|
造立年等の銘文は削除されていて不明 塔の下部に三猿が残っています。 雰囲気的には1700年代半ば以降の庚申塔を明治時代の初めに改刻したものと思われます。 不定期更新にもかかわらず訪問、コメント等をいただきありがとうございました。 新年は七庚申年で1月5日が初庚申です。 また新年にお会いしましょう。 |
行田市の庚申塔
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
行田市若小玉にある文字塔です。 造立は明和五年三月(1768年) 塔上部に日月とウーンの種子 塔下部には9名の氏名が刻まれる ここまでは一般的な文字塔であるが、この塔の裏面には「塞神」と明治六年十二月に追刻されている。 追刻された当時は裏表を逆にしていたのではないかと思われる。 行田市とその周辺地域には「追刻」もしくは「改刻」された庚申塔が多数存在します。 塞神塔について詳しくは「日本石仏事典」や「日本の石仏」等を御覧ください。 |
|
今回の庚申塔は行田市埼玉、丸墓山古墳西側にある三猿塔です。 造立は寛文7年(1667)9月。 塔の中央に金剛界五仏の種子(バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク)が刻まれ、その下に三猿と雄雌の鶏が浮き彫りされ、最下部に数人の氏名が確認できます。 基本的に最初に紹介した長久寺の塔と同じ仕様ですが、こちらの塔のほうが種子がはっきりと刻まれています。 かつては丸墓山古墳の墳上に他の石仏とともにありましたが近年になって下ろされました。古墳上にあった為に同時代に造立された他の塔より保存状態が良いと言えます。 |
|
造立は長久寺の塔から4ヶ月後の寛文5年(1665)3月。 塔の中央に「奉寄進庚申供養」と刻まれ、その下に三猿と雄雌の鶏が浮き彫りされ、最下部に数人の氏名が確認できます。 今まで、この庚申塔はネット上では寛文四年と誤って紹介されています。 なぜか? 御丁寧に実塔の写真が掲載されているにも関わらず、行田市史掲載の間違った年号をそのままコピペしているというのが大きな理由です。 既存資料の銘文や寸法を丸々コピペして「全て自分で調査しました」みたいなブログ記事を作成している残念な輩がいる限り、間違った情報の垂れ流しは続くことでしょう。 |
|
多くの先人達の研究功績を讃えつつ自分なりの庚申塔研究をしています。 まず最初に紹介するのは埼玉県行田市では現存最古のいわゆる三猿塔です。 秩父鉄道の東行田駅の近くに長久寺というお寺があります。その無縁塔の中に行田市現存最古の庚申塔はあります。 この庚申塔は某コミュニティサイトを除けばネット上や書籍等で紹介されたことはないのでは? 塔型は板碑型とよばれている寛文時代では一般的な型です。 造立は寛文4年(1664)11月。 塔の中央に金剛界五仏の種子(バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク)が刻まれています。 その種子の下に雄雌の鶏、不言・不聞・不見の三猿が浮き彫りされ、最下部に8人の氏名が確認できます。 行田市内では青面金剛の登場は延宝時代になります。それについてはいずれ紹介したいと思います。 なお、安易に詳しい地図等を掲載される方がいらっしゃいますが、詳しい場所等についての質問にはお応え出来ません。本当に直接御覧になりたい方は御自身でお調べ下さい。 |
全1ページ
[1]



