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政治に思うこと

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前回の記事では「日本の不毛が続く」と書きました。
日本はこのまま衰退の一途をたどっていくのでしょうか。
 
がんじがらめの日本はいっそうのこと壊滅的な崩壊が起こった方が、
よい再生が出来るのではないかと考えてしまいます。
 
その時こそ「五箇条の御誓文」が必要ではないかと思います。
これは、かつて明治天皇が率先して天地神明に誓ったものですが、
今や多くの国民に顧みられることもなくなったものです。
これを知らないのは日本国民としてもったいないことであります。
学校でも触れるのは明治初年の「五箇条の御誓文」発布のことだけでしょう。
しかし、これは昭和天皇も顧みられました。・・・
 
 
もともと「五箇条の御誓文」は官僚の作ったものではなく、
この御誓文の発布前に明治天皇が直筆で書き上げた、
次のような御宸翰(ごしんかん)という文が元になっています。
 
「天皇である自分が宮殿で安逸に過ごし、国家百年の憂いを忘れるならば、
我が国は外国の侮りを受け、歴代天皇の事績を汚し、国民を困苦に陥らせることになってしまう。
今回の御一新にあたり、国民の中で一人でもその所を得ない者がいれば、
それはすべて私の責任である。
今日からは自らが身を挺し、心志を苦しめ,困難の真っ先に立ち、
歴代の天皇の事績を踏まえて治績に勤める。
そうしてこそ、はじめて天職を奉じて億兆の君である地位にそむかないものとなる。
自分はそのように行う」
 
明治天皇はこのように、国家の元首として、最高指導者として、自らを律し、自ら率先して、
国家の独立と発展、国民生活のために尽力されました。
 
こういうことを現在、政権をとっている政治家たちには学んでほしい。
 
 
「五箇条の御誓文」はかつて昭和天皇が自ら敗戦後の国民に広く紹介されています。
昭和2111日の「新日本建設の詔書」です。
 
これは「天皇の人間宣言」と言った方がわかりやすいかもしれません。
学校ではそう教えられていますし、当時のGHQの思惑もあったでしょう。
しかし、この詔書は天皇が人間だと言っているものではありません。
人間宣言というのは大間違いです。
これは陛下の信頼する国民が、陛下とその心をひとつにして、
国民が助け合い、我が国の伝統の真価を発揮し、大業を成就せんことを願うものです。
 
そして、この冒頭に「五箇条の御誓文」が添えられています。
これは昭和天皇が「五箇条の御誓文」を挿入するように指示したからです。
にもかかわらず、その後の政府案ではこの「五箇条の御誓文」の部分が削られていました。
それを見た陛下は「五箇条の御誓文」を必ず入れるように強く言われました。
 
昭和天皇は明治の精神を示す「五箇条の御誓文」を、
戦後の今こそ日本人は学びなおして、日本の再建に邁進しようとされたのです。
 
昭和50年9月22日、昭和陛下は外国人記者団に対し、
「五箇条の御誓文こそ、日本の民主主義の基盤であったと信じています」
とおっしゃられたことを思い浮かべます。・・・
 
 
日本という国は古来、危機が訪れると必ず天皇が率先して国の再興にとりかかってきました。
大化の改新しかり、建武の中興しかり、明治維新も終戦前後の日本も。
日本という国は天皇陛下がいたからこそ成り立っている国です。
政治がいよいよダメになり、日本が崩壊しそうな時にこそ、
天皇陛下を中心とした国として再建し、そして発展していくべきではないでしょうか。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
昭和天皇の「新日本建設の詔書」(現代語訳)
 
ここに新年を迎える。振り返れば明治天皇は明治のはじめにあたって、
国の基本方針として「五箇条の御誓文」を、おさずけくださった。それは、
 
一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。
一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
一、役人・軍人から庶民にいたるまで、誰もがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。
一、過去の誤った風習や弊害をやめ、何ごとも天地の道理にのっとるべし。
一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして国家を発展させるべし。
 
