志なき旅

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歌と踊りで啓蒙

インドはHIV大国。

こんなことで大国になってもしょうがないんですが、いまや南アフリカを抜いて世界一の感染者数だとか。

想像ですが、性産業従事者のほとんどが文字が読めないので政府やNGOの啓蒙が十分に理解できないことが第一だと思います。

情報不足に加え、インド固有のカースト制度によって、低カースト層は検査すら受けられず野放しになっている差別状況も事態を悪化させているのでしょう。


字が読めないし、集会にも参加できない人にどうやって啓蒙しようかと考えられた結果、インド人の大好きな歌と踊りを流行らせて教えましょうってことになったんでしょうか。

実はこの歌、あまりのインド風味が可笑しくて2年ほど前にネットで流行ったんですが元動画が削除されて見られなくなっていました。

本日、youtubeにて再発見しましたのでご紹介。テルグ語で歌ってますが英語の字幕でなんとなく意味はわかります。

また削除されないうちにどうぞ。インド風味が充満してます。(笑)



       

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宮城県栗原市。昔の映画館がそのまま自動車整備工場になってます。

風景としては味があっていい感じなのですが、哀愁が漂ってます。

でも日本人はこんな諸行無常の感覚も悪くはないんですよね。

浜松はブラジル人労働者の多いところ。

子供のクラスにも必ずブラジル人がいましたし。

ブラジル人のお父さんが言うには、日本に来ると自殺したくなる雰囲気があるって言うんですよね。

お気楽、陽気、テキトーに暮らしていた彼らには侘び寂びや諸行無常を好む日本の空気は重たいのかも。ま、そんなこと言ってても絶対に自殺しませんけど。

「だって、生きてるの楽し〜から。」って言ってました。(笑)


こんな写真見て、地方、産業の衰退、不景気、高齢化・・・。なんて想像しないでラテンのテキトーさを見習ったほうがいいかも。

実は江戸時代の庶民はラテン気質であったとか。

思えば古典落語の長屋の住人たち、絶対に侍にも金持ちにもなれない社会制度の中で、絶望もせず、細かいことは気にせず、助け合い、明るく陽気に生きていましたよね。

閉塞の時代を生きるコツ、キーワードは「助け合い」と「粋」でしょうか。

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名著の誉れ高い鈴木大拙の「日本的霊性」。文化勲章を受章された鈴木大拙先生は私の恩師の師にあたります。

霊性という題名ゆえに違和感を感じられることもあるのですが、本書が世に出たのは昭和19年。この時代性ゆえに、スピリチュアリティを精神や魂などと表現したくなかったのではないでしょうか。

この本によれば日本的霊性が最も顕現するのは浄土系思想と禅なのだそうです。

この説は確かに正しいのですが、それだけでは日本的霊性を語れないの事実。

浄土系思想と禅は日本文化の表層に現れた華の部分。いわば蓮の花。皆に認められ大切にされる部分。

歴史に記されなかった基層の部分。蓮に例えれば根であり泥である部分は民間伝承などからこつこつと推察していくしかないのです。

文献、史書に現れない日本人の基層的霊性を探るのが、みちのく賢治の旅の隠れた目的。


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たとえば宇宙や鉱物と日本人の霊的関係性について記された史書、文献はほとんどありません。

ところが宮沢文学の宇宙や鉱物との豊かで深い表現に人々は感動します。この感動は単に賢治の言葉のマジックに魅せられているだけなのでしょうか。

小さい頃から石と語り、石っこ賢さんと呼ばれた宮沢賢治は、鉱物や宇宙と意思を通じることのできる、シャーマン気質を持った人であったと言われます。

シャーマンの語る表現だけで判断するのは稚拙なことですが、シャーマニズムには民族固有の気質、文化、霊性の基盤があるのも事実です。

そして彼の宇宙と自然界に対する感性が凝縮されている宮沢文学に多くの日本人が魅せられるのは、縄文以来続く基層文化としての日本的霊性がそこに込められていて、私たちの心の底に眠っている太古の日本的霊性が照応し反応するからではないのでしょうか。

なんてことを考えながらみちのくを旅してました。

デクノボーの道

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みちのくひとり旅の目的の一つは宮沢賢治のゆかりの地を訪ねることでした。

東北砕石工場の跡地、奇しくも雨でした。

東北砕石工場に勤めていた賢治が病に倒れ、闘病中に手帳に書き残したのが「雨ニモマケズ」。

ヒド(デ)リノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ


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賢治が東北砕石工場へと通った道。今ではデクノボーの道と名づけられています。

重篤の病床で人生の最後に彼が望んだデクノボーという生き方。

昔から、そして今も宮沢賢治がデクノボーと呼ばれたいと言った意味を考えつづけているわけですが、未だデクノボーの本当の価値を見出せません。


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東北砕石工場の鉱夫と賢治。

鉱夫と一発で変換できないところからすると差別用語扱いなんでしょうか。力強い生き方が込められた良い呼称だと思うんですけど。

一説には賢治が出会った農民、鉱夫の飾りのない無垢なる生き方をしてデクノボーと称したとも。

大宇宙のすべてのものとの繋がりを認め、森羅万象に平等の価値を認め、すべての生命との共生の関係に生きるデクノボー。

そんなデクノボーに私もなりたい。

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