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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫仏教をカタル

生まれたときに「天上天下唯我独尊」と七歩歩いてさけんだという 伝説のあるシッタルダ。しかし、その実は 早期出産であり異常分娩であったよう。母のマーヤは直後に亡くなっていることや、「母の脇の下から生まれた」といわれることから、筆者はそう推測する。

誕生伝説は後世の付与である。しかし、そこには六道輪廻(生まれ変わりの思想・運命論であり社会秩序の保守を支える宗教的テーゼ)をこえていくという、シッタルダが目指し獲得した新しき生き方の意味がこめられたのである。

また、ブッダの尊さを「尊い」とわかりえない私たちフツーの人間に知らせるために、「我独り尊し」と自ら宣言されたのである。これは、修行の過程では伝統的インド社会の慣習に従いつつも、結果としてそれを乗り越えて生きたシッタルダの「人権宣言」だと解する。

自らの観察と思索により、自己中心的な(つまり脳内世界)を虚妄と断じ、自然法則に従う世界のありようにリアリティを求め、ダルマ(法)のはたらきの中で生まれてきた自己に目覚めていくことにより、共同体(人間関係)や権力(支配被支配)や歴史性や民族性に全く依拠しない「完全なる個人」が世界史上初めて誕生したのである。

少し走りすぎた。シッタルダは、ビンバサーラの申し出を断り、自己の悩みを乗り越えるための学習に入る。インド社会の伝統に従い、当時有名であった学者を訪ねた。

アーラーラカーラーマ。マガタからガンジス川流域にかけて名をはせた学者である。

「すんません。アーラーラさんはいらっしゃいますか。」
「あそこで、何も考えないという心の状態ですわっておられる。」
「はあ。何もかんがえない。そ、それはすごい。」
シッタルダは老齢の師の下へと向かう。

アーラーラは白目をむいて、あぐらをかいて座っていた。さっそくその隣で見よう見まねで、座ってみる。風が快い。弟子たちも同様にすわる。ただひたすら座り続ける。これは新しかった。なぜならそれまでの宗教者は、火をたいたり供儀を行ったりして、神とのチャンネルを開く行為を行い(見た目にもわかりやすい)、占いや予言、そして信者の取るべき行動についてアドバイスを行うのが通常であった。

おもむろに講義が始まる。
「人は心にイメージをもつ。だがそれは現実化すれば心地よいが現実化しなければ本人を苦しめる。」
若い弟子が首をかしげて、
「先生、ですが、かのイチローは小さい頃から大リーグを目指してトレーニングに励みました。チチローもそれを応援したと聞いております。それは心で強く念じる、夢見ることの強さを行動の強さに結びつけた立派な生き方では?」

ギョロっとアーラーラが目をむいた。
「愚か者!お前は何を求める。この世での栄華か、心の安寧を求めるのか。確かに夢見ることは人間だけの心の働きである。しかしそれは適うものと適わないものがある。不死を夢見れば不死となるか。もしもなったとしてもそのときの現実は本当に自分の夢見た現実と一致するか?あまりにも不確定であろう。」
「どういうことです。」
「長生きしたいと夢みて、何かの方法で110歳まで生きてきたとしよう。」
「それはめでたい!」
「どこがめでたい。自分の長生きだけを実現させた。だが、背中は曲がりよぼよぼじゃ。独りでは歩けんかもしれん。病や老いを計算にいれなかった。まわりは知らない奴ばかり。ああ、存在していてほしい人の分も夢みること忘れていた。全ては後智慧じゃ。」
「だからこそ、わし実践する。何も夢見ない心の状態を作る。その事によって人生苦から免れるのである。」

その前に休憩してなんか食べましょうよ、と別のイヤシンボの弟子がいう。
「うん。まさにその心が出発点になる。休憩などもったいない。さあ、心の階段を下りていこう。おなかが減った→食い物という連想をやめる。おなかが減ったという感覚に浸れ。そしてその感覚を忘れていく。風を聞け水の音を聞け。日没を思え。木々の動きを追え。」

話を聞いているうちに、シッタルダは自分もできそうに思えた。これってかんたんじゃん!と。なぜならシッタルダはあまりに余る食い物の中で暮らし、ものがもたらすイメージに辟易したのだから。
シッタルダは目を閉じる。様々な思いがうずまく。さらにそれはいくつかの記憶の場面となり頭の中をよぎる。しかし、それは何の実体も無い残像であると見つめなおす。すると、今現在の身体の感覚だけが研ぎ澄まされてきた。

「今じゃ。その最後の感覚を捨てよ。もうお前たちは空っぽじゃ。」
だが、弟子たちはざわついた。
「ああ空っぽ空っぽ。お腹がぺこぺこ。やっぱ、腹が減っては戦はできねえ。」
さっきの若い弟子はそうつぶやいて立ち上がり、アーラーラの名声より集まったお供え物を食べにいった。一人また一人と。

ふとアーラーラは気づく。自分のとなりの若者に。こいつどこかで見たことがあるが?なんと自然な座り姿であるか。
「修行者よ、お前は何も考えないという心にいるか。」
「はい、私は何も考えていません。」
「ではわしの言葉にどうして答える。」
「はい。耳から入った音に口が反応しているだけです。」
「その口は何かを言おうとするか」
「いいえ。何も言いません。ただ風には風を火には火をかえすのみ。」
「見事!共にこの境地を味わおう。
こうして、二人は座り続けた。一方では弟子たちがご馳走をたらふく味わっていた…。

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    この「空」が難しいです。つまり、石はなにも思わないと思うのですが、しからば人間が石になるということでしょうか?仮に、人間を冷凍してしまえば、もう何も思いませんし、石のようになっております。それを目指すと思うと分からない。腹が減るのは腹が減るのであって、それこそ本当のような気がするのですが。。。

    single40

    2005/12/19(月) 午後 6:30

nazuna
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