明治天皇の叡智にあふれた御旨は、この五箇条の御誓文にすべて集約されており、
この上、付け加えるべきものはなにもない。
余はここに、改めて五箇条の御誓文をもって、国の運気を開きたい。
すべてはこの御誓文の御趣旨にのっとって、旧来の弊害を去り、国民の意欲を高め、
官民協力して平和主義に徹し、教養も豊かな文化を築き、
国民生活の向上をはかり新しい日本を建設すべし。
 
我が国の大小を問わない都市がこうむった戦争の災禍、罹災民の苦難、産業の停止と頓挫、
食糧の不足、失業者の増加などのあり様は、まことに余の心を痛ませるものがある。
しかし、その一方、我が国民が現在の試練に直面しながらも、徹頭徹尾、
平和な文明を求める決意を固くし、国民どうしの結束をまっとうすれば、
我が国のみならず、全人類のためにも、輝かしい前途が開けることを疑わない。
 
我が国民においては家庭と国家を愛する心が、ことに熱烈である。
今まさに、その精神を拡大充実させ、人類愛の完成に向けて、献身的な努力をすべき時である。
 
余が思うに、これまで長きにわたった戦争に敗れた結果、
我が国民はややもすれば絶望感にかられ、失意の底に沈んでしまう傾向がある。
言動がしばらく過激に流れるようになり、道義に従う心も著しく衰え、
そのために思想の混乱の兆候が見られるのには、誠に深い憂慮の念を覚えずにはいられない。
 
しかし、余は国民とともにある。
常に利害を同じくし、喜びも悲しみも分かち合いたい。
余と国民との間の絆は、いつも相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、
単なる神話と伝説を根拠に生まれたものではない。
天皇をもって現人神とし、また日本国民が他民族より優れており、
そのゆえに世界を支配すべき使命を持つといった架空の観念によって生まれた絆でもない。
 
我が国の政府は、国民の試練と苦難とをやわらげるため、
あらゆる政策と国家経営に万全の手段を講ずるべきである。
同時に余は、現在の苦難にあたってわが国民が奮起し、当面の困窮を克服するため、
また産業と文化の振興のため、勇気をもって進むことを心より願う。
 
我が国民が、その実生活において団結し、互いによりそい助けあい、
寛容をもって相手を許すという気風を高めるならば、我が国の至高の伝統に恥じることのない、
日本民族の真価を発揮するに至るだろう。
このように考えるのは、実に我が国民が、人類の福祉と向上のため、
絶大なる貢献を爲すであろうことを疑わないからである。
 
一年の計は年頭にある。
余は、余の信頼する国民が、余と心をひとつにして、みずから奮い、みずから励まし、
もって以上の大業を成就することを、心より願うものである。
 
御名 御璽
昭和二十一年一月一日
 
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

占守島の戦い

もし、占守島の日本軍の奮戦がなければ北海道はどうなっていたか・・・
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  昭和20年8月17日、千島列島最北端の島、占守島(しゅむしゅとう)にソ連軍が上陸しました。もう戦争は終わっているはずです。「本日未明、敵は竹田浜一帯に上陸開始、目下激戦中、国籍不明・・・」報告を受けた堤師団長は「よし、すぐさま戦車隊に歩兵、工兵をつけて先遣隊として出動、杉野旅団長には、村上警備隊を助けて、敵を海に叩き落せと伝えろ。砂糖旅団はただちに占守島に移動して全軍挙げて殲滅せよ」と指示がでます。北海道の方面司令官・樋口中将からもしばらくして「断固反撃に転じ上陸軍を粉砕せよ」と命令が出ます。

  樋口中将の回想
「18日は戦闘行動停止の最終日であり、戦争と平和の交代の日であるべきであった。(略)然るに何事ぞ。18日未明、強盗が裏木戸を破って侵入すると同様の、武力的奇襲行動を開始したのであった。斯かる(かかる)不法行動は許されるべきではない。若し、それを許せば到る所でこの様な不法かつ無知な敵の行動が発生し、平和的終戦はあり得ないであろう」
  樋口中将はここで食い止めなければソ連軍が怒涛のように北海道まで押し寄せてくるという危機感を持っていたでしょう。

