タイ・マラヤの国境から約30キロの地点、ジットラに「ジットラ・ライン」がありました。英軍は日本軍の進撃を3ヶ月は食い止めると豪語していました。日本軍は豪雨を突いて佐伯中佐率いる捜索第五連隊(軽戦車部隊)が敵陣へ突入します。敵陣中なので孤軍奮闘し、翌日になっても友軍がやってこないので、戦車隊は全員死を覚悟しました。その晩、河村旅団が夜襲を敢行し、敵が退却。戦車隊は生き残りました。ジットラインはわずか2日の攻撃で突破しました。

  藤原少佐(F機関長)
「武運があった、神助があった。民衆が我々の絶対の味方だった。天、地、人、みな味方だった」

  そして日本軍はアロールスターを占領。ペナン島を無血占領します。英軍は橋を落としてたくみに退却し、時間稼ぎをしていましたが、スリムの戦闘では島田戦車隊が破天荒な戦車隊による夜襲作戦を敢行し、わずか12両の戦車で敵中深く突破し、救援に駆けつける敵部隊を次々撃破し、さらに敵中進入し、敵陣後方の野営地から砲兵部隊、司令部まで撃破しました。敵衛生隊にまで遭遇しています。このため軍司令部では島田戦車隊は全滅したと勘違いしたほどでした。英軍の陸軍史には「戦史上、最大の敗北」と記載されているそうです。
  さらに日本軍は休む間もなくクアラルンプールを占領し、ゲマスで勇猛なオーストラリア部隊と戦い突破し、1月31日にはマレー半島南端のジョホールバルへ突入しました。わずか55日の快進撃です。そしてシンガポール攻略戦となり2月15日に英軍が降伏します。

  後にシンガポールの首相となったリー・クワンユーは戦後、自衛隊の陸将となった元F機関長、藤原岩市氏に次のように訊ねています。
「英、豪、印連合軍は非常に多く、兵器は近代的であったのに、地下足袋を履いて、宮田自転車に乗った貧弱な日本兵に完敗した。日本軍の銃と砲は骨董品のような明治38年式なのに、なぜ勝てたのか」

  藤原岩市氏はこう答えました。
「絶対多数のマレー人と、インド人と、タイ人が全部我々の味方でした。反対に民衆を敵に回したイギリス軍と華僑の連合軍は少数派だから完敗したのです」



参考文献
  「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター編
  「日本人よありがとう」土生良樹著
  「サムライ戦車隊長」島田豊作著
参考サイト
  WikiPedia「第5師団 (日本軍)」

添付画像
  マレー作戦で使用された自転車(PD)

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RisingSun また日は昇る 〜緒戦の快進撃〜
http://www.youtube.com/watch?v=p3uDIKUKouk





転載元転載元: かつて日本は美しかった


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