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「三島由紀夫 剣と寒紅」は、三島由紀夫と交遊のあった著者の書いた評伝かと思ったのですが、終わりのほうに、この小説は云々とあるので、いちおう小説なんでしょーかね。 著者は自分が異性に関心がないことを自覚していて、「禁色」に出てきたお店の実名を訊ねに三島邸を訪れたことから、三島由紀夫と昵懇な関係になったというのですが、最初のほう読んだときには、曲がりなりにも一時お付き合いしてた人に対して、ずいぶんと冷淡な書き方をするんだなとなんかイヤな感じがしたんだけれども、読み進んでいくうちに、文字通り性癖の違いなんだから仕方ないか、という気がしてきました。 著者はぽっちゃり系の少年好きで、三島さんみたいなタイプは苦手だったんですね(^.^) 三島さんは若い頃は自分の貧弱な肉体にコンプレックスを抱いてたのが、ボディビルで鍛えて自信ができるとやたらと誇示しだしたという経緯が、三島由紀夫を知る人にはとても説得力がありそうだなと思えました。 著者はその自意識を裸線にたとえていましたが、リゾートホテルのプールで、そろいのレスリング用レオタード型の白い水着を着て筋肉を誇示しながら、盾の会のメンバー2人を後ろに従え隊列組んで、これ見よがしに抜き手を切っていた姿から発せられていた異様な空気には、確かにそういったものが感じられました。 著者とのそうした経験が、当時連載していた「禁色」にどのように反映されたか、といったことや、著者の送った自作小説に対する三島由紀夫の指導(月並みな表現は排除し、できる限り簡潔に書け、とかね)は、小説書いてる人にはけっこう参考になると思いますよ。 この本は、三島由紀夫の私信を引用したということで、遺族によって出版差止め請求され、今は新版では手に入らないようですが、古書では売ってますし、図書館でも借りられますので、興味があったら読んでみてください。 ちなみに、この表紙の聖セバスチャンはグィド・レーニ作なんですが、「仮面の告白」に登場するのはコレだったんですね。 他にもソドマやマンテーニャの作品は三島さんのお気に入りだったみたいですが、ダヌンツィオの「聖セバスチャンの殉教」の翻訳には他の作品もいっぱい載ってるようです。 ペルジーノ ティツアーノ マンテーニャ ソドマ ジョルジェッティ 三島さんは、ご自分で聖セバスチャンに扮した写真も撮られてますが、聖セバスチャンこんなに矢ささって「殉教」とか言われてますけど、このときは別に死んでない、というのは皆さんご存知なんでしょーかね=^ω^=
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濃いお話、ですね〜*^_^*
読んでる時も、濃さで、ひっぱられるみたいな感じかなぁ?
三島って、そうした濃すぎる欲動の池を、
凄い切れ味のドライな言語センスで濾過することで、
絢爛な修辞が織り成すあの言語空間に昇華した、って印象だった。
時おり破綻すると、修辞の隙間から、ドロドロがむき出しにもなる。
キリストの「倫理学」が、キリストを貫いたロンギヌスの槍こそがキリストを救った、キリストをキリストとした、とすれば、
三島にあるのはセバスチャンの「美学」で、
オマエを貫いた矢こそがオマエを輝かせる。
で、セバスチャンは、この磔刑では死んでいなかったのか!
知らなかった!
まさか後に、腹切りしたわけじゃあないよねえ(^o^)
2008/6/19(木) 午前 1:12
この小説?自体はそんなに濃くなくて読みやすいよ。
この著者自身、熊本の極道の娘の子供で、兄弟全員父親が違くて、母親のダンナさんはヤクザの親分という、濃い生い立ちみたいですが、文章は普通に読みやすかったです。
でもなんか、こういう暴露本ぽいものを書いてるせいか、文章に微妙に品性が欠けてるような感じは否めないんですが、三島の熊本来訪による再会時の展開は、まんがのようで思わず笑ってしまいました=^ω^=
で、セバスチャンはこのときは女の人たちに介抱されて助かって、後に棒で殴り殺されたんだヨ
2008/6/19(木) 午前 1:26
にゃるほど!
九州でこの手のお話、
福岡のアーティストに古風なゲイバー連れてかれた時、そこのママさんが、
コンドーさんの全裸あぐら写真見せてくれたの思い出します(*^o^*)
九州の、一つの文化的伝統?
2008/6/19(木) 午前 1:32
熊本で酔っ払って高歌放吟、男3人肩組もうってときに、三島さんが「まずいよ」って言うと、熊本鹿児島は本場だからダレも気にしませんと答えてたのがおかしかった=^ω^=
著者の友達のケンちゃんが、門柱にしがみついて、「先生、愛してたのに、ボクをおいて行っちゃうの」とか言ってる図は、ホントまんがでしか浮かんでこないデス(~_~)
2008/6/19(木) 午前 2:20
図書館で借りて読んでみる。面白そうね。
2008/6/19(木) 午前 7:32 [ ムラ ]
面白いよー
探してみてね=^ω^=
2008/6/19(木) 午前 7:59
この本読んでたら、育ちの良さって文章に出るんだなと思った。三島由紀夫がカリカチュアライズされてる気がして、彼の文学のこと本当に理解してるとは思えなかった。ホモセクシュアルの人ってみなナルシストなのかなとも思った。でも三島由紀夫は精神と肉体の均衡をなくしたとき、自決したのかなって漠然とおもった。
2008/6/23(月) 午後 9:52 [ ムラ ]
そうだね。
育ちの良さと頭の良さが三島由紀夫の文章には顕著に現れてて、それが簡潔的確な表現につながってるけど、この著者が「さいはて」とか演歌っぽい表現を好むところに彼の資質がうかがわれるし、それを忌避する三島由紀夫のセンスのよさが際立つよね。
2008/6/23(月) 午後 10:59