  占守島に上陸したソ連軍は艦砲射撃を加え、カムチャッカ半島のロパトカ岬(わずか十数キロ先)からの支援砲撃を開始します。日本軍もロパトカ岬へ向けて反撃し、粉砕します。上陸用舟艇十数隻撃沈撃破。航空隊も出撃させます。

  占守島には戦車第11連隊(中戦車39両、軽戦車25両)、通称、池田戦車隊がいました。即、出発するわけにはいきません。何しろ戦争は終わったと思っていたので戦車の整備はしていないし、燃料は地中に埋めてしまっており、機関銃や無線機も取り外してしまっています。それらを元に戻してからの出発で2時間はかかりました。そうしている間にも島北東の四嶺山は危険にさらされていきます。池田戦車隊の将校車は歩兵と工兵の到着を待たずに進撃を開始しました。四嶺山に到着した池田戦車隊は敵中へ突入し、敵を竹田浜方面へ追い払いました。

  17日深夜から始まった戦闘も20日には柳岡参謀長が軍師としてソ連側グニチェコ少将と交渉にあたりますが、武装解除手順について齟齬があり、ソ連側は部隊を展開させ攻撃準備を完了したという観測が出て、日本側は再び攻撃再開を計画します。これにあわてた方面司令官の樋口中将は停戦と武器引渡しを師団に指示し、総攻撃は中止となりました。

  この戦闘で日本側の死傷者は600〜1000名、ソ連側の死傷者は1,500〜4,000名と言われています。ソ連側は随分幅がありますが、ソ連政府機関紙イズベスチヤが「8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である」と述べたところから、ソ連側の被害が大きかったことが伺われます。

  8月23日、停戦協定調印のため堤師団長は柏原港に現れたソ連軍艦に赴きました。そこでソ連軍グネチコ司令官は「我々は占守島を一日で占領するつもりであった」と地図を指しつつ胸を張ってみせたといいます。そこで堤師団長は「そちらがその気とわかっていたら、わが日本軍は君たちを海へ叩き込んで殲滅したであろう」と応酬しました。

  この後、ソ連軍は9月2日まで次々と千島列島を占領していきますが、もし、占守の日本軍の奮戦がなかったら、どうなっていたか・・・占守の日本兵は「ダモイ・トウキョウ(東京へ帰る)」と言われ船に乗り、着いた場所はマイナス20度のナホトカでした。


参考文献
  「指揮官の決断」早坂隆著
  「8月17日、ソ連軍上陸す」大野芳著

添付画像
  占守島の国端崎灯台 国書刊行会「懐かしの千島」より(PD)

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もう一つの硫黄島戦 「占守島の戦い」
http://www.youtube.com/watch?v=dDBF72MbkXU




転載元転載元: 偏った歴史観を見直す「かつて日本は美しかった」

日本の統治時代

台湾ではかつて日本が統治した時代に日本語を学んで話していた世代を日本語世代と呼びます。
彼らは親日的で、日本の精神や大和魂、そして教育勅語を学んだ世代です。
 
日本統治時代といえば韓国にも日本統治時代があり、当然日本語世代がいます。
彼らは台湾と同じように日本の精神を学んでいました。
韓国というと日帝の皇民化政策で植民地にされたと言い続け、やれ従軍慰安婦だ、
強制連行だ、独島は昔から韓国の領土だ、と騒ぎたてる民族という印象が強いものです。
 
しかも、韓国人は「李氏朝鮮の時代は立派な社会であり静かで平和な国家であった。
朝鮮王朝が続いていたら今頃もっとよい国となっていた」と教えられます。
こんな教育をされているから韓国人は本当の歴史を知らないのです。
 
実際の朝鮮というのは奴隷社会であり人口の約30%は奴婢でした。
奴隷はモノのように売買され、死ぬまで主人に奉仕しなければならなかったのです。
はたして人口の30%も奴隷にされる国が立派な社会で静かで平和な国家だったのでしょうか。
つまり誰、どの階級の人たちにとって、朝鮮はよい国だったのでしょうか、わかろうというものです。
 
