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男は、客席を睥睨する。深い井戸の底を覗き込むような瞳である。テントの外は木枯らしが吹き荒ぶが、中は若者の熱気で溢れている。
新宿、花園神社。京都下鴨神社糺の森。大阪、住之江公園護国神社。〈赤テント〉の芝居に夢中だった70年代。ボクは演劇青年だった。
唐の描く世界は、猥雑でかつ神秘的で、世界の芳醇さと複雑さを教えてくれた。何より役者たちが生身だった。四谷シモン。根津甚八。麿赤児。不破万作。小林薫。芝居が始まるまで、政治を語り表現を語りあるいはオネエチャンをナンパし、時には肩を組んで歌ったこともある。それが、次の瞬間に特攻あがりの海賊になりはたまたネンネコ社の社員になり、縦横無尽に舞台をかけまわる。客演の清川虹子や常田不二男も忘れがたい。
しかしなんといっても状況劇場は、唐と李である。冒頭に述べた役者としての唐十郎は、常に客席の若者が抱いている「虚無=ニヒリズム」を見つめていた気がする。虚無を見つめつつ決して虚無には落ちないという強い意志を、唐流ロマンチシズムへの誘いとして、作劇していたように思う。
この意味で多感な十代から二十代にかけて、唐の影響を受けたことは幸せであった。猥雑で混沌とした無秩序な世界に、ロマンをもって撲りこみをかけろよテメェ等!と、扇動されていたように思う。
芝居のハネるその瞬間に、必ずといっていいほどテントは解体され演劇空間と現実の空間が連結されるのが、お決まりであった。テントの向こうに広がる森に、また繁華街に、役者も観客も投げ出される。それは、閉ざされた空間と時間の物語ではなく、演劇を演じる行為観劇する行為がそのまま日常世界と地続きであることを確認することであり、物語は一人ひとりが紡ぐものだという大人のメッセージであった。
あのときの観客は、今どんな物語を紡いでいるだろうかと、ボクは自身に問いかける。唐のあの深い瞳を心に抱いて。
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