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国語の授業。木下順二の「あとかくしの雪」を読む。もちろんすべて、ひらがな書きの分かち書きに直してあるプリントを、少しづつ読む。
前半のあらすじはこうだ。。
「あるところにたいそう貧乏な百姓が一人でいた。そこに旅人がとぼりとぼりとやってくる。旅人は一夜の宿を求める。百姓は何にもないが、それでええなら泊まってくれといい、旅人は何にもいらないから泊めてくれてありがたいという。」
「なんで一人なんやろ。」「なんで貧乏なんやろ」とNさん。そこで小作制度について説明する。土地をもたない百姓は収穫したものの幾割かを収入とするので、貧しいのだと。
「ほんなら、貧乏やから嫁さんももらわれへんねやろな。」 なるほど。
「先生、わしんとこも小作。サトウキビ作っても四分六で、地主にとられとったから、常食が芋の茎やった。」と。徳之島の話だ。
「けっこうおいしいで。」とノる。
そんなときに、旅人が泊めてくれていいうてきた。皆さんどうします?と問う。
「わしは、いっぱい泊めてやったで。バクチですってんてんになった友達に飯もくわしてやった。」
「うちも、除夜の見回りにくるおまわりさんに、いつも一杯おそばを食べてもろた。寒いのにご苦労さんていうてな。」
「この人も泊めてあげたらええのになあ。」
読んでいって、「何にもないけど、泊まれ」「ありがたい。」という所にくると、二人ともすごく嬉しそう。
さて、話は続く。
「その晩、旅人に何かもてなしをしたいと思った百姓は、隣の大きな家の囲ってあったダイコンを一本失敬してくる。そしてダイコン焼きにして旅人に振舞う。旅人はうまいうまいと全部食べてぐっすり眠る。」この辺りにくると、二人ともええ事したなあ、という。けど、泥棒さんやで。どうやろな百姓のしたことは?とまた問うてみる。
「あのな、うちの息子な。貧乏やったから、隣の寿司屋が店でだすコーラとか牛乳のビンあるやろ。あれパクッててん。ええ事やないで。悪い事かもしれん。でもな、その空き瓶を酒屋や牛乳屋にもっていって、ビン代で50円、100円てもらうやろ。そしたら、駄菓子買うたり文房具買うたりしてな、みんな妹にやってたんや。うち、それは偉いと思うねん。」
「せやけど、ばれたら警察にすかまらんでも、ごっつ叱られたやろな。」
「せやな。」
「ほんならこの百姓は?」
「隣の家にダイコンが囲ってあって大きな家やから、地主やな。ばれたら首になるんちゃうか。」
「ばれんかったらええのに。」と呟く。
そうなのだ。一つ困ったことがある。百姓が隣の家に行って帰ってきた証拠が残っている。足跡だ。
雪の上にくっきりと残る証拠。
「えらいこっちゃな。」「ほんまやな。」
どうなることかと最後を読む。
「その晩、雪が降ってきて、百姓の足跡をすっかりと隠してしまったと」
バチバチバチ。拍手が起きた。二人とも満面の笑み。よかった、ええ話や。と感動しておられた。
人は許さない罪がある。しかし、天はそれを許したのだろうか。単なる偶然かもしれないが、そう読むところが、夜間中学の生徒さんなのである。苦労し底辺を生き抜くには、人のモノサシでは測れないモノがある。今日は、宗教者としての僕の胸に響いた授業でした。
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや、悪人をや」 唯円「歎異抄」より
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なまじ豊かなために知らない温もりに、少しだけ触れさせていただいたような気がします。ありがとうございます。
2005/11/26(土) 午後 9:39
本日は、大阪で全国夜間中学研究会の大会でした。朴さんというオモニが「文字の読み書きができん。できんというのは、手足をもがれた虫みたいな人生やった。」とコメントされました。世間がせもうなる。他人との間に見えない壁がある。そういうことをこの数年で私も学びました。だがしかし、あなたの人生そのものから私他足は学び励まされ勇気をいただいているのです。
[ nazunayh ]
2005/12/2(金) 午前 0:11