ネットには配信されませんでしたが、824日の産経新聞の紙面で気になる記事がありました。
 
ソウル市内にある日本大使館広報文化院。
1階の日本書籍を集めた図書室には高齢の韓国人たちの姿が目立つ。
少年の頃に学校で学んだ国語は朝鮮語ではなく日本語だった日本による統治世代の人たちだ。
中学3年まで学校では日本語しか使えなかったという男性(81)は
「今も歴史の本や小説などは日本語で読んだ方が楽だ」と話す。
 
ソウル市内の老舗のレストランでは毎月1回「日本文化研究会」が開かれている。
研究会は1990年に韓国の知識人らが中心となって発足。
会員は当初50人ほどいたが高齢化などで徐々に減り、現在は15人程度。
研究会では日本語が使われている。
113回目のこの日の参加者は5人。全員、80歳以上の男性だった。
朝鮮人を日本人化するための教育や創氏改名といった皇民化政策がとられていた時代に、
少年期を過ごした人たちだ。
 
参加者の姜元熙さん(80)は
「日本には本当に親しみを感じている。日本には悪いところもあるが、立派なところも多い。
日本人はいいが、国家が悪い」
と話し始めた。
1930年前後に生まれた世代はみな日本に洗脳され、
日本人になれたらいいなあと思うぐらい徹底した教育を受けた」
 
別の参加者(81)はこう振り返る。
「当時、周りには日本人がほとんどいなかったから、日本に対する嫌な記憶はない。
逆に植民地時代の方が暮らしはよかった。
江原道の大地主だったので土地をいっぱい持っていたが、
解放後の農地改革でほとんど失ってしまった」
 
統治時代に唱えられた「内鮮一体」を象徴する日本人女性がいる。
旧皇族、梨本宮家から李王家の皇太子、英親王のもとに嫁いだ故・李方子(まさこ)さん。
60歳を超えてから韓国に渡り、韓国の慈善活動や日韓親善に尽力した。
89年に87歳で死去。20年以上が経過し、今や韓国人の記憶から消えつつあることを憂い、
顕彰を訴え続ける韓国人女性がいる。
方子さんをそばで支えてきた通訳の金寿姙さん(89)。
 
今も方子さんが眠る李王家の墓へのお参りを欠かさない。回数は500回ほどにも及ぶ。
金さんは反日感情が強かった開城(現・北朝鮮)出身。
実家は小作人を使う大地主で、父親は親日家だった。
「家では日本式のしつけを受けて育った。礼儀の正しさや正直であること、
人に迷惑をかけないことを教えられた」
統治時代について、金さんは、
「日本人から被害を受けたことがないから、日本に対する恨みはない。
統治されたのは自分たちの力不足のせい。民族として弱かったから支配された」
 
統治時代に直接、さまざまなことを体験した80歳以上の韓国人は100万人を切り、約95万人。
全人口の2%にも満たない。年々その数は減り、統治時代の記憶は薄れつつある。
 
 
今、韓国では日韓併合が無効であると言う人たちがいます。
それに同調するような日本の首相の談話は本当に情けない談話です。
首相たるもの日本の「国益」をまずもって考慮すべきであるにもかかわらず、
このような情けない談話を韓国にお伺いを立てながら発表するとは他国では考えられないことでしょう。
先人たちが命を顧みず取り組んできた偉業を見向きもせずに、やみくもに謝るとは、
「バカ」としか言いようがありません。
 
後世に生きる我々が現代の視線で見れば、
あの時代のやってきたことはひどいことをしていたと言えることもありましょう。
しかし、当時はそれが合法で認められていたのです。
列強をはじめ多くの国がそうしてきた以上に日本はきちんと合法に行っていました。
そして、合法だからこそ日本も列強の不平等条約に耐え、
「今に見ていろ」と、列強に追いつくために血の滲むような努力をしてきたのです。
それを今生きる人間が謝罪するとは、先人たちを辱めるようなものです。
誰のお陰で今の日本があるのか、
また、誰のお陰で日本が植民地にされずに一等国とまで認められてきたのか。
 
