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「少年トレチア」は、沼地の上に築かれたニュータウンで起こる動物殺しや殺人が、トレチアから来た少年の仕業で、彼は殺人の前に「キジツダ」と謎の言葉を囁くという不気味な都市伝説から始まるんです。 そのニュータウンで暮らす子供や大人のエピソードが交互に展開されて、それぞれがそれなりに面白いのでつい読んでしまったのですが、なんというか読後感はあんまりよくない話でした。 面白いからと殺人を繰り返す子供たちの集団によるトレチアの誕生とその再帰とか、病的に淫蕩な妻と別居してこの小説を書いてる零落れた漫画家とニュータウンの荒寥とした光景を8ミリで撮影し続ける拒食症と過食症とアル中を繰り返す巨漢女性との交流とか、このニュータウン自体が中心にある池に棲む赤い巨魚の夢にすぎないという夢を見る少女とか、ひとつひとつのエピソードがなにか面白げな要素を含んでるんだけど、どれもなんだか何のためにやってるのかよくわからない感じがするんだ。 登場人物自体もそうだし、作者の意図としてもそんな感じがするので、読後感がよくないんだろうと思います。 たとえば登場人物が意味不明な行動をとってても、作者の意図としては、こういうことでこういう効果を出したかったんだな、とわかって、それがうまくいってれば、にゃ〜るほどって感心できるんでしょうが、この小説は、ただ荒寥とした不気味感を醸すためだけにいろんなエピソードを重ねてる感じがするのだった。 だからそれが作者の意図だとすれば成功なんだろうけど、その意図はワタシにはあまり賛同できないってコトなのかもしれない。 この作者の小説は他にも2冊読んだんだけど、どちらもぜんぜん耽美じゃない(ごく醜悪な)耽美小説?って感じだったから、結局ワタシの趣味には合わないってことなのかもしれない=^ω^= で、この小説は最後には大地震が起こって、地盤脆弱なニュータウンが崩壊し、池の巨魚が吐き出した果たせなかったニュータウンの未来が人々の上に降り注いで、なぜか男たちは死に女たちは生き残るんだが、時節柄、地震恐〜い、ちょっとずつでも避難準備しとこ〜(・・; と思ったのでした。
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文章を書くのがお得意のようですね。
ふわーっと、勉強させていただきます。
2008/5/24(土) 午前 2:41 [ PC大好き ]
にゃるほど。
個々のプロットは、それぞれいくらか面白げだね(あまり好きじゃないけど)。
ニュータウンの中心にある池って、まさに<この世界>=赤い巨魚の享楽、
って感じだし、だからニュータウンに大地震が起こって崩壊しちゃう、というのは、
巨魚が「ニュータウン世界の夢」から覚めちゃうから、というような。 (続)
2008/5/24(土) 午前 4:48
で、そのニュータウンの日常に
(ただ面白いからと=実利なしに)亀裂を入れる外部の子どもたちがいて、
そのニュータウンを撮ってる巨漢女は、巨大だという類似点からも巨魚のある部分の分身で、
零落れた漫画家と共に、自らの世界を撮ったり書いたりしているのは、
二人とも巨魚の屈折した自意識?
一方は映像(イメジネール)、他方は言語(サンボリック)で、
池の魚の享楽(リアル)を表わしている。
そして、それは結局、夢(悪夢)だから、オチもなにもワヤで、
お話という象徴的枠組みに収まらない、それこそが池の享楽でしたってわけ?
作者がラカンを知っていなくても、
こうした「収まらない気持ち悪さ」という図式に「収められる」
ってところが、まさにロマン主義以来の「醜の美学」の耽美主義ってことかな(^o^)
2008/5/24(土) 午前 4:51
>PC大好き様
ご訪問ありがとうございます
よろしかったらまた見てくださいo*_ _)o~゚ペコリ
2008/5/24(土) 午前 5:16
>Syrinxさま
そういう風に分析できそうな感じで、ある意味面白そうでしょ?
ネタバレになっちゃいますけど、小説途中で、トレチアの発祥が10年ほど前殺しまくってた子供たちの言い訳だったことがわかり、それが伝説となって現在の子供たちが自覚的にトレチアを演じ始めたことがわかるんですね。
あと、この小説が零落れ漫画家が書いてるものであることも明かされるんです。
内容的にも形式的にもそういう再帰的な構造を持っていて、ある意味メタフィクションのようでもあるんですが、そうじゃなくて、あくまで手記みたいな体裁をとっていて、よく言えばメタフィクションにありがちな理屈っぽい破綻はないんです。
街自体が魚が見る夢であるという夢を見る、街に住んでる女の子というのも、ある意味入れ子構造ですが、それもありがちな混乱感がなくて、うまく書けてると思うんです。
だから基本的な意図がもっとワタシの趣味に合うものだったら、とても面白く読めたんじゃないか、と思うとちょっと残念デス=^ω^=
2008/5/24(土) 午前 5:32
つづき
巨漢女性の撮ったフィルムは同居人が救い出して地震でも失われなかったし、トレチアぷれ子供が作曲したハーモニカ曲も救助者によって伝えられたし(本人は死んだけど)、昔の殺人子供の書いた小説の入ったPCも妹によって持ち出される(こっちも本人は死んだ)、ということで、本人が死んでも創作物がみんな生き延びるところが、この作者のキモチなのかな、と思いました。
2008/5/24(土) 午前 5:38