なつか式世界

なつかいたるのなつかしいおはなしの世界なんてね=^ω^=

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虚構と事実

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この前「剣と寒紅」読んだとき、「仮面の告白」を出してきたので、ついでに読み返してみました。

まず、例のセバスチャンの死んでない話ですが、この小説では、あんなに矢ささって死んでないはずないじゃないか、「奇蹟」の要請で生き返ったことにしたにちがいない!との解釈=^ω^=
しかし、フツーに考えれば、あのように矢で射られて美しくそのまま殉教したほうが、後で棒で殴り殺されるより美学的にも宣教効果としてもgoodじゃないのと思うので、むしろ、この時は死んでないという話のほうが事実だから仕方なく伝わってるんじゃないかと考えるほうがまともじゃないかという気がする。
ま、どっちでもいいですが…

で、「剣と寒紅」によると、三島さんはこういう小説とか「禁色」とか書いといて、後でゲイ傾向があることを隠そうとした、というのは、どーゆうことなんでしょーかねー?フシギ(@_@)
時代ということもあるんでしょーが(今ならなんの問題もないんでしょうけど)この小説がフィクションであることを、とくにお父さんがやっきになって強調してたというのは、まあうなずけるのですが、小説なんだからフィクションなのはあたりまえで、実際この小説のなかで起こることは、中学時代に恋したガタイのいい、ちょっと不良っぽい学友と遊動円木で落としっこしたり、女性とつきあわなくちゃという強迫観念から別の学友の妹とイイ感じになったところで結婚を打診されると尻込みして人妻になった後でまた未練がましく会い続けるということぐらいで、事実かフィクションかなんて忖度しなくちゃならないほどのことは何一つ起こってない。
残りを埋め尽くす男の肉体に対する妄想やら想念についてフィクションだと言いたいのだとすると、ソレはつまり、著者お得意の類推によって何か別のものから(何から?)導き出したとでも言いたいんでしょーかね?

ともあれ、この小説を読んでると、無頼あんの粗野な肉体に強烈な憧れを持ってた著者の前に、ガタイのいい熊本の極道の息子が現れて深い仲に発展、という「剣と寒紅」のお話は、やっぱりほぼ全面フィクションだったのかな、という気がしてくる。だって都合よすぎるよねー(^.^)
まあ私信引用で訴えられたってことは私信を持ってたんだから、お付き合いがあったのは事実なんだろうけど…

それはともかく、「仮面の告白」のなかで主人公は幼少のころ「ボク○○よ」みたいな女言葉を使ってるんだけど、なんというか、ある種の育ちのよい人の物哀しさをそのへんに感じるんだよねー。

ワタシが大学のとき代々英語学の超名門出の人が語学の先生だったんだけど、ある日テキストにsunny-side upが出てきたとき「君たちのウチではなんて言うの? ボクのうちではお月見って言うんだよ」とその先生が言ったのね。
で、みんな騒然となって「目玉焼きに決まっておろーが」と猛抗議したら、先生「えーっ、目玉なんて気持ち悪いじゃない。ママー、お月見作ってーって言うほうが全然いいじゃない」とのたまわったんだけど、そのとき生徒全員がキモっと思ったのは、その先生がけっこう筋骨たくましく胸毛モジャ系で頭髪サビシイ系だったせいもあるけど、ある種の育ちのよい人が持ってる独特のKY感というか、自己認識に関する誤りというか、のせいもあったんじゃないかと思うんだよね=^ω^=

それに近いものを「仮面の告白」には感じて、ムラさんが「剣と寒紅」について三島由紀夫をカリカチュアライズしてると書いてたけど、三島由紀夫自身のほうにも自己意識に関してある種戯画的な面があって、そこに物哀しさを感じるんだなー、と思う。

しかもマジでマジだったことが後々判明するしね。

まさにイタイG式だよね(@_@)
う〜ん せつない…

閉じる コメント(6)

トラウマは、初めからトラウマとして「在る」んじゃあない、
後からトラウマに「成る」んだ、と精神分析学は言うよね。

三島さんには、この本に暗示されたような何かが、
この本を書く前にすでに、
人に言い難いトラウマ的なものに成ってはいたんだろうね。
それを書くことで昇華したのか、いっそうトラウマが強まったのか?

「仮面」を被っていることをアカラサマに言うということが、
素顔(の一面)を暗示していることを隠しているのか、
そうやって「隠しているんだよ」ってこと自体を語ろうとしているのか?

うーん、同じことか。
この曖昧さが、読者に否応なく、
戯画的なものの、物哀しさ、そして気恥ずかしさ、を感じさせちゃう。

まあ、でも、それがこの小説の魅力でもあるのかなあ。

オイラが高校生の頃読んだ時は、
お話のウダウダした展開にめげたような気がする(^^;
リテラシーの欠如だったかもしれないけど、
文体の魅力はいくらか感じたかな。

英語の先生、お坊ちゃんだね〜。すっげ〜!
家にピアノ2台とチェンバロありそう(^o^)

2008/7/7(月) 午後 9:41 シラン

今野さんのとこの耽美展で切腹写真見たよね。
あれも、セバスチャンに扮してる写真も、ご本人はもちろん大マジで、「私は美しい」と思ってるんだろうけど、ああいう写真に物哀しさが端的に現れてるじゃない。

福島さんの本は確かにちと品性に欠けるけど、そういうところはよく表現できてると思った(~_~)

2008/7/7(月) 午後 9:51 naz*a_*g*lma

>ああいう写真に物哀しさ

あのニャンコ哲学者さんが、
表現ってのは結局、自慢なんですよ、
って言ってたけど、
自慢だとしても、あの人の、擬自画像的表現が物哀し気なのはどうしてだろ?

たとえば、画家たちも自画像とかたくさん描いているけど、
物悲しいのから、吹っ切れて神々しいのまで、色々あるじゃない。
デューラーなんて神々しいよね。
レンブラントは、時たま物哀しい。
シーレなんかは、20代のしかないから自意識過剰で物哀しい、か。

2008/7/8(火) 午後 1:09 シラン

そおそお、自意識過剰&自己認識の世間とのズレが重なると、かなりモノ哀しくなるよね。

自画像って、簡単そうに見えて、そういうところがけっこうムズカシイじゃないかな。
デューラーなんて今から見ると相当美しくてカッコいいけど、本人知ってる人たちから見たらどうだったんだろう?
でも作品自体が神々しいから、ソレはOKなんだよね。
自慢する点が間違ってないってことか。

三島さんの写真は、三島さん本人を知らない人から見ると、美しかったり神々しかったりするのかな…
というか、今野さんから見たら美しいのか(~_~)
少なくともワタシから見ると、自慢する点がちと間違ってる気がするってコトだね。

2008/7/8(火) 午後 2:00 naz*a_*g*lma

>今野さんから見たら

(^o^)
どうなんだろうw
あの人も、不思議な人だからねぇ。
ご本人、神々しいというのとは違うけど、妖しい魅力はあるよね。
去年お会いした時は、若い頃よりずっと素敵だった。

自慢する点、って、表現すべてに通じるカナメかも。

う〜ん、そう考えると、一昨日の講演は少し反省点あるなぁ。
なつかちゃんのこの見解で、急に反省モードのスイッチ入っちゃった(^^;

2008/7/8(火) 午後 2:06 シラン

ふ〜ん、自慢する点間違っちゃったの?

まあソレも周りとの関係によって変わるから、仕方ないよね(~_~)

2008/7/8(火) 午後 2:12 naz*a_*g*lma


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naz*a_*g*lma
naz*a_*g*lma
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