当時の朝鮮自体は財政破たんで国家自体が存亡の危機の状況で、
どこかの国にすがるか崩壊するしか道はなかったのです。
それを日本の莫大な資金と技術によって助けられて、
しかも100年も経ってから「あれは無効だ」というのは虫がよすぎる話です。
日本以外の国ならば、そんな話は聞いても貰えないでしょう。
そういう意味でもいまだに韓国は日本に甘えているのです。・・・
 
さて、統治時代の台湾ですが、日本の統治時代を知る台湾人、蔡焜燦(さいこんさい)さんの
「台湾人と日本精神」という著書にこのようにあります・・・
 
かつて半世紀もの間、歴史を共有してきた台湾で、いまだ「日本精神」が勤勉で正直、
そして約束を守るという、もろもろの善いことを表現する言葉として使われている。
それは、日本の先人たちがその叡智をふりしぼって前近代的社会であった台湾を近代化させ、
愛をもって民衆の教育に務めた成果なのである。これは歴史の真実であり、
戦後日本の進歩的文化人が振りかざす希望的推測やフィクションとはわけが違う。
 
台湾では我々日本語族の世代が、こうした日本統治時代の輝かしい歴史の側面を
孫や子の代にしっかりと語り継いでいる。
今も戦前の台湾に郷愁を感じる多くの年配者、ハーリー族と称する日本ファンの近年の若者たち。
台湾の老いも若きもが日本に好意を寄せ、そして愛し続けている現実を日本人はどのように受け止めてくれているのだろうか。
反日的な中国や、なにかと歴史問題を振りかざしてくる韓国だけが隣人ではない。
親日国家・台湾も日本の隣人であることを是非とも認識していただきたい。
 
台湾人が最も尊ぶ日本統治時代の遺産は、ダムや鉄道などの物質的なものではなく、
「公」を顧みる道徳教育など精神的遺産なのである。
こうした遺産は、台湾の発展の基盤となり、またこれからも語り継がれてゆくことだろう。
それゆえに台湾人は他のいかなる国の人々よりも日本を愛し尊敬し続けているのだ。
もちろん私も日本を愛し「かつての祖国」の弥栄(いやさか)を願う者としては人後に落ちない。
 
ただ、日本が立派な国としてあり続けてほしいからこそ、ときに苦言を呈することもある。
また国際社会における日本の“おどおど”した姿勢に苛立ちを覚え、
息子を叱りつける思いで「何やってるんだ!」と思わず怒りを口にすることがある。
そんなとき自分が“台湾に帰化した日本人”のような錯覚に陥ってしまう。
 
そして、現代の日本人の精神的荒廃を嘆くあまり、頭に血が上ってしまうこともしばしばである。
昨今、日本の警察や医療機関の不祥事、さらには教育現場の荒廃をよく耳にするが、
いったいどうなっているのか。
かつては台湾を近代化に導き、そして人々から尊敬を集めた警官や医師、
そして教師たちが何たるさまか。
 
かつての日本人は立派だった。
公職に就く者の心構えは民衆の絶大な信用を集め、
人の生命を預かる者の使命感に人々は崇敬の念をいだいたものである。
いま一度、故(ふる)きを温(たず)ね 日本人が世界に誇った「魂」を学ぶべきであろう。
 
どうぞ心に留めていただきたい。
“日本”は、あなた方現代の日本人だけのものではない。
我々“元日本人”のものでもあることを。
どうぞ日本の正しい歴史を学び、自信と誇りを取り戻していただきたい。
そして誇りある日本が、アジア地域の安定と平和を担う真のリーダーたらんことを願う。
 
日本人よ胸を張りなさい! ・・・
 
 
日本がそんなにひどければ、こういう声は絶対に聞けないはずです。
これは先人たちのたゆまぬ努力があったおかげなのです。
先人たちの七光りのようなものです。
後世に生きる我々は日本人として、先人の偉業を勉強して、知り、
先人たちの名に恥じぬように日本の魂、精神、心を受け継いでいかねばなりません。
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

