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さて、繰り返すが当時のインドでは、社会構造の変革とともに、人々の価値観にも大きな変動が起きていた。バラモンを頂点とする祭政一致社会にひびが入り、祭祀主義のバラモン教に飽き足らず、自ら思惟し自らの生き方を求め、また集団化して新しいグループを形成するものも夥しかった。
これらは、もちろん、バラモン教の伝統の上にこそ成り立つもので、例えば「托鉢=乞食」を可能にしていたのは、出家して林住する時期の修行者に、功徳を施すことが社会慣習化していたからである。余談だが、バラモン教の発展形態である「ヒンズー教」が支配するインド社会では、現在でも、托鉢で生活することが可能なのである。
シッタルダがラージャグリハ(王舎城)に至り、都を見下ろす五山を巡ってみると、そこでは国王ビンバサーラの支援のもと、様々な思想家集団が修行し学習し、普及活動を行っていた。「あーらお兄さんよってらっしゃいよ」状態であった。
見慣れぬ沙門がいる、あれはシャーキャー族の皇子らしい、そういう噂は伝わるのが早い。ビンバサーラの耳にとどくと、反応は速かった。
「おお。よくぞマガタへお越しなされた」木陰で静かに座禅するシッタルダのもとへ、慇懃にビンバサーラが訪れた。
「あんた誰?」「これは失礼。この国の王、ビンバサーラである。」
「わ、びっくりした。王様が何しにきたん。この日陰を譲って欲しいいいうても嫌やで。」
せっかくラージャグリハの人々を観察できる絶好のポイントを見つけたのだ。後世に「金剛座」といわれるように、修行者にとって木の下は大切な場所だった。
「いや、そうではない。釈迦国の皇子とお見受けしたが。」
「そう呼ばれた時期もおましたなあ。けど、だんさん。今はただのニートでっせ。」
「そうかな。こんな所で都を観察するという事は、スパイだともいえるが。いや、そういう物騒な話をしにきたのではない。どうだろうか。釈迦国とこのマガタ国と友好条約を結ぶというのは?」
ビンバサーラがこのような申し出をしたのには理由がある。強力な軍事力を背景に同族国家を併合し拡大しつつあるマガタにとっての最大のライバルは、西の雄、「コーサラ」国であった。そして、釈迦国はコーサラの同盟国であったのだ。つまり闘わずして相手の勢力を弱めるチャンスだったのだ。
「申し訳ありませんが、このシッタルダはもはや世間を捨てました。今は真理を求めるのが生きがいなのです。」
それを聞き、バラモンへの礼拝を行うビンバサーラ。
「それでは、サマナよ。あなたが真理に目覚められ、教団を率いられることになられましたら、このビンバサーラが支援させていただく事をお約束いたしましょう。いえ、何の意図もございません。真理を求められる方への供養であります。」
こう言って、ビンバサーラは帰っていった。帰り際に、シッタルダの座る木の後ろ、大きなブッシュの辺りに鋭く〈ガンを飛ばし〉ながら。
ギク!!! 心を震え上がらせたのはブッシュに潜む五人の男。「バレタ?」そう、実はシュッダーナ王は、出家するシッタルダの後を、五人の男に追わせたのである。五人はこっそりとシッタルダの後をつけたきたのである。そして五人の耳には、マガタ国王がシッタルダを支援するという事実が、はっきりと届いた。いや、届くようにビンバサーラが語ったのであろう。何んという駆け引き。国際政治は奇奇怪怪である。(仏伝には、この五人はあくまでもシッタルダの付き添いとして描かれるのだが、筆者は密かに、シュッダーナがマガタを探るために放ったスパイであろうと断定している。)
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瀬戸内寂聴「釈迦」を最近読みました。ビンバサーラ王は、世尊の最初の庇護者として描いてありました。仏教成立時に、すでに「在家」「出家」がそれぞれ成立していたことが興味深かったです。
2005/11/28(月) 午後 1:59
この項では神格化されないブッダを語ろうと思います。ビビッドな社会とのかかわりや、政治や経済との関係そして教団と個人の関係等、現代日本では情報不足と思い込みで誤解されている仏法とそれを支えに生きる人々が描けたらと思っております。平易にするつもりですが難解な時はご指摘下さい。11月にちょっとした事故でパソコンに長時間向かえない状態なので飛び飛びになるのをご容赦下さい。
[ nazunayh ]
2005/12/2(金) 午前 0:18
nazunahさん、それこそ「師走」というもので、お坊様も走る季節ですから(笑)どうぞ、ごゆっくりやってください。私も最近多忙で、なかなかブログが更新できません。のんびりやっていけばいいと思います(^^)
2005/12/2(金) 午前 10:09