潮匡人は明快だ。
菅直人は、
 
   現行憲法典無効論者
 
である。
と喝破した。 
 ならば、黒船による文字通りの砲艦外交で結ばれた日米和親条約も、不平等な日米修好通商条約も、当初より無効であろう。きっと、ポツダム宣言の受諾も無効となろう。激しい抵抗を軍隊の力で押しつぶして、実現された結果なのだ。
 
 当然、日本国憲法も当初より無効である。占領下の改憲はハーグ条約違反であり、制定手続き、形式にも重大な欠陥がある。前文も9条も偽りである軍事的背景の下、意に反して行われた占領支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた。首相や知識人らは、そう私たちに気付かせたかったのだ。たぶん…。
 
ははは! すばらしい。
我々も、日韓併合無効論に鞍替えしましょうかwww
ありえんけど。
 

【40×40】潮匡人 韓国併合条約が偽りで無効なら…

2010.8.26 08:08 産経新聞
 
 明治43年8月29日「韓国併合ニ関スル条約」が公布された。100年後の今月10日、菅直人首相は「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」との談話を公表した。
 
 首相に談話を求めた知識人らは「日本は軍隊、憲兵、警察の力で弾圧し、1910年の韓国併合に進んだ」「激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された」と論じ、条約は「前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる」「当初よりnull and void」、つまりもともと法的に無効と訴えた(「韓国併合」100年 日韓知識人共同声明)。
 
 その上で「朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化も、この併合100年という年に進められなければならない」とも主張した。署名者は、
大江健三郎(作家)、
小田川興(元朝日新聞編集委員)、
姜尚中(東大教授)、
小森陽一(東大教授)、
坂本義和(東大名誉教授)、
佐高信(「週刊金曜日」発行人)、
沢地久枝(ノンフィクション作家)、
高橋哲哉(東大教授)、
三谷太一郎(東大名誉教授・日韓歴史共同研究委員会日本側座長)、
山室英男(元NHK解説委員長)、
和田春樹(東大名誉教授)
ら。(※ブログ主注 反日ホイホイですね!でも、東大ってどういう大学だよ ショボ)
 
 ならば、黒船による文字通りの砲艦外交で結ばれた日米和親条約も、不平等な日米修好通商条約も、当初より無効であろう。きっと、ポツダム宣言の受諾も無効となろう。激しい抵抗を軍隊の力で押しつぶして、実現された結果なのだ。
 
 当然、日本国憲法も当初より無効である。占領下の改憲はハーグ条約違反であり、制定手続き、形式にも重大な欠陥がある。前文も9条も偽りである軍事的背景の下、意に反して行われた占領支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた。首相や知識人らは、そう私たちに気付かせたかったのだたぶん…。

(潮匡人 国家基本問題研究所評議員)
 
 
 
 
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転載元転載元: オノコロ こころ定めて

昭和51年に発行された難波江通泰氏の「天皇陛下にお仕へしたい ウエスト博士の思ひ出」
という著書があります。
この中でウエスト博士は、
「日本の繁栄はすばらしい。無限の可能性を持っている」
と言うと難波江氏は、
「あなたの考えでは、日本の繁栄の根本的な原因は何であるとお思いですか?」
「それは、日本に天皇陛下が居られるからです」
「・・・・・」
 
ウエスト博士は続けてこう言いました。
「私は日本人になりたい」
「どうしてですか?」
「それは天皇陛下が居られるからです。天皇陛下が居られる国だから、私は日本へ来たのです。
もし日本に天皇陛下が居られないならば、それはドイツやソ連やイギリスやメキシコやアメリカなど、
世界のすべての国と同じであって、そんな国ならどこへ行っても同じことです。
イギリスやオランダなどにも国王や女王が居られるけれども、
それらは日本の皇室や天皇陛下とは違う。天皇陛下が居られるのは日本だけだ。
絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の貧しい百姓でもいい、
私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」
・・・・。
 
 
ジョージ・ランボーン・ウエスト博士。
1929年、米国テキサス州サン・アントニオに生まれ、テキサス大学で法律と歴史を専攻して法学博士の学位を得、メールランド大学など数校で教授を歴任し、ダラス市で弁護士をしていました。
少年時代にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手紙を図書館で見てから日本に憧れ、
博士の夫人も日本人女性です。
 
ウエスト博士は昭和44年から日本マネージメント協会の顧問として来日してから、
たびたび日本で講演を行ってきました。
博士の講演は、日本が真珠湾攻撃を行ったのはアメリカが仕掛けた罠にはめられたと述べ、
東京裁判の不当性を衝き、米製憲法を強制したことを糾弾します。
この講演内容については昭和55年「憲法改悪の強要」(嵯峨野書院)を出版しました。
 
ウエスト博士が昭和57年に来日した時、元国会議員の会合で講演し、
このようにお話ししました。
「日本に何回来ても憲法改正の声が起こっており、その運動も続けられている。
少しは改正されたのかと思って今度の来日でも聞いてみたが、全然改められていない。
日本人は基本の魂を取り戻さなければならない。
・・・・。
私はかねてから一度やりたいと思っていた夢を、ここでかなえさせて貰いたい」
博士はこのように前置きして、自ら音頭をとって、
「天皇陛下万歳」を三唱しました。
並みいる日本の元国会議員たちは度肝を抜かれましたが、
こぞって呼応したといいます。
 
平成63月、ウエスト博士は千代子夫人と来日しました。
東京に着くと、明治神宮、昭和天皇武蔵野陵、東郷神社、乃木神社に参拝しました。
同年626日には靖国神社に参拝しました。
その日、ウエスト博士が靖国神社の遊就館で講演会を行う日でした。
講演会の事前の有志との打ち合わせで、博士はこう聞いてきました。
「今上天皇は靖国神社に参拝されたことがあるか?」
これはこの時丁度、両陛下は訪米中で、
アーリントン墓地とハワイのパンチボール(国立太平洋記念墓地)に参拝しておられたからです。
 
続けて博士はこのように言いました。
「靖国神社に参拝されずに、アメリカのアーリントン墓地に参られるとは、何事であるか」
この場にいた通訳の足羽雄郎氏は
「日本は天皇の専制国家ではない。君民共治の国だから、首相が参拝して、
国民すべてがそれを望むような雰囲気が作られないと参拝はされないのだ」と言おうとしたら、
傍にいた名越二荒之助氏がこう言いました。
「アメリカが訳のわからない憲法を押し付けたからだ」
すると博士は
「あれは憲法の名に値しない。いやしくも日本人が憲法というなら、
聖徳太子の十七条の憲法と明治天皇の帝国憲法しかないはずだ。
現在の日本国憲法はマッカーサーの押し付けたアメリカ製だから、
日本人は英語でコンスティテューションと呼ぶべきだ」
 
名越氏は
「日本では昭和天皇も今上天皇もアーリントン墓地に参拝して花輪を捧げておられる。
今度クリントン大統領が来日したら靖国神社に参拝するよう厳しく言いつけてもらいたい」
「それは駄目だ。クリントンはベトナム戦争の時、徴兵を忌避した反戦主義者だ。
そんな男が参拝したら英霊の冒瀆になる」
これを聞いた足羽氏は
「日本の政治家の中には、靖国神社には気の毒な戦争犠牲者が祀られている。
私はその人たちを慰霊するために参拝する、と公言する人がある。
こんな心根で参ったのでは英霊の冒瀆になるのではないか」
こう思ったという。
 
その後、遊就館での博士の講演会の締めくくりはこうでありました。
「アメリカの占領政策でジョン・デューイの教育哲学が日本に持ち込まれたことが教育の荒廃をもたらした。個性尊重と称して子供を甘やかし、学校も親も道徳教育への自信を喪失した。
それは日米ともに同じである。
教育再建のためにはアメリカは開拓者精神に帰り、
日本は教育勅語を復活させねばならない。日本人は喪った魂を取り戻すべきである。
そのために陛下の万歳を三唱をしよう」
ウエスト博士は頬を紅潮させながら音頭をとったそうです。
 
ウエスト博士のように日本を知る方がいることを我々は決して忘れずに、
日本人として日本の国柄を大切にしたいものです。
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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